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【韓国文化研究者の韓国ドラマ考察】「イカゲーム」で学ぶ韓活韓国語

 昨年大ヒットした「イカゲーム」をサンプルに、韓活韓国語の実例を紹介してみたいと思います。

「イカゲーム」については、昨年、朝日新聞デジタルで語った記事をアップしておきます。

 ここでは、コン・ユさんがメンコ男としてカメオ出演し、主人公とメンコをするシーンをピックアップしたいと思います。

❶メンコ男:선생님 잠깐 시간 좀…
(あの、少し時間を…)
ギフン:예수 안 믿어요.
(キリスト教の方?)
メンコ男:그게 아니라, 오늘 선생님에게 좋은 기회를 드리고자...
(違います。いい話があるのでぜひ…)

(おもちゃの鉄砲で威嚇する)

ギフン:우리 집은 불교 믿으니까 귀찮게 하지 말고 저리 가라고…
(うちは仏教徒なんだ、あっちへ行け)
メンコ男:선생님, 저랑 게임 한번 하시겠습니까? 
(私とゲームをしてみませんか?)

ドラマ「イカゲーム」
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ドラマ「イカゲーム」

ではまず、普通の解説からいってみましょう!

「イカゲーム」から学ぶ韓国語〜文法韓国語編〜

❶メンコ男 선생님 잠깐 시간 
・잠깐:「ちょっと、少し」という意味の副詞。後ろに助詞만(だけ)をつけて「ちょっとだけ」は잠깐만。

❷ギフン 예수  믿어요.
・안-:否定形。用言を前から否定する。안 믿어요は「信じません」。

❸メンコ男 그게 아니라오늘 선생님에게 좋은 기회를 드리고자
・그게 :그것이の省略形。「それは」。 
・좋은 기회:좋은(良い)は形容詞좋다(良い)の連体形。
・드리고자:드리다(差し上げる)は주다(あげる)の謙譲語。語尾-고자 하다(〜しようと思う)は「あることをやりたいと思う望みや意図」を表す。ここでは、後ろの하다が省略されている。

❹ギフン 우리 집은 불교 믿으니까 귀찮게 하지 말고 저리 가라고
・믿으니까:믿다(信じる)+接続形語尾-니까(ーなので)。-니까は理由を表す。
・귀찮게 하지 말고:귀찮다(うっとうしい)+語尾게(〜く、に、ように)。-게は状況の程度や方法、目的、基準を表す。用言하다(する)+語尾-지 말다(〜しない、するのをやめる)+接続形語尾-고(して)。
・가라고:가다(行く)+語尾-라고 하다(〜だという)。「言ったじゃないか」と一度言ったことを繰り返す時に用いる。

❺メンコ男 선생님저랑 게임 한번 하시겠습니까?
・저랑:저(私)+口語体の助詞랑(〜と)。랑は、助詞하고や와/과に置き換えられる。
・하시겠습니까?:用言하다(する)+尊敬形の接尾辞-시+語尾-겠습니까(〜しますか)。未来意志を尋ねる語尾に疑問形の終止形語尾까がつく。

このように、用言の基本形、助詞や語尾の部分を確認していくのがよくある解説です。外語大だと、ここに活用パターンなども追記されます。


さあ、次は「韓活韓国語」的な解説です。

「イカゲーム」から学ぶ韓国語〜韓活韓国語編〜

メンコ男は先生?

 メンコ男はギフンを何と呼んでいるでしょうか。선생님です。선생님は「先生」という意味ですが、なぜ彼を先生と呼んだのでしょうか。メンコ男とギフンの関係は明らかに先生と学生の関係ではないし、先生と呼ばれる立派な職業にも到底見えません。

 韓国語は日本語と同様に、二人称が使いにくい。では相手を何と呼ぶのかというと、肩書き呼びが広く定着しています。社長、部長、次長、室長、所長といった肩書きを呼称に使うのです。

