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「ふらり。」 #5 浅草のドジョウ

イマジナリーフレンドが100人いる主人公、
学文(まなふみ)のふらり、ふらり小説。


「どぜう鍋」

この年の夏は梅雨明けも早く非常に暑い日が続いていた。学文は連れと昼飯を食いに浅草にドジョウを食べに行くことにした。

東京という街は世界でも有数の大きな街である。どうしても東京と一括にしてしまう事があるが、実際は地方都市の集合体の様な物で新宿や渋谷、六本木、銀座、23区外…街によってかなり文化やそこに集まる人々は違う。

また4年、10年、20年と時間の流れと共に街は生命体のように新陳代謝を繰り返している。だから東京はこういう街だと一括に言うのは実は難しい。

しかし東京で長いこと暮らしていると、そういう息吹を感じ取れて中々面白いものでもある。

学文の住む東京の西側、杉並と浅草では文化もかなり違う。杉並と言えば1922年(大正11年)に中央線の高円寺駅、阿佐ケ谷駅、西荻窪駅が開業した。また翌1923年(大正12年)に関東大震災があり、この頃の東京市街、下町から多くの市民が郊外へと移り住み人口が増えていった。だから色々な人が混ざり合って生きている印象もあるし、文化人も昭和初期に移り住んだ事から浅草とはまた違った文化的な空気も多分にある街で学文は中々気に入っている。

学文達は総武線を使ってのんびりと浅草に向かう事にした。途中、浅草橋で都営地下鉄浅草線の乗り換える。浅草橋駅に貼ってある「ここは浅草ではありません!なお当駅から浅草までは徒歩で30〜40分位の距離があります。」がいつ見ても面白い。ただ学文のような地方出身者にはありがたい注意書きでもある。

杉並から浅草までは総武線と浅草線を乗り継いで大体1時間程度である。本日の目的地、駒形のドジョウ屋には行くには浅草線に乗り換えたらそのまま浅草駅まで行くもよし、その手前の蔵前で降りて歩くもよし。距離はさほど変わらない。

学文達は蔵前駅で降りて江戸通りを歩いてドジョウ屋に向かう事にした。江戸通りの大きな道を浅草方面に歩けば左手にドジョウ屋が見えてくるので迷うこともない。

その日は祝日でよく晴れていた。店は11時に開店である。店のアナウンスでは近頃の流行病もあって中々集客に苦戦しているとの事であった。夏は中々鍋を扱う店は老舗と言えど大変なのであろう。

しかしその日は祝日でお休み、しかもお盆時期という事もあり学文達は開店時間に合わせて着くように家を出ていた。江戸通りを歩いて行くと店の数十メートル先から人が並んでるのが見える。

そして学文達の前を歩く年配の男性もその列に加わる。そうなると今まで余裕をもって散歩がてら歩いてきた学文達も気を揉んで少し早足となり、そそくさとその列に加わった。

事前情報ではこの流行病でお店の地下、1階、2階とあるフロアも1階の座敷席しか使ってない日もあると聞いていたが、流石にこの賑わいでは地下の席にも人を通しているようで、どうにか学文達もすぐに入れそうで胸をなでおろす。

しばし店の前で案内されるまで待ったが、程なくして店内に通される。店の前にかかる暖簾は夏と冬で変えてあるようで、夏には「麻のれん」となっており白い麻が涼しさを醸し出していた。

変わり七宝の柄の浴衣に襷(たすき)をかけた女中に1階の入れ込み座敷へと案内された。中央に並ぶかな板が特徴的で時代劇にでも出てきそうな江戸情緒の残る座敷で否応無しに気分も上がる。

「1Fの入れ込み座敷」

学文達はかな板を挟んで座布団に腰を下ろした。足の悪い方や外国人など正座やあぐらがかけない人は地下や2階の席を希望すると良いだろう。

テーブル代わりのかな板には七味(なないろ)と山椒、爪楊枝、それにメニューとこのご時世、アマビエの描かれたマスク入れが置かれていた。メニューは壁にも貼られている。

ちなみに七味(しちみ)と呼ぶのは元々関西の言い方らしい。江戸では七味と書いて「なないろ」と呼ぶのだそうだ。郷に入っては郷に従え。ここではそう呼ぶことにしようと思う学文であった。

