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おいーザさん、おいしかったよ。また会えますか。

 戦闘力53万のギョーザこと、おいーザさんの思い出を語りたい。

 あまりにも心が汚れてしまい、バグリメシを作る余裕ネタがなくなってしまい、ついにうずたかくつもる下書きに手をかけたのである。おとなのこころはきたないね。まさにゴミだね。だがしかし、ゴミにもカロリーは宿る。

 これは三種の神器をホールドしていたときのストーリー。未だ覚醒バグに至らず、カーチャンメシのおいしいシュミレーションをピュアに目指していた精神的キッズ時代のこと。

「ああ、ギョーザがくいてえな……」と思ったのだ。

その「ギョーザ」は本当にギョーザか


 スーパーで買ってきたなんのへんてつもない皮、ひきにく、にんにく、ニラその他。たまにウインナーやチーズ。よくある(あるのか?)家庭ギョーザ。それがわたしの愛してやまない「ギョーザ」である。

 なぜかお惣菜のギョーザは「ギョーザ」ではないのだ。ギョーザ専門店であっても、中華料理屋でも、ラーメン屋さんでも、いずれもおいしい。似たようなおいしいもあれば、異なるおいしいもある。のだが、なぜかちがう。カーチャンの「ギョーザ」のリアリティがどこにもないショックで茫然自失としたものだ。

 もしかして:弊宅の「ギョーザ」、ギョーザではない

 そんなこと言うなよ。あえて味を言葉にするなら、一般的なギョーザは皮に油分がついてザラっとしてる? ような感じで戦闘力カロリーを感じてとてもよいのだが、弊宅の「ギョーザ」の皮は無害感のある、つるつるもちもちである(なお実際の戦闘力は)。

 中身はオラオラに詰まっているが、それもまぁ、お店によってはあるはある。中身のみずみずしさ? それもないわけではないだろう。ニンニクマシマシだから? それも奥ゆかしさとは無縁の剛の店(海の向こうから来た者たち)に比べればヌルかろう。

 ギョーザハンターライセンスを持たないただの一般人ゆえ、ハンティングが足りないと言われればそれはそう。だが、事実、くえない。わたしはあの「ギョーザ」をくえない……くえない……くえない……事実だけが日々目の前に陳列されてゆく。その罪はヤスイ!

本気の第二形態かわりはてたすがた


 つくるか。「ギョーザ」をよ。

 そしてわたしはおもむろにザゼン。そうだな……我手先不器用……。繰り返す。我の手先は不器用だからよ。肉体的キッズ時代の成績を思い返そう。アカンて。アカン。

 よし、あぶらあげを使おう。あぶらあげがあれば何でも包める!!!!

 わたしはキッチンばさみオブザセラミックで、あぶらあげをチョッキンチョッキン致した。一枚を半分に。そして思った。「どこから入れるのだろう?」と。おいなりさんや、巾着のような口が見当たらない。

 そっか……開けるのか……。

 わたしは何も知らない。うしさんやぶたさんやとりさんをカッ捌いているのは誰か。さかなさかなさかな。さかなをさばくと。あたまあたまあたま。あたまが野生ワイルドになる~。それを知らないわたしたちは、文明的こざかしくなる~。そのやさしさが、暴力になる。いきものを守るために、おまえらはshinでしまえと轟き叫ぶ! くれよん災厄シンちゃんもびっくりだ。おい認めろ。

 わたしたちは、あなたがたの命をいただきますしてここにいるッ!!

 一思いに、その腹を開いた。あやまちの感触が手に残る。これが……罪……。あぶらあげの油である。サラっとしたネチョみ。命の潤滑油。植物達おまえらの血の色は何色だァ! 透明かァ! キレイだなァおい! サラサラやで。いやホンマ動物油は冷えて固まると地獄やで。ときどき洗面所まで運搬してせっけんで洗ってるやで。だってせっけんを使うと、シンクのツヤがしぬから……(なんか洗剤等によるツヤツヤコーティング)。

 そしてバラ冷凍のひき肉を詰める。こねる必要もなく、シリアルを注ぐようにザッと入れればいいので不器用は敵ではない。いやしかしウィンナーは外道だな。腹をさばいて肉をつめつめするなんて。

 人間はわけがわからないよ。でも植物の腹(腹ではない)をさばいて動物の肉をつめてるわたし is 何? 端的に言って悪魔かな??? そうだよね。悪の所業だよね。さらに切り干し大根とフライドガーリックをつめつめしてるなんて。おお、ニラよ。許し給え! あなたの不在に、冷蔵庫様の中にいたのは彼らだけなのです。

 そしてわたしはフライパンに、おいーザさんを並べ地獄の業火で焼き尽くしたのである。これが後世に語り継がれる火の七日間のはじまりである。せんそーだぁ……。

「また会えるよ」


 戦火を潜り抜け少しコゲたものの、食べてみるとすごいことに気づく。

 いったいわたしは何を作っていたんだ……? という衝撃。ドーパミンでびっちゃびちゃである。そもそもギョーザではない「ギョーザ」なのだ。定義することもできていないものを作ろうとしたのだ。それはできるはずもない神においすがっていたようなものだ。そら「ギョーザ」にはならんわな。

 でもね、あのね、最初からギョーザじゃなかったのわかってる???

 うん、しってた。皮から違うって。なんか、サクゥって、さいきんよくあるノンフライ(ノンオイルではない)スナック菓子みたいな軽快な歯ざわりにビビっちゃう。切り干し大根はちょっと……と思ってたら思いのほか甘みが、やさしい。これはあのNIKU-JAGAの雰囲気アトモスフィア

 カーチャン……。

 そこへ香り薫るニンニクだけがギョーザというフレーズをボケたニューロンに投影してくれるんだ。しゅき……しょうゆをつけ忘れるくらいしゅき。ごめん嘘。ギョーザもとんかつも初手しょうゆなしで食べるからワザとなの。しょうゆは味変なの。フライパンの半分はやさしさで、もう半分はしょうゆで食べるなの。

 ああ、おいしかったなあ。もしかしたらはじめて「料理」したぜって感触を得たときなのかもわからない。いやそのせいで悪影響バグが生まれた原点なのではないか。冷凍ひき肉と切り干し大根の調達、油揚げを解剖する罪の意識ヒマなじかんがなくて、すっかりごぶさただ。

 ねえ「ギョーザ」さん。おいーザさん。また会える……?

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