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『あなたの記憶、消します』【ショートショート】【#25】

 軽いチェックを終え、横開きのドアを抜け入った部屋は、まさに病院の診察室のようだった。

 横向きの机にはパソコンモニターや様々な資料が並べられ、来院した患者のデータを管理しているのだろう。その前に座る男も、白衣を着ている。もしかしたら本当に医者なのかもしれない。

「どうも初めまして。渡邉といいます。今回あなたの担当をさせていただきます。よろしくお願いいたします」

 白衣の男はそう名乗った。年のころは30代半ばに見える。仕事の忙しさからか疲れは見えるが、「中年」と言えるほど老けてはいない。むしろ若々しいくらいだ。

「では、片桐さん。当院は初めてのご利用ということですね」

 男は、先ほど私が記入した問診票を見ながらこちらに質問をしてきた。「……ああ、初めてだ」私はそう答えた。我ながら慣れない場所に多少緊張しているのがわかる。もともと病院の類は好きではない。

「では、最初に当院について簡単に説明させてください。当院は、『院』とは名乗っておりますが、厳密には病院ではありません。しかし、行っていることは、医療行為と言えるものですので、私は医師免許を持っていますし、施術は責任を持って私が行います。そして、当院で行うことが出来る施術は、片桐さんもご存じの通り『記憶の抹消』です」

 そう。私が訪れた、ここ『MEA(Memorys Erase Association)』では記憶を消すことができるのだ。「どんなことをしてもいい。この辛い記憶を消してほしい」、そんな思いに一度も駆られたことのない人など存在しないだろう。そして、そんなことが出来るのであれば、いくら払っても構わない。そう思う人だって少なくないだろう。私も、そう心から願う一人なのだ。

「当院で、行う処置を簡単に説明すると、患者の脳内を詳細に分析し、その記憶に関する部分へアクセスすることを禁止する壁を作る。といった感じの処置になります。記憶そのものを抹消するわけではありません。私たちは、『記憶を隔離する』と呼んでいます。この処置によって心身に対する影響はなにもありません。ただし記憶とは、これまでのみなさんの経験が密接に関わって、作り上げられるものです。そのあまりにも大きな部分にカバーが掛けられ、触ることができない、という状況は、本人のストレスになる可能性があります。そのため、当院では記憶を隔離できる記憶の総量を『年齢の10分の1』まで、とさせていただいております。25歳なら2年半、50歳なら5年までということですね。また、記憶の総量自体の少ない未成年の方には施術はできません。そして、当院にて施術したこと自体も『隔離』させていただくことで、あなたは気が付いたら悲しい記憶だけが無くなって、明日から新しい人生のスタートを始めることができるのです……」

 その男は流ちょうに説明を続けた。今やこの施術は大人気で、国中の各所に施設ができている。どこも予約が一杯で何カ月待ちが普通だ。人間生きていれば、必ず辛いことにはぶち当たる。それが今すぐ消したいと思うほどひどいものなのか、一晩寝れば忘れてしまうようなものなのかはわからない。だが、消してしまえるのであれば、そんなものはないのと同じだ。世界中の悲しい記憶に悩まされる人が残らず救われるのだ。殺到しない方がおかしい。

 その時、ドアをノックする音が響く。

 音に続いて、看護師らしき女性が部屋に入ってくる。一瞬私に視線を投げかけた気がしたが、すぐに足早に男のもとに歩みる。そして何かを耳打ちしたようだ。何を言ったのかは聞こえなかったが、男がわずかに驚いた顔をしたのがわかった。女が出て行ったあと、男はこちらを向き、白衣の襟を正し、その後ゆっくりとしゃべりだした。

「片桐さん、冷静に聞いてください。あなたは、当院の受診が初めてでではありません。これまでに何度も当院に来ています。何度となく施術も受けているのです。もちろんあなたは何も覚えていないでしょう。なぜなら当院で施術したことも、『隔離』されているからです。そして、あなたは既に年齢の10分の1の上限まで記憶を隔離しています。そのため、あなたに記憶の隔離を行うことはできません。申し訳ありませんが、おひきとりください」


 ひとしきり男は暴れていた。

 だが、暴れたところで施術を行えるわけでもない。3名の警備員に羽交い絞めにされ、そのまま連れ出されたようだ。平静を取り戻した部屋で、看護師と白衣の男は話す。

「最近、暴れる人多いですね」

「そうだな。特段のリスクもなく、嫌なことを忘れられるんだから、受ける人にとってみれば一種の麻薬みたいなもんなんだろう。一度、受けたことすら思い出せずに、同じようにまた来院を繰り返す。そういう弱い人ほど、傷つくことも多い。悪循環なんだよ」

「でもおかげ様で、うちは潤っているんだから感謝しないとね」

「そうだな……。上限に達するまではな」

 白衣の男のひねた笑い声が、室内に響きわたった。



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