貴様の魂は何で燃えるだァーッ!?
違う! 燃やしたいだけなんや!(誤解を生む文言)
そう……やる気が……でないんや……。
ワシの魂が燃えんのや……(主語をちゃんと書け)。
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やる気スイッチは「いいから座って机に向かえ(To:座り仕事)」「いいから立って動け(To:立ち仕事)」の二択だということは諦めがついたのだが、スイッチを入れたとて「電池切れだニャン……ごろにゃん……Zzz」とオフトゥンに体がドゥルルンするもので。猫は概念として軟体だから。いやどんだけ仕事したくない言い訳したいんだこの猫は(わたしだ)。
やる気スイッチが見つからなくても鬱にはならないが、やる気スイッチがを見つけるのに躍起になってエネルギー切れになれば鬱になる。ちょっと最近は魂を燃やすエネルギー不足問題に悩まされたので思考整理したくなったというお話。
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人間は一日にできることエネルギー総量ある説もまた信じているところだが、その総量が変動しないとは言っていない。いやするのだ。そうじゃなきゃ鬱《そう》はならんやろがい。(はいここルビにしたいところですよー。noteプレミアムのみんな、よきベータテスターとしてがんばってほしい。はやくルビふりうざいおじさんになりたいです)
今日はリケコイを見て充電できたのだが、やはり頭よさそう(実際いい)なのに全力でバカというのは卑怯である。現実はこうもうまくいかない。スベるのである。そこは東に住む者として、西に住む者へのあくなき憧れと敬意がやまない。無知ゆえの憧憬というやつかもわからない。まったく笑いの振り幅について考えさせられる次第だ。次に電池切れになったら極主夫道でチャージするぜ。
一方で魔王の話に没頭しても充電はされる。カタルシスのふしぎ。
楽し過ぎても飽きるし、悲し過ぎれば沈んでしまう。
光も闇もエネルギーなのである。
かくも人はメンドクサイ(いやぁ推しを混ぜられる話題は最高だな!)。
この特性、ある観点では柔軟性と言えそうだ。運動不足でいい歳した各位、どうしても四十肩の呪いにかかると聞く(なった)。これはつまり筋肉が柔軟性を欠いて自由に動かないということだ。当たり前だが。
さて、心の柔軟性を欠いて自由に動かないと書く。その心は――?
心は適切に揺れ動く状態を健全と言うから、と説く。
つまりやる気スイッチを押した後、やる気エネルギーを失くすとやる気パワーはゼロになる。それはゴムをみよ~~~~~~~んと伸ばして離すとバチコーーーーーーン! と弾丸を飛ばすパチンコのふるまいに似ていると言いたいのである。
みよ~んと伸ばす幅=柔軟性があればあるほどパワァが増す。そのパワァは有限である。一瞬で力を使い果たすパチンコ運用もできるが、ギリギリとねじるような持続性のある使い方もできる。そのパワァの幅は伸び縮みがある。柔軟性を失っていては、やる気スイッチを押してもやる気運動エネルギーが足りず、撃ち出した弾はカスのような威力しか持たない。
なるほど心はゴムのような軟体さんやな、と。猫だなと(せやろか)。
車さんのエンジンのようにガソリンをブッ込んで行くぜオラァ!と魂を燃やすタイプの心があるかもわからない。そういうときがあるかもしれない。推しはガソリンなのかもしれない。ただ一般的な心の動きにはそのような一側面もありそうだ。面白い。
で、今のわたしさんが直面する困りごとは、どーもガソリン的なものを突っ込んでフンダララという感じではないのよな。このゴムかてぇ……なんやこれ……という。地震起きた時の耐震クッションとしてはいいけど、これじゃあ、パチンコの弾ぁ撃てねぇ……ぜ……。
つまり悲しい物語も、クソバカアホ楽しい物語でも、どちらでも心が救われる人がいる、というのはどういう心のストレッチで柔軟性を取り戻したかなのだ。外科内科医療的な何かで心が救われる人がいる、というのは断裂した筋繊維ならぬ心繊維を治療したからだ――と思うと面白い。そして人間は心のエネルギーを取り戻す。
ストレッチ……ハッ!
そうかつまり心は筋肉! 筋肉は裏切らない!!
脳筋 is wonderfull. 筋肉 is forever.
ストレッチパワーを貯めて、心をうちこめ!
鋼のサイドチェストで、心をまもれ!
イヤッッッッフゥゥゥゥ! たまには外に出て運動しろ! あるいは家にこもってなんか読め! つまりそういうことだな!! お前は今まで笑ったギャグの回数を覚えているか!? 俺はキャパを超えた奉仕活動を辞めるぞJOJOォ~~~~~~!(とりあえず目標を脇に置いて遊ぶってことだぞ!)
われわれが深淵を覗くとき、深淵もまたわれわれを覗いているのだ……