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『シン・エヴァンゲリオン劇場版』感想/ありがとう、わたしだけの(あなただけの)エヴァンゲリオン

(※ネタバレあり)

感想と言っても何から書けばいいのか。
庵野秀明さん、ならびにスタッフ・キャストの皆様、本当にありがとうございます。
まずは感謝の言葉しかない。

わたしとエヴァンゲリオンの出会い。
小さい頃、父親に連れられたレンタルビデオショップ(!)。
店内に配置された小さいテレビの中で戦うエヴァンゲリオン弐号機と量産機の姿が妙に頭から離れなかった。

それから数年が経った中学生時代、まずはコミック版を購入し、初めてその物語に触れることになる。今でも覚えているが、その時に発刊されていたのは9巻までで、お年玉で大人買いをした。

その内容は衝撃的で、一気にのめり込んだ。
単純にEVAやその武器、第3新東京市や使徒といった舞台装置や設定のディティール、世界観。そして自分も思春期真っ只中というのもあったかもしれないが、そんな世界の中で執拗に描かれる、碇シンジという少年の内面描写に強く惹かれた。
名作とされているだけあって、これは原作(アニメ)も観ないとならないと思った。
そして原作(アニメ)は、チルドレン達と同じ、14才になったら観ると決めた。

そして14才、近所のゲオで借りてきたVHS(!)を、実家の小部屋の片隅で再生した。
OP映像と音楽が完全にマッチしているかっこよさに感動して、涙を流したのを覚えている。
旧劇場版まで通して観た。全てを理解したとは言わない。つぶさに説明しろと言われても難しい。わたしは考察らしい考察を調べたこともない。でも目の前のフィルムに描かれている映像、その質感、質量と熱量。込められた感情。観終わった後、その全てに圧倒されて、呆然とした。観ているあいだ、自分の中の様々な感情が呼び起こされた。
凄かった。感想はそれで充分だったと、わたしは思う。

わたしの中に残る確かなものがあったこと、それだけで、作品とわたしの間のコミュニケーションとしては充分だ。
というか、わたしにとってエヴァンゲリオンってそういう作品だ。謎を細かく考察して自分の脳に深く刻んでいく人もいれば、何もわからずただ圧倒されたことだけが原体験として残る人もいると思う。
みんなの中に、みんなだけのエヴァンゲリオンがある。それがこの作品の魅力だと、わたしは思う。

だからこれから書く話もすべて「わたしの」エヴァンゲリオンの話だ。異論のある方もいるかもしれないが、あなたはその、あなただけのエヴァンゲリオンを大切にしてあげてください。

まず誰よりも綾波レイというキャラクターのことを考えてきたはずの林原めぐみさんが、"あの"綾波レイを演じていたことに、涙が止まらなかった。
感情表現が苦手な綾波レイの微細な人間味を掬い取り、丁寧に表現をしてきた林原めぐみさん(にんにくラーメンチャーシュー抜きのエピソードは有名ですね)が、あんなに無垢に、見るもの全てに感動し、「生きる」をしている綾波レイを演じているということ。
「わたしが死んでも代わりはいるもの」と言っていた綾波が「寂しい」「ここに居たい」と素直に発する。
それを今、林原めぐみさんが演じているという事実それ自体があまりに尊くて、涙が止まらなかった。

そして、アスカ。
14才の姿のまま、でもちゃんと大人になったアスカの優しさと切なさと孤独よ。それがわたしには、いたく耐え難い。
序盤、シンジにキツく当たっているように見えるけれど、実はトウジよりも、ケンスケよりも、誰よりもシンジの心情を理解して、言語化してあげているのがアスカだった。
それは逆に言うと、シンジとはもう同じステージにいない、シンジとは完全に分断されてしまったことをも示している。

出会い頭に裸体を晒し「ちったあ赤面して感激したらどうなの?」と軽口を叩くが、あれも失語症になったシンジの感情を呼び起こすために、わざとやったのかもしれないと思う。その後DSSチョーカーには反応を見せるシンジの様子を観察しているし。14才のアスカにはそんな大胆な気遣いはできなかったし、大人になったアスカだから出来たことだ。
またマリとの会話で「ガキに必要なのは恋人じゃない、母親よ」というセリフがあったが、アスカはケンケンの存在に助けられたことからそれを既に知っていて(つまりケンケンは恋人よりかは親に近い位置付けの存在といえる)、つまりそれは、シンジの通ってきた道はもうとっくにアスカは通ってきていて、シンジと対等ではいられないということだ。

そう考えると「私が先に大人になっちゃった」というセリフが、本当に泣ける。

14年の月日の中でアスカは何を感じ、どう生きてきたのだろう。そしてかつて好きだった少年が14年前の姿・精神で現れた時、何を想ったのだろう。
見た目は変わっていないのに、何もかも変わってしまった自分と、全てがあの頃のままのシンジを比べて、何を想ったのだろう。
14才の姿のまま大人になったアスカの存在は、子供と大人の間で揺れ動くチルドレン達を描いてきたエヴァンゲリオンという作品の中でも、新しく象徴的だったと思う。

