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しくじったときは

先日
ネットで買物をしたんですが
サイズが思った以上に大きかったため
サイズ交換の申請をしたんです。

んで
その後ショップの方が
すぐに対応してくれたので
一安心だったわけですが

このとき
「しくじった(サイズを間違えた)こと」に
どういうわけか
意味を求めたり
無理やり
ポジティブに変換しようとしたり
そういう思考で
考えている自分に気づいたんです。

あなたはありませんか、
同じような体験が。

「これにはきっと意味がある」
「前向き肯定的に捉えよう」
「この経験から学べることはなんだろう」

そうやって
起こった事象に対し
意味や
前向き解釈をして
やり過ごそうとしたこと。

たしかに
前向きな思考は大切だし
ぼくもそうやって考えるようにしているし
基本的には賛成なんだけど

なんでもかんでも
「ポジティブ」
「成功」
「意味のあること」
で埋め尽くそうとしなくても
別にいいんじゃないかな
そう思ったんだよね。

しくじったわけだし
実際そう思ったわけだし
だから
無理やりに
前向きな要素を見つけようとしなくてもよくて
「ああ、しくじったな」でいいわけよ。

別に
しくじったんだから
「ああ、しくじったな」
で終わりでいいと思うのよ。

生きてりゃしくじることもあるし
成功ばかりなんて
あり得ないし
そもそも
誰もが不完全にできていて
完璧じゃないのがあたり前なわけで

にも関わらず
起こる事象や
やった結果が
常にパーフェクトって
もうそっちの方が異常ですよ。

前向きは大切だけど
心が感じていることは
素直にそのまま感じていい。

本当は「しくじっった」と思ったなら
「ああ、しくじったわ」と感じればいい。

自分の本音に蓋をし
表面上だけ「前向き」の顔をするって
ちっとも前向きじゃないなと
改めて感じた瞬間でした。





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