中々達筆な短冊のメニューに混じって「インスタグラム始めました」と書かれた短冊が混じっていたのも面白い。後で学文がこの店のインスタグラムを見てみたが中々写真も上手でお店の興味深い豆知識も紹介しており実に上手く活用するもんだと思った次第である。

学文はお酒のメニューからまずは瓶麦酒を頼んだ。麦酒会社を見てみるとやはり、ここ浅草のお膝元の麦酒会社「アサヒビール」であった。この店から浅草駅の方に向かえば隅田川を挟み、すぐに本社ビルと特徴的な聖火台の炎を模した金色のオブジェが見えてくる。 金色の炎は「燃える心」を表しているらしい。

すぐに若い女中が麦酒を持って来てくれたのでメニューの中から、「どぜうなべ定食」と「柳川定食」それにどぜう鍋に後から乗せる「ささがきごぼう」を注文した。お昼の定食にはそれぞれの鍋に田楽、どぜう汁、お新香、ご飯が付いて中々お得である。

真夏の暑い昼から火照った体に麦酒を流し込むのは実に格別である。学文達は注いだ麦酒を一気にゴクリ、ゴクリとやった。シュワシュワとした麦酒が喉を通ってすっかりと胃に落ち染み渡る。

かな板の上はすぐに賑やかになる。ささがきごぼうに皿に盛られた葱。割り下の入った陶器の瓶。

若い女中は入ったばかりなのか接客がたどたどしい。しかし一生懸命さがあるとそれも愛嬌に変わる。姉さん女中がその若い女中の仕事ぶりを見てはしっかりとした指導が入っていた。若い世代の老舗の空気を引き継ぐ者として頑張ってほしい。

そうこうしていると先程頼んだ「どぜうなべ定食」と「柳川定食」がやってくる。
女中に「定食セットもお持ちしてよろしいですか?」と聞かれる。酒をたっぷり呑む気ならもう少し後から頼むのが良いだろう。しかし学文達は昼だしあまり必要以上に長居するのも無粋だろうとすぐに持ってきて貰った。かな板は大変賑やかになった。

若い女中が食べ方を説明してくれる。老舗といえど必要以上に気取った雰囲気もなく居心地も良い。手慣れた年配や中年の1人客もいれば、親子連れ、カップルと様々で、皆一様に楽しんでいる。

ドジョウが川を泳ぐが如く綺麗に鉄鍋に並べられた姿は人によっては「魚(ギョッ)としてしまうかもしれない。しかし炭によって熱せられた鉄鍋の中にギッシリと並べられたドジョウがふつふつと煮立っていく様は壮観でもある。

学文はそのどぜう鍋に別途頼んでおいた「ささがきごぼう」を少々乗せて、その上に葱を乗せて少し煮込ませた。鉄鍋は下町気質の短気な性格のせいで、すぐ煮立つように浅く作ってあるとの事である。ここら辺は博多っ子にも通じるかもしれぬ。

実際すぐに鍋は煮立つので割り下をマメに追加しなければならない。割り下がすぐに煮立つと醤油とみりんのとても良い香りが鍋から漂ってくる。学文達はたまらなくなって鍋に手を伸ばした。

煮込まれたドジョウは箸で掴むと崩れはしないが、優しく、優しく扱わないと崩れ落ちそうでもある。慎重に小皿の上に乗せて頂く。小皿に乗ったドジョウはもうすっかり調理され、命を他者に与える姿になっているはずであるのに、その気品は失われておらず、その姿は川を泳ぐ躍動と命を感じさせ自ずと「頂きます」という気持ちにさせてくれる。

歴史と丁寧な仕事は人に謙虚さを齎(もたら)すのだなぁ…とそういう思いを学文は強く抱いた。

ドジョウは泥臭さや癖はまったくなく骨も引っかかりなど全く感じず、口の中でかろやかにホロホロとした食感と僅かな骨のプチプチ感を残したあとすぐにスルりと胃の中に吸い込まれていった。残ったのは笑顔だけになった。