 日本でもそうだって? ええ、社内では肩書きで呼びますね。でも社外の人間関係で、単に社長くらいの年齢の人、次長くらいの風貌の人をこうした職位で呼ぶことはありません。ドラマで近所の中高年同士が「パク社長!」「アイゴ、キム社長!」と呼び合うのは彼らが社長だからではありません。日本語だったら「山田さん!」「おやおや井上さん!」とするところの「さん」の代わりが社長なのです。ここは日本語との大きな違いです。老若男女、誰でも「〜さん」呼びする日本語に対して、韓国語は、人を「〜さん」呼びしないという文化なのです。「さん」を意味する씨という言葉もあるんですよ? なのに使わないのです。その代わりに相手の性別や年齢、職業ないしは容姿、相手との関係性から適当に呼称を決めて呼んでいるのです。日本語なら全て「さん」で済むのに…。

 そして問題になるのがシーンのような初対面です。肩書き呼びをするのは相手を立てるためです。尊称の意味があるのです。特に成人同士は、相手を立てて丁寧な言葉遣いで話すのがマナーであり教養です。「저기요(あの)」は避けて、できるだけ呼称を用いたい。でも、相手の職業も年齢も分からない。そこで無難に選択されるのが先生なのです。先生呼称は警察官や役所の窓口などで市民に話しかける際にもよく選択されています。

 そのほかに初対面でよくある設定は商業施設。ここでは고객님(顧客様)が使われていますね。この顧客様は、商業主義が発達した現代社会に生まれた呼称です。かつては손님(お客様)という言葉しか耳にしませんでした。社会の変化に合わせて新たな呼称を作り出すほど、生活に欠かせないものが呼称なのです。

 선생님(先生様)は成人男性に使われることが多く、相手が女性や子供、老人であれば、また別の呼称があります。同じ相手でも、話し手によって呼称が変わるのも普通です。呼称には正解があるのではなく、選び方に話し手の立場や性格が現れるということでもあるのです。メンコ男はキリスト教の伝道師(このことは後述)のような風貌の男です。礼儀正しくて言葉遣いも丁寧。だから、선생님という尊称を用いたのです。こうした呼称は日本にはないものです。字幕でも「あの…」に置き換わっているでしょう?

メンコ男は宗教勧誘者?

 ギフンは、宗教に勧誘されたと思ってメンコ男を無視しようとします。韓国はクリスチャンが人口の4分の1を占めており、芸能人の中にも公表している人が少なくありません。日本のクリスチャン人口割合は1%といわれるので、クリスチャンと遭遇する確率、肌感覚がまるで違います。「イカゲーム」には、キリスト教の牧師も参加していますね。「イカゲーム」の登場人物は、現代韓国に暮らす人々の縮図なわけですが、脱北者や外国人労働者と並び、クリスチャンも韓国社会に欠かせない存在だということなのです。寄付やボランティアの率先、神父や牧師の主人公、キリスト教のモチーフを用いたドラマや映画の多さも、そうしたことが背景です。一方で、非信者がクリスチャンのことを保守的で排他的だと感じたり、勧誘が苦手と思うこともあります。

 ではここで、メンコ男の身なりを確認してみましょう。

きちんとしたスーツ。七三分けのヘアスタイル。

 見る人が見れば、一発で「キリスト教の伝道師」だと分かる、いかにもまじめで善い人の格好です。彼らは、地下鉄だろうが路上だろうが、見知らぬ人に平気で話かけ、勧誘します。だから、ギフンは宗教勧誘だと思い込んだのです。

そこでの一言が예수  믿어요(イエスを信じていません)」

 キリスト教の勧誘文句の定番は、「예수 믿으세요(イエスを信じてください)」。「イエスを信じろっていっても信じないからね。クリスチャンになる気はないからね」ということです。続けて、우리 집은 불교 믿으니까(うちは仏教を信じているから)」。日本語訳は「仏教徒」となっていますが、自分の宗教を明かすときは、「〜教徒」ではなく、-을/를 믿어요(〜を信じています)と言うのが一般的です。無宗教の場合は、종교  믿어요(宗教を信じてません)。そもそも日本では人に宗教を尋ねる習慣はなく、むしろタブー感さえありますが、韓国ではそうでもありません。自己紹介で真っ先に確認するのが、年齢と宗教の時代があったくらいです。かつては趣味を尋ねるように、さらりと宗教を尋ねていましたが、最近は無宗教者が増え、宗教の話題がだいぶ減ったように思います。また、普通の日本人は「イエス」と口に出す機会はまずありませんね。世界史の教科書に出てくる程度? なので、字幕には、なじみのないイエスを登場させず、「キリスト教の方?」となっています。

 …まだまだ続けられますが、永遠に終わらないのでここら辺でおしまいとします。

さあ、違いを実感できましたか?

