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#102 遠隔授業の”夏休み”

 新型コロナの影響で、5月8日に遠隔授業が始まり約3カ月間の授業が昨日終わり、今日8月8日から8月16日までの期間は講義がない「夏休み」がやってきました。残り二回の前期授業は遠隔と分散登校の併用で、その後登校で前期末試験の実施予定です。「いつもの夏」とは違う今年の夏です。もしかすると、この夏が「これからの夏」になるかもしれません。誰も先のことは予見はできないと思うのですが、その覚悟を持ってモノゴトに対処するかで行動が変わると思います。

遠隔授業で気づいたこと

 いつか訪れるであろう出会った教室でのパソコン利用や、遠隔授業配信が、新型コロナの影響で日本中で”イッキ”にやってきました。その中でいろいろと気づいたことがあります。

1.「知らない人の秘めた力」

 できなくなったことを嘆くのは、それまでに何かを成し遂げた人だと思います。まだこれから成長する人は、できなくなったことの価値を実感できていないので、嘆くよりも、別の何かを探してそれを自分の力にしようとします。

 具体的には、教員の立場では、”頭でわかっているつもり”でも、ついつい黒板の授業を遠隔配信に「置き換え」をしようとしがちです。(知性は理解しても、感性が腑に落ちないこと、ありますよね。アレです。)一方学生さんたちといえば、PC,スマホ、タブレット、電子ペーパー、プリンタで印刷した紙などなど、自分に合った媒体をこちらの思わないような使い方をして授業に臨んでいるようです。資料を全部印刷して壁に貼って眺めているという話を聞いたときには、スゴイと思いました。自分が学生のときには思いもつかない方法です。授業コンテンツが電子化して、それを全体を俯瞰してみるというのは自分には思いつかないので驚きました。ポイントは、自分自分に合った方法を選び、それを実行して、結果を出すというところですネ。

2.「新しいモノの秘めた力」

 「組み合わせ」というと、ちょっと地味な感じがしますが、「上手い組み合わせ」はキラキラしています。例えば、昨日行われた遠隔での研究中間発表会では、タイムキーパーの学生さんが今までのように各発表の時間計測ソフトのスタートストップをしてくれました。私は昨日まで、遠隔授業で利用しているソフトで参加者のアイコンがメイン画面の下に小さく表示される機能があることは知っていましたが、「画面共有」と「ピン止め」するとメイン画面の下に表示される機能は知りませんでした。コンピュータを使うとき、取扱説明書(マニュアル)をすべて読むのは現実的にはほぼ無理で、必要なポイント、知りたいことを如何に探すか、あるいは知っている人に聞ける力、がとても大切になってきます。発表者の画面がメイン画面に表示されながら、タイムキーパーが時間を計測して、座長が司会進行して、質問者が「手を上げ」て指名されてから質問して発表者が答えるという、「いつものスタイル」で発表ができていました。いや、むしろいつもより「見やすさは改善」していました。参加者は、広い会場で小さなスクリーンを苦労してみることがありません。

 3.「視線の持つ力」

 遠隔授業で顕著なのは、表情、特に視線を互いに検知できないことだと思います。以前のnote記事で書いたように「相手がどこを見ているか」はコミュニケーションには、必須だと思います。

いくら本を読んでも、著者の頭の方向である”視線”は感じられません。(文章を通して、著者の考えの”視点”は感じられますが。)部屋の中で、自分が話した時に、一斉に自分に視線が集まるあの緊張感は、今のところどれだけ大きな画面でどれだけたくさんの参加者の画像が出ても、「自分を見ている」と感じることはできません。

 夏休み明けの授業準備をしていて、ふと思ったことを書いてみた「夏休み最初の日」でした。