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きょうだい児の大学生 生きてます。そしてたらたらつらつら書きます。

何から書けばいんだろうか。
届いて欲しいなんて大それたことは言えないけれど、きょうだい児の親御さんにさらっと読んでもらえたら少しは救われるかもしれない。
自分がきょうだい児であることなんて親族以外には話したことない。二人兄弟の兄が軽い自閉症だ。親友でさえ知らないのに見ず知らずの人に向けて書こうと軽い気持ちで思った。
まず、死にたいとまではいかないけれど、生きていたくない。安楽死があるなら間違いなくそれを選ぶ。そんな感じで生きてます。原因はよくわかりません。きょうだい児とかも要因には含まれているんでしょうが、要因の一つに過ぎません。
経済的にはとても恵まれていて、私立に通っていたし、奨学金も借りず大学も通わせてもらい都内で一人暮らし。世の中の人から見たら恵まれすぎていることも重々承知しています。
友人関係、一緒に余裕で暮らせるような親友たち、他にはそこまで広いとは言えないが狭くはない交流の輪もある。
父親が嫌いだった。
部活で戦った敵とか自分のプレーとかさえすぐ忘れる自分です。たしか5歳以下の頃だと思う、イヤイヤ期に父親に憤慨して「パパ嫌い!」と言った記憶だけは鮮明だ。怒るのは苦手だ、毎回泣きそうになっていた気がする。小学生が最後だと思う。しかし、父には何度も何度も高校生になろうと憤慨して、何度も説得しようとした。泣きそうになりながら、父に淡い期待を持ちながら。
何におこっているんだい?とかはまたあとで。
母親は強い人だ。身体は小さい、けれどこの人は乗り越えてきたんだろうなっていう明るさがある。それが自分にとっては辛いのは置いとくが。多分、昔は弱かっただろう、今の自分みたいな脆さを持っていたんだろう。しかし、兄を産んで強くなったんだと推測している。産んだ当初はやっぱりきつかったって言ってたのを覚えてる。アンパンマンの歌の「なんのために生まれて何をして喜ぶわからないまま終わる、そんなのはいやだ」その歌詞が嫌でアンパンマンを観れなかったとも言ってた。たくさんの愛を貰った。今も貰っている。受け取れないよ今の僕には。やめてくれ。
お兄ちゃん。軽い障害だから、家事の手伝い、カップ麺とかレンチン、仕事(軽いの)もできる。きっと、他の障害をもっている人やその家族からしたら少し羨ましいという気持ちを持たれるかもしれない、邪推だが。ただ、自分の非を認められなかったり、弟である僕の意見はうまく呑み込めなかったりはもちろんする。『光とともに』を幼稚園の頃から読んでいたり、他の障害を持った家族とのコミュニティと関わったり、それなりにきょうだい児として障害と向き合ってきたと思う。お兄ちゃん好きだよ。悪くないよお兄ちゃんはなにも。ありがとね。
つかれた、また気が向いたら書いてみる。

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