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『日本人の自覚するより深い傷』 第5話【大東亜戦争はなぜ太平洋戦争と改称されたのか】

【大東亜戦争はなぜ太平洋戦争と改称されたのか】
 
第二次世界大戦は、1939年9月1日から1945年9月2日までの6年余りにわたって続いたドイツ・イタリア・日本などの日独伊三国同盟を中心とする枢軸国陣営と、イギリス・フランス・中華民国・アメリカ・ソビエト連邦などを中心とする連合国陣営との間で戦われた戦争で、人類史上最大の死傷者を生みました。
 
また、その一部と言われる大東亜戦争: Greater East Asia War)は、1941年12月8日から1945年8月15日にかけて行われました。大東亜戦争は、日本(大日本帝国)と中華民国・中国共産党・アメリカ合衆国・イギリス帝国・フランス・オランダ王国が日本、及び東南アジアで繰り広げた戦争で、日本対アメリカ軍を中心とする一部の連合軍が戦ったものです。
 
しかし、WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)は戦争の名前さえ変えさせました。
「大東亜戦争」を「太平洋戦争」または、「第二次世界大戦」と言い変えさせたのです。
なぜ変える必要があったのでしょうか。
 
日本が行った『大東亜戦争』というのはそもそも「欧米の植民地支配からアジアを守ろう」とするアジアの聖戦でした。
我々アジア人が欧米の残虐な植民地支配から解放され、『大東亜共栄圏』を築くために日本が前線に立ち、東アジア(朝鮮半島、台湾)と東南アジア諸国を一つにまとめ上げ、日本を盟主とした共存共栄の欧米列強に負けないアジア経済圏を作ろうと提起されました。
その戦争の名前にあるように大きな東亜細亜で共に栄える圏を作るための戦争だったのです。
 
そもそも、日本が『大東亜共栄圏を築くアジアの聖戦』と唱えたのには、アメリカの『オレンジ計画』の存在があったとされています。
『オレンジ計画』とは、アメリカによる対日侵攻50年計画、つまり、日本を仮想敵国とした戦争計画のことです。セオドア・ルーズベルトが1897年に策定、甥のフランクリン・ルーズベルト大統領が1941年に発動した「日本征服計画」でした。

「日露戦争の停戦を仲介し、その功績でノーベル平和賞まで受賞した親日家」と思われていたセオドア・ルーズベルトの裏の顔は白人至上主義者であり、日本人の遺伝子まで憎んだとされるフランクリン・ルーズベルトに大きな影響を与えました。
フランクリン・ルーズベルトは、「日本人は頭蓋骨の発達が白人より2000年遅れているから邪悪なのだ」など、これ以上書くのも憚られる言葉を数多く残しており、特に日本人を病的に蔑視していました。
大東亜戦争開戦の44年前から計画されていた『オレンジ計画』が日本に漏れないはずもなく、日本が「欧米に負けないアジアを望んだこと」は当然であり、「日本がアジアを侵略した」というアメリカの主張とは全く反対の思想に基づく戦争なのです。
 
大東亜戦争の発端であり、目的のもう一つは、「自存自衛」。
1940年アメリカ政府が日米通商航海条約を一方的に破棄し、石油やくず鉄の全面輸出を禁じる経済制裁を日本に対し発動しました。石油の7割をアメリカからの輸入に頼っていた日本にとっては経済的な打撃と同時に、艦隊や軍用機が動かせなくなり、軍事的にも大きな打撃を受けることになりました。
日本政府はアメリカ政府と外交交渉を続けていましたが、アメリカ政府からさらに厳しい日本の在アメリカ資産の凍結制裁が出され、日本側は「交渉妥結の見込みはない」と判断し、最終的に開戦を決定。
石油を産出するオランダ領東インド(現在のインドネシア)を占領するなどして、“自給自足”の体制をつくり、アメリカ・イギリスに対抗しようとしました。
 