 文法韓国語でしているのは、用言・体言と語尾を分解して解説する、いわゆる語尾解説です。韓国語学習は活用にポイントが置かれてきたため、用言の基本形と語尾をひたすら分解してみせることが、巷で見かけるドラマやKPOPの歌詞で学ぶ韓国語学習の実態となっています。語尾解説をすると、教えた気になり、教わった気になりがちですが、この解説は、実は大切なものが完全に欠如しています。この解説を聞いても、フレーズ全体が持つ風合い、ドラマの風景、情緒みたいなものがちっとも感じられないのです。基本形と語尾とに分解するという、ことばの切り刻みのせいです。皮肉な話ですが、言語そのものを真摯に追求すればするほど、ドラマの世界感からどんどん離れていってしまうのです。語尾分解とは、いわゆる活用知識を用いたパズルです。そこにある意味世界とは一切関係なく行えるパズル。パズルをしたいのならいいですが、ドラマや歌詞を味わうには不向きな活動に思えます。よく周囲を見てみてください。ドラマ・KPOPで学ぶ韓国語と謳う解説は、ほぼ全てがこのようなものです。このような教え方しか存在しなかったので、仕方の無いことではあるのですが。

 そこで、韓活韓国語は、言葉の中ではなく、言葉の周囲に目を向けています。このシーンでいえば、선생님(先生)から初対面の人をどう呼ぶのかに目を向け、예수  믿어요(イエスを信じません)から韓国社会の中でのキリスト教の存在感を説明したのです。語尾解説と違って、そこにはドラマの情景が見え、さらにはそれらとつながる気付き、つまりは別のドラマや映画、あるいは韓国での実体験にもイメージが広がっていきます。ひたすらたくさんの単語や語尾に触れれば韓国語ができるようになるのかというと、そんなことはありません。たった一つの言葉であっても、その単語やフレーズの持つ背景を理解し、自分の知識と関連付けていくこと、それも立派な語学学習ですし、こちらの方がはるかに脳にも良さそうです。何より、楽しさ、わくわく感がまるで違います。こうした世界観が詰まった言葉は、短い文章で表す字幕翻訳に表れないことも多いです。字幕というのは、日本語の文脈への書き換え作業でもあるので、その意味でも字幕から消されがちなのです。字幕だけではわからなかったドラマの世界を味わえるのも、韓活韓国語の魅力ですね。


 ちなみに私の場合。韓活韓国語のような意味世界を説明しているときは語っていて高揚感があり、学生も真剣に私の話に聞き入っているのが分かります。一方で、語尾など文法解説をしているときは私自身の高揚感もうんと減退し、学生の目は明らかに死にます。語尾解説にときめくよ!という人もいるかもしれません。語尾解説自体が悪いわけではないのですが、解説したところで、ドラマの世界観から離れる方向の話ばかりなのです。文法解説はドラマやK-popの歌詞の情緒を感じさせてはくれない、という点は、あらかじめ知っておいても良いかと思います。
 また、文法解説は、韓国語に対してある一定の知識がある人なら、誰でも行えます。でも、韓活韓国語は、韓国文化・社会に精通している必要がある上に、リサーチ力も求められます。誰もが簡単に教えられないものであるからこそ、私は韓活韓国語的教授法を、なるべく意識したいと思っているのです。
 私がセリフや歌詞の語尾解説を始めたら…それは手抜きしているとき、ネタ不足のときです。

そんな韓活韓国語が味わえるのは「もっと知りたい!韓国TVドラマ」の「名せりふで学ぼう韓国語」の連載ともっかん学院の講義だけ!ぜひチェックしてみてください。

あともう一つNHKラジオ講座もお忘れ無く。





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