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作品を愛するとき、書き手を愛している

作品を愛するときはその書き手を愛している。
いつもそんなことを思いながら作品に触れることにしている。

世の中にはいろんな作品の形式がある。そこには書き手の人格があまり表に出ない形式もある。ミステリーやアクション活劇などであれば書き手の人格は比較的出づらいだろう。逆にエッセイのような形式であれば、かなり多めに書き手の人格を垣間見ることができるはずだ。
そんな感じで書き手の人格の出やすさは作品の形式によって変わってくるけれど、結局のところ「その書き手を好きかどうか」という判断基準が、自分にとって一番深く刺さる作品を見つけることができる指標になると思っているのだ。

昨今では、書き手自身が作品以外でもおおやけに発言することができる時代だ。だから「作品は好きだったのに、作者がこんなことを言っていて幻滅した」なんて話を聞くことも増えた。
作品と作者がつながっていると考えるわたしなのだから、もっと幻滅にぶち当たるのだろうと構えていた時期もあった。しかし実際には目を覆いたくなるようなとんでもない発言をしていても、あまり気にしていない自分がそこにいた。
どうやら作品を愛することは作者を愛することに他ならないけれど、それは作者の「一部」に過ぎないこともまた確か。作品の好みと作者への愛は厳密にはリンクしていない。そんな住みわけの意識がしっかりあるようだ。我ながら大人だ。

「いいな」と思ったときには、とにかくまずその人の出している作品をできるだけ多く触れる。その人の出している世に出ているすべての作品を読んだところで、その一部を垣間見るだけに過ぎない。でも、沢山の面を知ることができることも事実だ。
そうやってできるだけ目を見開いて、見える部分を増やす。そしてそれが愛すべき要素だと思うのであれば、心から愛すように努める。同時に見えない部分があることも頭の片隅にすえ置いて生きる。なんだかすべての人間関係に通じそうな話になってしまった。我ながらいい話しちゃったな。


#エッセイ #コラム #人間関係

「欲しいものリスト」に眠っている本を買いたいです!(*´ω`*)