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「わたし、定時で帰ります」を実践している同期の話。

ここ最近、土日は思い切って12時間寝るようにしている。しかし月曜には疲れ果て、また振り出しに戻ってしまう。社会人はこの繰り返しだと考えると、なんだか報われないなあ、という気持ちにもなる。

私の先月の残業時間はピー時間だったのだが、同期にたった10時間という猛者がいる。定時になるとすぐパソコンを閉じ、人目を気にせず退勤する。彼は残業をひどく嫌っていた。理由はシンプルで、「給料が発生しないから」だった。

制作職あるあるなのだが、私の会社はみなし残業やら裁量労働制やらを導入している。深夜まで働いたところで振り込まれる給料は変わらない。それなら早く仕事を終わらせて、早く帰ろうというのが彼のスタンスだった。

彼は東京、私は大阪勤務なので、その働きぶりを間近に見ている訳ではない。しかし、「恋人かよ」と思われるほど毎日メールでやり取りしているので、仕事の進捗状況など詳しく入ってくる。彼は一日のスケジュールを綿密すぎるくらい徹底して管理し、効率化の鬼と化して働いているらしかった。

私は彼のような人間が会社にいるのは良いことだと思っている。私の会社には「残業してる人が評価される」みたいな風潮がある。
これを時代錯誤と言いたいわけではない。人は頑張っている人が好きだ。私は大学受験で苦しんだタチなので、同じように勉強を死ぬほど頑張っている学生を見ると「頑張れ」と応援したくなる。だから残業を肯定する風潮というのは、若手(部下)を好きになるうえで必要だとも思う。「あの日の自分みたいに頑張ってほしい」と自己投影できるのだ。

しかし残業を肯定しすぎると、自分の仕事が終わっているのに帰りづらい雰囲気が生まれる。定時で帰っていいはずなのに、罪悪感を感じる。これはちょっといけない。無言の圧力による拷問みたいなものだ。しかし、彼のように絶対定時で帰るマンがいることで、社内新しい風が吹き込むように私は感じる。

「もっと仕事頑張れば、みんな君のことを好きになるのに、残念だね」
そんな上司の一言がきっかけで彼はもっと残業しなくなり、大阪でも噂になった。
そして、平日のアフターシックスは、もともと本気で取り組んでいたバンド活動に、また精を出すようになった。高校時代は全国大会で優勝するような有名人だったらしい。

彼もまた、私とは違ったタイプの社会不適合者なのだと思う。しかし、とがるなら、とがりきって欲しいと私は思う。結局、自分のやりたいことをとことん突き詰められる人間が生き残る時代にこれからはなる。人工知能が発展すれば、代替の効きやすい人間ほど、無情に切り捨てられていく。

私はとりあえず、「文章を書く」「何かを生み出す」ことを極めていきたいので、彼とは違い、今の環境を甘んじて受け入れていくつもりだ。

さて、今日もがんばって残業だ。

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