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車の鍵、お貸しします【掌編小説】

「車、ありがと。またそのうち貸して」

 そう言いながら、男はこちらにカギを放り投げてきた。時刻は朝の8時半。俺が大学に行く支度をして、朝食を食べていたところに帰ってきた同居人だ。
 こいつの名はソウタ。一緒にシェアハウスをしている。そして俺が車を持っていることをいいことに、気安く車を貸してくれと無心してくるのだ。俺だって四六時中車に乗るわけでもないので、使わない時間であれば貸すのは構わない。でもソウタが車を借りるときは、だいたい彼女と使っていると知っているので、独り身の俺としてはいつも少し寂しい気分になるのは確かだ。

「まあいいけどさ。今度、メシおごれよ」

「はいはーい」

 軽薄な返事をしながらソウタは自分の部屋に消えていった。今日はさぼって一日寝るつもりなのだろう。

 ソウタと俺は大学は違うけれど、学生マンションで部屋が隣同士だったおかで仲良くなった。枠にとらわれず自由なところがあり、さっぱりした性格をしている。「シェアハウスをしよう」と言われたときにも、ソウタなら大丈夫か、と思って一緒に学生マンションを出ることにした。そこからシェアハウスに入って約半年になるけれど、今のところ俺の判断は間違っていないようだ。

 そんなことを考えながら、今日も俺は足早に大学へ向かった。


◇◇◇


 1限は統計学。授業自体は面白いとは言えないけれど、俺にはこの授業に出る理由がある。そこに気になっている子がいるからだ。語学のクラスで同じだったサキという子だ。彼氏がいるのは知っていたから、これまで積極的なアプローチを避けていた。でもどうやら最近、その彼氏とうまくいっていないらしい。それなら俺にもチャンスがあるかな……? と、いやしい根性がむくむくと芽生えてきたわけだ。

「よ。おはよ」

「おはよー」

 サキは目の下にうっすらクマを作っていた。それにいつもよりテンションも低い感じ。きっとまた彼氏のことで悩んでいたのだろう。そんな甲斐性のない彼氏なんてやめて、俺に乗り換えたらそんな思いはさせないのに、という身勝手なヒロイズムに酔いながら、颯爽と用件をつげる。

「サキ、あのな。今度の週末に、例の……サキが気になってるって言ってたバンドのライブがあってさ。もともと俺、友達と行くつもりだったんだけど、友達が来れないってゆってるから、代わりにどう?」

 もちろん「もともと」行く予定はないし、ドタキャンをした友達もいない。あなたのために用意しました、とは恥ずかしくて言えないがゆえの常套句だ。

「え、ほんと!? 行きたい! ……あ、でも週末ってどっち? 土曜? 日曜?」

「土曜だよ」

「あ……土曜かー。土曜はその、用事があって……。ごめん、行きたいけど……ごめん。他あたってみて」

「えーいいじゃん。外せない用事なの? もしかして彼氏? なんとか予定ズラしてもらったら?」

「うーん……まあそうなんだけど……」

「このバンド、今結構人気出てきてるから、次はもうチケットとか取れないかもしれないんだぜ。それに、このサイズのライブハウスで見れる機会は多分もうないよ。何とか調整してみてよ!」

 『彼氏』というワードが出てきたせいで、余計にサキを連れ出したいという気持ちが表れてしまった。でも純粋にいいタイミングのライブだとは思うし、よくチケットを取れたなと思っていたので、「レア感がある」、という気持ちは嘘ではなかった。

「……わかった。じゃあ一回聞いてみる。また連絡するね」

 サキはそう言ったところで、教授が入ってきた。さあ、あとは神に祈るだけだ。友人に気軽に車を貸しあたえる俺のような善人には、こういうときのためのストックがあるはずだ。そんな、まさに神にすがる思いでその日を過ごした。

 家に帰ったあたりで、ケータイが通知音を鳴らす。……サキだ。「土曜日OKです! 楽しみだねっ!」。そんな文字が目に入ってきた瞬間、思わず俺は「よっしゃー!!」と叫んで、ガッツポーズをした。丁度、居間にいたソウタに見られて笑われたが、笑われるくらい安いものだ。見てろよ彼氏め。お前がうだうだしている間に、どんどんサキのポイント稼いでいってやるからな。

 俺はワクワクして、週末が待ちきれなかった。


◇◇◇


 当日は朝からそわそわして落ち着かなかった。集合は16時半だからまだ半日以上ある。ライブハウスまでは車で一緒にいく予定で、最寄り駅に向かえに行く手はずになっている。こんな時のために俺は車を持っているのだから当然の選択だろう。
 着ていくものも決めたし、チケットも財布に入れた。あとは特にやることはない。テレビを見ていても、ケータイを見ていても落ち着かず、ただ待っていることがどうにも苦痛で、俺は部屋の中をうろうろしていた。ソウタはそんな俺を楽しそうに眺めていたが、昼くらいにはどこかへ出かけて行った。相変わらず活動的なやつだ。

