【超短編】このアニメの結末を知ったら死ねる


「で、まだ死なないわけ?」
魔神は寝そべり、鼻をほじりながら言った。
「話が違うじゃん」




魔神は、ある雨の日に現れた。雷が落ちる音が聞こえて、その数秒後に部屋がぴかっと明るくなる。僕はあの雷に打たれて死にたいと思った。早く死にたかった。

人間が嫌いで、人間が恐くて、誰の言葉も聞きたくなかった。誰の意見も聞きたくなかった。

目を覚ますと、雨は弱まっていた。いつの間にか眠っていたらしい。床に転がった粗悪な缶チューハイの中身は空だった。
僕は缶の横に、“何か”が立っていることに気が付いた。

「やぁ。俺はストロングゼロの魔神だよ」
死神の間違いじゃないか、と思った。その魔神というヤツは、黒いフードを被って、ヘラヘラと不気味に笑う。
「お前の願いを3つ叶えてやるよ」

なんだこいつは、と思いつつ願いを考えてみる。しかし僕の叶えてほしいことは、ひとつしかなかった。
「僕を殺してくれ」
後腐れなく死にたい。それだけだ。

早く、早く、この人生を終わりにしてくれ。
そう思って生きてきた。生きていたって苦しいことばかりで、ずっと足のつかない深い海に溺れているようだった。いつまでも溺れ続けるより、さっさと沈んでしまったほうが楽だと思う。

「はぁ?」
魔神は呆れて、溜め息を吐く。
「俺、お前を幸せにしなきゃいけないんだけど」
「僕の幸せは、早く死ぬことだから」
僕は、魔神の言葉に被せるように言う。こんなチャンス二度と来ない。誰かが僕を、殺してくれるなんて。
「それは無理だよ。俺は人間でも死神でもないから、お前を殺せない。っていうか自分で死ねばいいじゃないか」
「それは……できない」
何度も試みた。だけど、死にきれなかった。

厄介なことに、人間には本能というものがあって、死ぬという行為はそれに真っ向から背く。

僕たちは、痛みや生命の危機から本能的に逃げなければならない。それを生まれつき知っていた。心の痛みからの逃げ方は、高校でも教えてくれなかったのに。

「勝手な奴だな~」
やれやれ、といった様子で魔神は言う。
「無理なものは無理だ。他の願いを考えろ」
呆れた魔神が、命令口調になった。
他の願いなんて、思い付かない。未来に希望などないのだから。


ーー思い付かない、と思ったのだが。

「好きなアニメの、最終回を観たい」
「はぁ??アニメだ~??」
またくだらないことを言い出して、と魔神が内心で僕を蔑むのがわかる。
「……結末を観ないと死ねない。今期の金曜に放送してるやつ、アニメオリジナルで原作がないんだ。アニメを観ないと結末を知れない。結末を観られたら、心置きなく死ねる……かも」
「かもって、お前なぁ……」
魔神は鼻で笑う。
その後、散らかった部屋を見渡して溜め息を吐いた。

「死ねるかも、じゃなくて、ちゃんと死ねよ。絶対死ね。腹が立った。俺様をバカにしやがって。絶対死ぬと約束するなら、お前のその下らない願いを叶えてやる」
その瞬間、僕は一瞬呼吸がしやすくなったように感じた。
久々に肺や脳に酸素が供給されたような感覚……。
「うん。約束する。あのアニメの結末を知ったら、ちゃんと死ぬ」



魔神は赤黒いの煙のようになって、一度チューハイの缶の中に引っ込んだ。
僕は不思議だな、と思い飲み口を覗き込む。もしかしたらこれは、全部僕の見ている幻覚なのかもしれないと思った。遂に頭がおかしくなったのだろうか。

缶の中は陰になっていて、よく見えなかった。僕は缶を持ち上げて、魔神がどうなったかを見ようとした。

僕が缶の中に光を当てたり、逆さまにしたりしていた時だ。
魔神が
「やかましい!!こっちだって準備が必要なんだよ!!大人しく待っていることもできないのか!!!」
と怒鳴った。
この声に僕が怯んだ瞬間、空のストロングゼロの中から飛び出した赤黒い煙が、僕の顔を覆う。何も見えない。

