ロボットと人間の違い、母親

どうしてこんなにも、自分は愛情や居場所を欲しているのか分からなくなってしまった。

私はなぜ、こんなにも自分の「母親」という「女」から「愛情」を欲しているのか



この「母親」は、まだ幼くて、もしかすると私よりも小さい女の子のような気がする。
愛を、自分を、受け入れたい、受け止められたい。「自分」というやり場に困っている、または、自分という人間や欲求が満たされる「幼少期」で止まっているような気もする。

もしかすると、まだ、思春期にも入っていない。
小さい小さい女の子。





「母親」という人間について理解したつもり。
でも受け入れるのは難しい。

だって、それでも、一応私を産んだ「母親」なのだから。


愛情や居場所に諦めたら、誰が私を受け入れてくれるのだろう。諦めた方がいいのか。 





人は、愛に生きることを諦めたらロボットになってしまう。「愛」って大きい。人間の魂が肉体が生き続ける間、人間の体は「愛」で生きてる。
ロボットと人間の違いだと思う。




でも、この「母親」から「愛情」を貰える日はないのかもしれない。こないのかもしれない。
私は私なりに、母親と仲良くなろうと頑張ったつもり。



私がいない方が家庭の雰囲気は乱れないのかも。

母親を「お母さんが全て正しいよ」と、うんうんと頷きながら肯定し続け、受け入れたつもり。

でも、それが良くなかったのかと。

たまに私の方が「大人」なのではと勘違いするくらい。



いつの間にか私は「母親のストレスを発散するための機械」に『ロボット』になってしまった。


ロボットになった私に私が気付いてから、
母親の言葉を聞きたくなくて、母親に同情したくなくて、母親を避けてきた、それなのに、母親を求めている。 
私は私を受け入れてもらいたい。
母親は母親という自分や自分の人生を受け入れてもらいたい。

自我が強いのか、ワガママなのか、愛に重いだけなのか

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