 いよいよ待ち合わせの時間が迫る。遅刻だけはするまい、と心に決めており、片道15分もあればつく行程だが、30分前に家を出る。今日はどうやら道路もすいていたようで、10分程度でついてしまった。駅の時計はまだ16時10分を指していた。遅れるよりはずっといい。そう思いながらターミナルに駐車し、しばらく待つことにした。
 「もう着いちゃった」と、おどけたラインを送ることも頭をよぎったけれど、プレッシャーに感じられても嫌だな、と思ってやめる。大人しくケータイでゲームでもすることにしよう。


 そうやって待つこと1時間。
 彼女はまだ来ていなかった。


 もちろん10分程度の遅刻など気にはしない。ただ連絡の一つもないというのはどういうことなのだろう。気になってこちらからラインをしてみるも、反応がない。何件か送ってみるも既読もついていないようだ。通話も何度かしてみたけれど、こちらも反応なし。何かあったのでなければいいけれど、サキの家は知らないし、これ以上手の打ちようもない。俺にできることは待つことだけだ。

 そうやって俺は、ケータイの充電が切れるまでそこにいた。
 サキはその日、結局こなかった。


◇◇◇


 シェアハウスについたとき、誰もいない助手席を眺めて泣きそうになった。事情があったにしろ、なかったにしろ、連絡さえあれば、気の持ちようもあるけれど、何の反応もないのであれば、どうにもしようがなく、むなしさだけがそこにあった。

 酒でも飲んで寝よう、そう思ったとき、助手席に何か落ちているのに気がついた。……ピアスだ。女モノの。もちろん今日ここには誰も乗っていないのだから、思い当たるとすれば、先日車を貸したときに、ソウタの彼女が落としたとかだろう。拾い上げてポケットに放り込む。あとで渡してやろう。

 部屋に入ると、ソウタはまだ起きていて居間でテレビを見ていた。俺が帰ったことに気が付くと「どうだった?」と聞いてくる。どうもこうもない。語るほどの顛末もない。答えるよりも先に、冷蔵庫から酒を2本持ってきてソウタと俺の前に置く。ひとしきりグチを吐いたあとは、いつものようにバカな話で朝までどんちゃん騒ぎだ。

「そうだ。これ落ちてたぞ。お前の彼女のじゃないか?」

「あー多分そうだわ。ありがとな。渡しとく」

 そうやってピアスを渡したことは覚えている。いやそれくらいしか覚えていない、というのが正確なところだ。


◇◇◇


 月曜になってまた学校が始まる。今のところなんの連絡もない。統計学に行けば、おそらくサキはいるのだろう。どんな顔で会えばいいのか、気持ちの整理がつかないまま、俺は授業に向かった。……そして、そこにサキはいた。

「おはよう!」

「……あ、……おはよう」

気まずそうな顔をしている。俺だって気まずい。でも声をかけてしまったのだから、何も触れにわけにはいかない。

「えっと……土曜はどうしたの? 何かあった? いや、ほら何にも連絡なかったから心配したんだけど」

「……そうだよね。ごめんね。いや土曜日、昼に友達と会ってて……そのあと、急に調子悪くなっちゃって」

「あーそうなのか。いや調子悪いときはそりゃ仕方ないよ。そういうときもあるから。でも連絡くらいはしてくれよ。心配するだろ」

「うん、そうだよね……ごめん。なんか気分が落ちてて。ごめんね」

「いやいいよ、また今度埋め合わせでもしてよ」

「……うん、わかった」

 声も全体的に暗いし、今日になっても彼女はあまり調子が良くないようだった。納得いかない部分もあるけれど、そういうときもあるかな……と、これ以上追求することもできず、俺は会話を切り上げる。ちょうどいいタイミングで、教授も入ってきたため、近くの空いていた席に座った。

 その時。俺は気がついた。

 彼女の耳につけられているディアドロップ型のピアス。そのピアスに見覚えがある。最近どこかで……そう、助手席にあったピアスと同じだ。

 嫌な予感が頭をよぎる。

 俺はソウタの彼女の話をほとんど聞いたことがない。俺と同じ大学の学生で、年が同じであること。そのくらいしか情報を持っていない。いや、そんな女子大生は山ほどいる。山ほどいるはずだ。
 授業も始まってしまったし、見なかったことにして、どこかに逃げるわけにもいかない。悩めば悩むほどドツボにはまっていく。耐えきれずに俺はサキにラインをおくってみる。

「サキってそんなピアス持ってたっけ?」

「今つけてるやつ? ちょっと前に買って気に入ってるの。でも結構外れやすいみたいで、この前もどっかで落としちゃって大騒ぎだったのよ」

「じゃ、結局見つかったんだ」

「そうそう。彼氏がどっかから見つけてきてくれたの」

それ以上はもう、ラインを続けることはできなかった。じっと授業が終わるのをただ過ごす。そして終わったら、その日はもう何もする気が起きず、そのまますごすごと家に帰った。

神様というものがいるのなら、せめてもう少し、容易な運命を用意してはくれないのだろうか。いや「甲斐性のない」彼氏に塩を送っていたのは俺自身なのだから、ある意味当然なのかもしれない。

神様なんて大嫌いだ。
二度と神様になど祈るものか。

そう思いながら俺は部屋に引きこもった。



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「欲しいものリスト」に眠っている本を買いたいです!(*´ω`*)