……見えない、と思っていたが、しばらくすると観え始めた。

僕の大好きなキャラクターが走る姿が、霧でできたスクリーンに映る。
それは僕だけのための、映画館のようだった。


まだ放送されていなかった6話分を一気に観てしまうと、テーマ曲が流れ出した。最終回の特別映像バージョンだ。僕は心が弾んでいるのを感じた。あっという間の6話だった。
しかし、僕の心は完全に消化不良を起こしている。エンディングももう終わり。最後は登場キャラクターたちが集合したカット。

もうおしまいか、と思った。それはアニメのことでもあり、僕の人生のことでもあった。
やっぱりダメだった。大好きなものに最後に触れても、死にたい気持ちは消えてくれなかった。
けれど、これなら魔神にも文句は言われないだろう。僕らしい終わり方だ。
ちゃんと死のう。
ちゃんと、ちゃんと……

ちゃんと、できるだろうか。

僕は顔を上げる。


「えっ……?」



『二期制作決定!!!!』


画面に大きく文字が写し出されている。

二期制作決定。最終回だったが、結末ではなかったのだ。

大好きなアニメは続くらしい。

僕の人生はーーー?


霧が晴れると、僕のベッドに魔神が寝転がってこちらを見ていた。
「満足したか?」
僕は、言った。
「新しい願い事を思い付いたんだ。あと2つ、叶えてくれるんだよね?」
呆れながらも、魔神はうなずく。
「一応、俺も仕事だからね。お前が自分で死なねぇ限りは願いを3つまで叶えなければならない。面倒くさいが」
魔神にしても悪魔にしても、やる気がないなと思いつつ僕は言う。
「アニメの続きを観たい。来年やるんだって。それを観たら今度こそ」
「今度こそ本当に死ぬんだな?いい加減自分の発言に責任を持てよ」
魔神は投げやりになって、すぐに缶から赤黒い霧を撒き散らす。僕の視界が暗くなった。



遂に、僕はアニメの結末を知った。来年放送される第二期で、そのアニメは幕を下ろした。

バッドエンドだった。

僕が憧れていた主人公はーー最後まで世界を救うことを諦めなかった彼はーー最終話で敵に体をめちゃくちゃにされて、壮絶な死を遂げた。

しかし、彼の死と引き換えに、世界は救われたのだった。

僕が死んでも、世界は変わらないよなと思う。
憧れは死んでも憧れのままで、僕は彼のようには絶対になれない。

けれど、心優しく勇敢で強かった彼が、死んで世界を救ったことを人はハッピーエンドだと言うかもしれないと思った。

いや、どうだろう。僕と同じようにバッドエンドだと言う人もいるのだろうか。


視界を包んでいた霧が、少しずつ薄くなってくる。光に目がじわじわと慣れていくのを感じながら、いとも簡単に呼吸ができている自分にも気がつく。世界はこんなに、酸素が濃かったのか。

「これで、悔いはないだろう?」
魔神の顔はもうにやけていない。魔神は僕への呆れが染み付いている真顔を、真っ直ぐに僕に向けていた。

「ダメだ……」

自分の言葉を吐いたのは、初めてかもしれないと思った。今まで他人に本音を言ったり、わがままを言うなんて難しくてできなかったのに、呼吸をすることと同じくらい簡単にできる。
……アニメの結末を知る前は、呼吸をすることも難しかったのだけど。

「死ねない」

人間が嫌いで、人間が恐くて、誰の言葉も聞きたくなかった。

けれど今、嬉しくて、悔しくて、愛しくて、辛くて、目の前が輝いている。

誰かの声が聞きたくて、外に出たくて堪らない。

口から息を吐くように、眼から涙が落ちた。


僕は言った。

「このアニメの結末を知ったら、みんなが何て言うのか知るまで、僕は死ねない」

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