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corset(お題:鍵穴、突き刺す、覗く )

覗かれているのは、わかっている。なぜなら、覗かれるために、俺はここに閉じ込められているから。


たかが鍵穴から、何をそんなに覗けるものかと思う。けれど、この鍵穴も覗くために存在するもの。少なくとも、この部屋にとっては。


何もわからないまま軟禁されてしまったから、ここがどこなのか知る由もないが、良く言えば趣のある、悪く言えばぼろ家であることはわかる。今時、こけしのような形をした鍵穴なんて、古い家にしかないだろう。


近付かなくても、いや、だからこそ近付きたくないんだが。鍵穴から覗いているその目が、昼夜問わずそこにあることはわかっている。


ああ、気味が悪い。


そんな不快感も、軟禁三日目で失せてしまった。





四六時中覗かれていることを除けば、生活に特に不満はなかった。


朝目を覚ませば、サイドテーブルに出来立ての朝食が用意されている。焼き立てのロールパンに半熟のハムエッグ、細かく千切ったレタスとプチトマトには橙色のドレッシングがかかっている。


昼食も夕食も、すでに揃っている。それらはタッパーに小分けされているので、昼もしくは夜になったら、部屋に備え付けの電子レンジで温めて食べた。


用意されるのは、食事だけじゃなかった。着替え、タオル、歯ブラシ、トイレットペーパー……。消耗品は、無くなりかけていたら、翌日には補充されていた(下着もちゃんと用意されていたのは、さすがに気持ち悪かったが)。


トイレも浴室もある。洗面所もある。生きる上で必要なことは、全て揃っている。


じゃあ、俺が覗かれているのも、生きる上で必要なこと?


この生活に馴染んできた俺は、何が正しくて正しくないのか、わからなくなっていた。





逃げ出そうとしたことはある。軟禁されたことに気付いたときとか。


明らかに年季の入った扉であることは、素人目にもわかる。叩き壊せそうなものはその場になかったが、これなら、喧嘩に自信のない俺でも叩き壊せるのかもしれない。


それなのに、鉄扉をこじ開ける方が簡単だと思えるほど、その扉は壊せるどころか、傷一つ付けることも出来なかった。塗装はこんなに剥げているのに、どうして。


そして、その場に座り込んだ俺は戦慄した。目が合ってしまった、鍵穴の向こうのそれに。


俺は窓辺まで後ずさりし、ぶ厚いカーテンに隠れたそこからなら逃げ出せると、今更思い立った。しかし、結果は同じだった。罅まで走っているのに、それを割ることは到底出来なかった。


俺は絶望し、疲労に身を任せて眠りに落ちた。


翌朝、出来立ての朝食がサイドテーブルに用意されていた。





このまま生涯、何不自由なく暮らすのもいいかもしれない。俗世から離れ、気持ち悪い召し使いをお供に――。


「良くもないがな」


さっと立ち上がると、そんなに勢いが良かったのか、座っていた椅子が後ろに倒れた。俺は真っすぐ鍵穴へ向かい、その前に立ちはだかった。腰を落として、目を合わせてやるつもりはない。


「どけ」


何の感慨もなく、俺は鍵穴に人さし指を突き刺した。寒気のするような感触と共に、悲鳴なのか呻き声なのか、くぐもったそれが辺りに響いた。


すると、ずっと俺を拒んでいた扉が何の前触れもなく開いた。まるで扉の鍵が、俺の意志次第だったとでもいうように。


俺は、床に転がっているだろう何かには目もくれなかった。俺の優雅な軟禁生活は、あっさり終わりを告げた。


眼前には、煤けた窓に、煤けた空。


今日は、雨が降りそうだと思った。

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