こちらのどぜう鍋はドジョウを酒に漬けて酔わせ、甘味噌仕立ての味噌汁で煮こんだあとすくい上げ、さらにダシのきいた割下で煮こんであるらしい。味噌も江戸の老舗の「江戸甘味噌」と京都の老舗の味噌を合わせた物を使っているらしい。

鰻もそうだが好みはあれど、使う食材の質や技術、店の雰囲気などで美味しさにかなりの開きがあるので一度は老舗、名店と呼ばれる店に足を運んで自分の指標をしっかり持っていた方が良いだろう。

次にドジョウと葱と牛蒡、それに薬味の山椒をかけて食べてみる。
山椒というと、どうしても香り付けという感じを思い描くが、山椒を一振りして食べるとドジョウの味の引き立つこと。幾らでも食べられそうになる。

今度は七味を振りかける。こちらは寛永二年(1625年)創業の老舗の物を使用との事らしい。七味はピリッとドジョウと葱と牛蒡に丁度いい刺激を加え夏の暑い時期に食べると元気になってくる。食べるだけで老舗めぐりができるのもこういった老舗のなせるところだろう。

どぜう鍋を1/3程食べ進めて少し場所が開いたところに、また牛蒡と葱をよそって割り下を入れておく。そうしておいてから次は「柳川」へと手をのばす。柳川はドジョウを牛蒡とタレと煮込んで玉子でとじた料理を言う。諸説あるらしいがこの料理に使う土鍋の事を「柳川」と言った事からこの料理を「柳川」と呼ぶらしい。

「柳川と呼ばれる土鍋。湯気がたちフワフワの玉子が食欲をそそる。」

柳川はフワフワの玉子が特徴的でタレも効いていて学文にはご飯に乗せて食べたくなる味であった。そこで彼はさっそく小さなおひつに手を伸ばして茶碗にご飯をよそった。

そして柳川をすくい上げ茶碗によそったご飯の上に乗せて、大きな口をあけて一口。なんとドジョウと玉子と牛蒡と醤油やみりんのタレとご飯の相性の良いことであろうか。

気付くと麦酒が無くなっていたので折角なので酒も少々頼む事にする。銘柄は「振り袖」、口の広いお猪口には駒形の絵が入っており可愛らしい。実に風情があり味は甘口であった。

口休めに田楽を食べる。田楽にかかった味噌は柑橘が加えられていて中々濃厚かつ爽やかな甘みがあった。

お猪口で酒をクイッと一杯やってどぜう鍋を一口。柳川に山椒をかけて一口。
七色をかけてまた一口。

どぜう鍋にマメに割り下を足す。ドジョウが煮立ってくるとまた最初とは少し食感や味わいも変わってきて楽しい。葱や牛蒡もクタッと煮立って味わい深くなる。

実に愉快な気分になって、歌の一つも確かに歌いたくなる。

しかし柱にはちゃんと「放歌御遠慮下さい」との張り紙が貼られてあるのでお気をつけ願いたい。

「放歌御遠慮下さい」

酒が終わったので、最後は少し残った柳川と、どぜう鍋の葱と牛蒡、それにお新香とどぜう汁で〆に入る。

どぜう汁は味は少し濃い目だが味噌は甘過ぎず飲んでみると思った程癖は無い。ドジョウも2匹入っていた。これにも途中七色を入れて飲んでみたがこれにもしっかりと合った。

お新香もシャキシャキとしていてお米との相性が悪いはずも無く、すっかりおひつに入ったお米を平らげてしまった。残ったのはまっさらになった鉄鍋だけである。

お腹をさすり満足した学文はこう思った。

「老舗の味を食べるという事は、お腹と心を満たし歴史や文化を摂る事だ。」

学文達が心地よい気分で店を後にすると、外には多くの人が入店を待っていた。店先には祝日を祝う日の丸の旗がはためいていた。老舗には日の丸の旗がよく似合っていた。

「柳と風情ある外観」


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