そしてラストシーン。旧劇場版のあの海で、あの二人の関係にケリがつく。あれは果たして惣流なのか式波なのかという論争が花を咲かせていると小耳に挟んだが、そんなことはどっちだっていい。アスカはアスカだ。あのシーンは、シンジとアスカの関係にケリがついた。ただそれだけでいいとわたしは思う(これは綾波(仮称)がシンジに名前を付けてもらおうとした時に、シンジが「綾波は綾波だ」と返すところとも繋がっていると思う)。

そしてミサトさん。かつて「大人のキス」という歪んだ形でしかシンジの背中を押せなかったミサトさんが今作、母として、そして立派な大人としてシンジの背中を押す。

ミサトさんはアニメ版の頃から、大人であろうとしつつも、大人になりきれない存在だった。
それが今作では14年経ち、名実ともに母となり、自身の父の贖罪をも背負って、ゲンドウとの戦いに挑む。Qまでで経た14年は、前述のアスカの存在にも大きく関係しているけれど、ミサトさんが大人になるためにも必要な期間だったのだと思う。
(まあでも息子に加持さんと同じリョウジという名前をつけるあたりは、ミサトさんらしい歪みであり可愛げだとも思った)

というか14年の月日、いうなれば時間という揺るぎない要素は、シンで旧劇場版と異なる答えを表すのに必要な存在だったのだと思う。
アニメ版と旧劇場版では、ミサトさんも、リツコさんも、ゲンドウだって、シンジ達チルドレンに対する「大人」という属性のキャラクター・舞台装置だった訳だけれども、
そんな彼らも本当はそれぞれに歪みのある子供だった訳で、今作ではそこからさらに14年経っている。
その結果ゲンドウも自分なりの答えを見つけシンジと向き合っているし、
リツコさんだって、ノータイムでゲンドウを撃てるようになった!(シンでの世界線で旧作と同じようにゲンドウと不倫関係にあったかはわからないけれど)
そう思うと、鑑賞当時は急に吹っ飛ばしてきたな〜と感じたQの「14年後」という設定は、シンの終わりに向けてどうしても必要だったのだと感じる。

そしてわたしがノーマークだったのはカヲルくんだ。
カヲルくんはあの荒んだ世界の中で、唯一シンジのことを素直に、心の底から愛し、手を差し伸べてくれる貴重な存在だ。今作でもそれは変わらず、わたしは彼をいつだって救う側の存在なのだと信じていた。
そのカヲルくんが、今作で救われるだなんて。

わたしは無意識のうちにカヲルくんのことを特別視し、除外していた。でも他のキャラクターと同様にカヲルくんだって、きちんと救われるべきキャラクターだったのだ。
それはそうだよ、あの世界の中で何度も何度もシンジのことを想って真摯に尽くしてきたカヲルくんが、救われなくていいはずがないもの。
庵野秀明さんの舞台挨拶も拝見させていただき、非常に誠実な方だという印象を受けたが、本当に自身の携わった作品とキャラクターに対して誠実な姿勢を持っていたということを、この点からも感じられたような気がした。

シンエヴァは賛否両論らしい。それはそうだろう。前述した通り、エヴァはそういう作品だから。きっと観たそれぞれの人の中に、その人だけのエヴァがあって、勝手に救われたり、「思ってたのと違った」と憤ったりも、そりゃするだろうと思う。
でもわたしには少なくとも、とても良かった。
わたしにとってエヴァは、碇シンジの物語であると同時に、庵野秀明という人の物語でもあった。あれから26年の月日が流れて、碇シンジが、ひいては庵野秀明さんがこういう結末を描けるようになった、その軌跡すら、わたしには涙するに値するのだ。
26年。その間、わたしにも色々あった。そしてそれは庵野秀明さんも同じことだろう。いや、作品に携わった大勢のスタッフの方々やキャストの方にとっても、それは同じことだろう。
そうした沢山の人生の全てが積み重なったからこそ、このエンディングは生まれた。そして今日までの積み重ねがあったから、それに感動できるわたしがここに立っていた。そして奇跡的にこの2つが同じ時に交わり、このエンディングに立ち会えた。そのことにわたしは、感謝しかないのだ。
あの日、アニメ版最終回でブラウン管から貰った「ありがとう」「さようなら」そして「おめでとう」の言葉。今度はそれをわたしから作品に捧げたい。

わたしのエヴァが終わってしまった。
そしてエヴァが終わっても、わたしは生きていけてしまう。シンエヴァのエンディングは、わたしにそう思わせてくれた。
(庵野秀明さんだって、次の作品作りに取り掛かっているらしい、エヴァが終わっても人生は続いていくことを体現していて最高)
ちゃんと卒業させてくれてありがとう、さようなら、そして完結おめでとう。

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