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思い出の概念を間違えると生きる気力を失うかもしれない 1/2

こんにちは。NOTE投稿初心者、おもいでんです。

今日は記念すべき2投目ということで、

自分のクリエイター名にもなっている“思い出”について書きたいと思います。

とくに、思い出の概念を考え直すのって大事だなーと最近思ったので、そこら辺をみなさんと共有したいなと。


ところでみなさん、

「今までで楽しかった思い出は何ですか?」

っていきなり聞かれて即答できますか?

5分くらい考えさせてほしい、って人もいるだろうし

パッと瞬間的に最近楽しかったことを答える人もいるかもしれません。


でも私はこの質問を今年ある人にされたとき

頭の中が真っ白になって、

結局そのあと5分間考えてもなーんにも浮かばなかったです。

“は?え?楽しかった思い出?え、ちょ、うーん、なんだろう・・・”

って考えながら、頭の中のタンスを引っ掻き回すんだけど、

ポンポン出てくるのはいやーな記憶ばっかりで

「楽しかった思い出」が全然出てこない。

どこそこで何食べた、とか、どっか行った、

っていう記憶は沢山あるけどそれがどれくらい楽しかったのかよく思い出せない。

勿論、23年も人生生きていれば楽しい瞬間もあったはずなんだけど

その上に重く「嫌な記憶」がのしかかっていて、

すぐに楽しかった思い出とやらを引き出すことが出来ない、みたいな?


こう書くと、さぞ現実世界に大変なことがあるのだろう、

と思われてしまいそうだが、そういうわけでもない。

いたってフラットな精神状態のときその質問をされたのに、

答えられなかった。

毎日ただやらなければいけないことに追われて、思い出を作っている感覚がなかったのかもしれないし、嫌な記憶の方が頭に残りやすい性質なのかもしれない。

いずれにせよ23年間も生きてきて、語るべき思い出がないことに漸く気づいたのよ。


ていうか、「思い出づくり」とか「思い出のアルバム」とか、「おもひでぽろぽろ(たしかジブリ作品で、家にビデオがあった)」とか「メモリー」とか、思い出ってそこら中にあふれてる言葉だけど、

それについて考えたことすらなく、“記憶”と“思い出”の違いすら分からなかった。

強いて言葉にして説明するならば

私にとって思い出とは、“過ぎ去ってから思い出す記憶のこと”に過ぎなかった。

そして、思い出は往々にして人を苦しめるとも思っていた。

例えばペットロス。

そのペットとの楽しい思い出があればあるほど、それを失ったときの悲しみは深くて大きい。

一緒に過ごしていた時のあたたかさを知っているからこそ、

冷たくなった体に涙があふれてくる。

そうして大切な存在との楽しい記憶がたくさんあればあるほど、

いつの日かそれを失ったとき、

思い出は私たちの心をえぐるものだと思っていた。



・・・・・・・・と、ここまで書いて共感してくれた方がいますか?

もし、分かるわー、ってなったら正直あなたヤバいと思います(何様貴様)。

先の質問にパッと答えられる人にはそんなに大げさに書くようなことか?って感じるだろうけど、答えられない人にはこれが結構やばいと実感すると思う。

何故なら、私はこの考え方のせいで生きる意味を見失いかけたから。

生きる意味もわからず、無気力にただ生存していたから。


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だって・・・・

と、この先は長くなりそうなので

思い出の概念を間違えると生きる気力を失うなと感じた理由については

次の記事で書こうと思います。


ここまで共感してくださった方はぜひ、読んでほしいなー


あと、めちゃくちゃ遅筆なので何日かに分けて少しずつ書いてたら語尾が安定しなくて多重人格みたいになってるけど悪しからず(笑)

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