しかし、戦後、敗戦国であった日本からGHQは、その戦争の意義と名前さえ奪い、「これは日本が東アジア、東南アジアを侵略し、残虐に支配し、極悪非道な行いをアジアに対して行った戦争」という認識に書き替えさせる洗脳を行ったのです。
これが、現在でも韓国や中国をはじめ、反日教育、反日運動を行う周辺諸国の根拠となっているのです。
日本人は、そのプロパガンダ戦略に完全にはめられてしまい、今でも自虐史観を持たされています。

GHQは、日本人に対して洗脳や検閲、焚書工作を行い、戦前の日本を侵略国家として描き、平和憲法を自ら求めたという虚偽のイメージを広めました。
これは戦勝国が日本に対して押し付けた虚偽行為であり、日本人の自国史に対する誇りを奪う効果も絶大でした。

日本人は愛国心にネガティブな反応を示し、事実無根のアジア諸国に対する負い目を感じるようになりました。日本は戦後も日本の弱体化を望む国や人によって翻弄されていきました。
皇室、日の丸を見ただけで、嫌悪感に似た感情を抱く日本人がいたり、反日感情を自国政治に利用する近隣諸国情勢に翻弄され、反省に似た感情を抱き、されるがままの謝罪外交を今でも行っていることは、虚しささえ感じさせます。

しかし、これらはGHQによる洗脳の成果であり、真実とは異なる歪んだ歴史観と自覚しなければ、今後も悪用され、自国の愛国心、経済成長、歴史調査、そして個人のアイデンティティ形成やメンタルヘルスに悪影響を与え続けてしまいます。
 
戦後、膨大な文書を蓄積していた東京・霞が関や軍部のあった市ヶ谷などでは、何日間にもわたって焼却の黒煙が立ち昇っていました。そして、陸海軍や内務、外務、大蔵省など日本のあらゆる組織の機密性のある公文書が焼却されました。
その出来事を取り上げて、「燃やしたから植民地でした残虐な行為や差別の記録がないのだ。」「この時に焼き払ったものは、日本が隠したかったそれらの証拠だ」と反日の人は言うのです。
失った以上現代の日本人含め、だれも「違う」とは証明できないでしょう。この焼却事件は戦争の経緯などの歴史研究や事実証明に大きな打撃を残した隠ぺい事件だったことは間違いありません。
 
しかし、GHQが占領し監視している中で、日本人が不利となるような書類を何日も焼き続けるのをGHQがただ見ていたわけがありません。
GHQが日本政府に燃やさせたのは、戦争自虐思想情報工作(WGIP洗脳)にとって不都合な「真実の歴史的証拠」でしょう。
本当の歴史がばれてしまうとプログラムの進行の邪魔になり、何十年後かに出てきて嘘がばれることを恐れたのです。
真実の記録だからこそ、その量は膨大で、日本語の理解が難しく、どこかに暗号的記録がある可能性もあり、無差別にあらゆる日本の重要文書を焼き尽くさせたのだと説明がつきます。
 
日本は戦前、暗号読解能力が非常に高く、特に陸軍の暗号解読能力は世界トップクラスでした。世界に留学した多くの日本人暗号解読者、語学研究者や数学者を集め、グレイ,ブラウン,A1,B1,C1,D1,M138等のアメリカで使用されたコードやイギリスでも解けなかった複雑な暗号(ストリップ暗号)を解いていました。

暗号は、古くからあるものの、戦争と共により高度化し、世界中の戦争で使用され、作成と読解のスピードが戦争の勝敗をも左右し、暗号戦争または情報戦争とも言われています。
1930年頃、ドイツ、ソ連と国境を接するポーランドで学んだ百武晴吉をはじめ、暗号作成と暗号読解を任務とする暗号班が作られ、当初は語学偏重でしたが、1939年アメリカ海軍がストリップコードを導入するようになると、高度に数学的な技法の解読が必要となり、暗号作成班が通信課となったことを機に数学者動員が始まりました。
これらの暗号解読者達が培った暗号読解技術は、やはりアメリカにとっては今後の国防を揺るがす脅威の記録であり、確実に全焼されなければならないものでした。
 
日本が燃やされたのは、日本の知識と研究の結晶、開戦の大義を証明する歴史だったのです。
 
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