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指輪をなくした話

2022年の10月になって、大事な指輪をなくしてしまった。
その指輪は、母方の親類に関わる指輪で、ぼってりと丸いフォルム、ずっしりと頼もしい重みがあって、私は好んで身につけている18金の指輪だ。

それがないことに気がついたのは10月に入って3日目くらい。そこから2週間も探し回っていた。
店のいつもの定位置にあるのかもしれない。
ない。
では、自宅のあそこか?
いや、ない。
それなら、車のあそこだ。
ない。
いつも持ち歩くカバンの中のポケットの一つ一つに手を突っ込んでみた
。ジャケットのポケット、たまに着るアウターのポケット。散歩のときのサコッシュ。
全部、念入りに探したが、どこにもなかった。

半ばあきらめかけた。
しかし、諦めきれず、祖霊舎(先祖を祀る、まあ、仏教で言うところの仏壇です)に柏手をうち、指輪を見つけてくれるようにお願いして、自宅をあとに店に向かった。

仕事をしている最中に、
「あ!」
と思いつくことがあった。そういえば、父の命日が9月30日だった。すっかり忘れていて2週間が過ぎていた。
翌朝、
「命日を忘れていてごめんね。お酒で勘弁してね」
そう言葉に出して祖霊舎に酒を供え、でかけた。

その日は、昼間から忙しい日で、あちこち用足をして周り、レシートやら釣り銭やら財布に戻す時間もなく、構わずカバンに突っ込んで、そのまま営業時間を迎えた。営業時間も忙しく、記帳は明日、まとめてやることにして自宅に戻った。

自宅に戻ると、まる1日、何もかもつっこんでいたカバンを整理すべく、ファスナーを開け、机の上にカバンを逆さにして中身を出す。
すると・・・

コロンッ!

指輪が転がり出てきた。
すべてのポケットに手を入れて、入ってないことを確かめた、カバンから。。。

まるで、自分の命日を忘れていた娘に、亡き父親がちょっとイタズラをしたかのような出来事だった。

こんな話は、私にとっては事実であるのだけれど、他の誰かには事実であることを証明しようがないことだ。怪談にもならないくらいささやかな出来事。

死者はあらわす徴は、誰にも証明のしようがないくらいささやかなことばかり。そういうことは気が付かれないことも多いのではないのか。
他人ならともかく、自分の父親が自分の側にいること、確かにそこにいるということを、娘である私は、信じてもいいのではないか。

なんとなく、そう思った。

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