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憶測でも意見を述べたがる「私」〜擁護することは、攻撃の可能性を秘めている〜

2024年始まってメンタルが崩壊しかけている。
なぜ、こんなにも心を揺さぶられてしまうのか。

嘆いていても仕方がない。

現在の私は、『君の名は』で三葉の記憶がなくなったタキくんが、糸森町について調べていた時のようなのだ。

怒涛の勢いで連日のニュースの背景を調べている私。

そして、性加害報道やセクシー田中さんの件について、憶測でしかないのに自分の考えを表明したくなることが恐ろしかった

本当なら本屋大賞ノミネート作品をじっくりと読みたかった。けれど、そんな気分にもなれず、たまたま手に取った本はステータス・ゲームの心理学: なぜ人は他者より優位に立ちたいのか


本書の一部を私なりに解釈すると、どうやら現在の私は自分の道徳感を社会的に誇示するゲームをしているようだ。

わかりやすく言えば、社会的に道徳的な存在であることを証明するために躍起になっているということだ。

この道徳感を誇示したい欲求の正体を探るべく、AIに質問を投げかけてみた。

Q.どうして人は憶測でしかないのに、自分の道徳感に基づいてSNSで発信したがるのでしょうか?

AIの返答

人間は自分の道徳感に基づいてSNSで発信したがるのには、いくつかの理由が考えられます。 たとえば、以下のようなものです。

- 自分の意見や感情を表現することで、自己肯定感や満足感を得たり、ストレスを発散したりするため¹。

- 自分と同じ価値観や思想を持つ人たちとつながり、共感や支持を得たり、仲間意識や帰属感を感じたりするため²

- 自分と異なる価値観や思想を持つ人たちに対して、自分の正しさや優位性を主張したり、批判や反論をしたりするため³

- 自分の関心や関与のある社会的・政治的な問題について、自分の立場や責任を示したり、変化や改善を促したりするため⁴

これらの理由は、人間の基本的な欲求や動機に関係しています。
しかし、SNSでの発信は、必ずしも正確な情報や客観的な事実に基づいているとは限りません。
人間は自分の信念や感情に合致する情報を選択的に受け入れたり、不都合な情報を無視したりする傾向があります。

また、SNSでは、他者の反応や評価に影響されやすく、自分の発信内容を調整したり、過剰に強調したりすることもあります。 これらのことから、SNSでの発信は、憶測や偏見に基づいていることが多いと言えるでしょう。

SNSでの道徳的な怒りや批判は、自分や仲間の正義感や道徳感を満たすことができますが、同時に他者の道徳感との対立や分断を招くこともあります。

SNSでの発信には、自分の言動に責任を持つことが求められます。 SNSでの発信をする前に、自分の情報源や根拠を確認したり、他者の視点や感情を考慮したりすることが大切です。 SNSでの発信は、自分の道徳感だけでなく、社会の道徳感にも影響を与えることを忘れないでください。 😊

ソース: Bing との会話 2024/2/2

(1) SNSの「いいね」は怒りを増幅させるフィードバックループを生む──イェール大学が論文発表

(2) SNS は人間関係を変えた - Kyoto Women's University

(3) 大学生における SNS 利用と自己表出傾向との関連

(4) 子どもたちはなぜSNSにハマるのか - 2010 年代のSNS利用とトラブルの動向 - 国立情報学研究所

かなりグサリと刺さる内容だった。
何に刺さったかはここでは記さない。

しかし、憶測でしかないのに物事を語りすぎる理由の一端については知ることができたように思う。

最後に

・自分の道徳感に基づく擁護は、異なる道徳観をもつ方々への攻撃になりかねないということ。

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