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彼女の靴で街を歩くー交通×ジェンダー

COMO×GOMO「こもごもサロン vol.7 ~ジェンダー×交通~:彼女の靴で街を歩くージェンダー化された移動と交通」

2024年5月12日開催 ゲストとして参加しました。

学生、研究者、コンサル関係、行政、日本語教師、IT企業、まちのおまわりさんまで…北海道から県内各地、様々な人にご参加いただき、小さい会場が満杯、立ち見も出るくらいいっぱいでオンライン参加の方も有意義な発言や補足を沢山していただいたりと、非常に貴重な会でした🥺

めちゃかわいいグラレコも!

そもそも移動傾向にあるジェンダー差

私からは、女性と男性の移動傾向には違いがあることを、沖縄県のデータをもとに紹介しました。主な違いは家族の世話(送迎など)や家事に係る移動の差、つまりケアワークにかける時間と労力がジェンダー差として移動にも現れているのです。特に沖縄で顕著なのは、子どもの送迎。通学の送迎だけで朝の自動車交通の10〜15%を占めています(夏休みになったら道がすくよね〜!)。また、女性のほうが公共交通利用の割合が高い(特に高齢になるほど運転免許保持率も低い)のですが、公共交通が目的地が多くイレギュラーな移動に適しているとは言い難い状況です。しかし、18時くらいまでには家に帰らなければいけない、という時間制限があるのも、女性に多い…(子どもが帰って来る前にとか、夕飯をつくらなきゃとか…!)

これらの「イレギュラー」な移動は、これまでの特定の時間に特定の場所に特定の通勤者を運ぶことに特化してきた公共交通のあり方では対応できず、様々な困難を生み出しているほか、移動や時間の自由を制限するものになってしまっているのです…。

会場の反応とみんなの経験

会場からは生活実感としての移動経験と、移動と居住に関する経験を聞くことができてとても面白かったです。特に、宜野湾市で子育て中だが、学校の近くの家は高くて住めない、手頃な家を探すと、子どもの足で30分以上かかる場所になり送迎が必須になるといった話や、バスの定期を活用して、バスの通り道の途中で子どもを預けられる園を探した…という話は衝撃でした。そして、これらが母親の負担になっていることも否めません。コンパクトでミクストユースなまちづくりの必要性はマジでこういうとこにある。

日本語教師の方からは、外国人留学生たちが自転車の主なユーザーになっていることに関するコメント。彼らは自転車で問題なく生活圏を移動しているため一見問題ないように見えますが、言語の壁によって公共交通での移動が自由にしにくい状況にあります。それは、実は彼らの行動が制限されているということでもあります。こういった移動における困難の交差性が見えてきたのも良いディスカッションでした。

意思決定の場に女性がいない

オンライン参加いただいた方からは、都市計画審議会などの場にどのくらい女性委員がいるのかの調査についての共有が。ほとんど、女性が1名程度という場合が多いそうで、その多くは学術関係者、議員だそう。行政職員は充て職(◯◯さんを委員に、ではなく、◯◯部の部長、というふうに肩書で委員の席が決まっている)の場合、男性が役職についていることが多いため、これは構造的な問題でもあります。

意思決定の場に女性が数としていないこと自体も問題ですが、結局「ジェンダーレストイレ」などの問題に終始してしまい、何がジェンダー的差を生み出しているのかを議論できないことも問題です。これは「ジェンダー問題」そのものについての解像度が低い結果ということに尽きます。つまり、ただ女性であるだけではなく、何が「問題」かを認知している人の存在も必要なのです。ジェンダー学の専門家を委員として招く例もあるらしく、「ジェンダー主流化」を進めるのであれば、このような取り組みが広がってほしいです。

「女性のために」「やってあげました」になってはいけない

ただ、いくらジェンダーによる違いを分析し、移動経験が公平になるように、といっても、ケアワークを行っている=女性というステレオタイプ・性的役割分担を強化したい訳ではありません。さらに、「女性のためにこういうことをしてあげました!」というパターナリズムに陥りたくもありません。

結果、女性にも使いやすい環境を用意することは、その他のケアワークに関わる人々や、多様な移動を行う人々にとっても良い環境になるはずなのだけど、「みんな」としてしまうと、それは女性の存在を不可視化してしまうので、それも避けたい…!

必要なのは「ジェンダー主流化」

まとめとしては、モノや仕組みをデザインするとき、「標準」として想定されている人が無意識に「男性」になっていないか?をあらゆるプランニングや政策決定の場において考慮することによって、「ジェンダー主流化」を進めていきたい、ということにつきます。それは、各種の判断が社会の機能維持に欠かせないケアワークを後押しするのか、それとも障害となるのか検討することでもあります。

「標準」って誰だ?

これに加えて、昨日言いそびれたことは、仕組みのデザインとともに、物理的なデザインも男性中心なものになっているということ。例えば、電車の吊り革に届かない、バスのステップが高くてスカートでは上りにくい、ハイヒールでは歩きづらい道、シートベルトの位置や高さなどもそうです。車の安全基準を決める実験に、「男性」サイズの人形しか使われていなかったり、薬の容量や副作用の計算も「男性」が標準となっていたりという問題は、『存在しない女たち』という本でも指摘されているほか、NHKでも特集番組が作られたことがありました。

まちの物理的なデザイン、特に郊外の存在と女性の居住地選択についても、移動とジェンダー、安全の問題も絡んでくるのですが…それもまた掘り下げるに至りませんでしたので、これからの宿題になると思います。

イベントの最後には、「統計であっても世帯主≒男性が回答している場合も多く、そこに女性の意志や現実が反映されているかも注意が必要」という問題提起がありました。これは、統計学においても指摘されていることであり、非常に重要な視点です。

改めて振り返ると、ジェンダーだけではなく、都市の構造、労働問題、言語、歴史的な部分についても複雑に絡み合う様々な論点が出てきた会となりました。

沖縄の特殊性

終了後、「自分は小さいころ祖母にずっと送り迎えされていたが、それは米軍の犯罪に巻き込まれないようにという心配からだった」という経験を聞きました。沖縄の送迎文化の背景には、そのような歴史的経緯も少なからず絡んでいることも無視はできないと思います。

歴史といえば、交通や都市整備の特殊性もそう。戦後アメリカのモータリゼーション前提の整備がされてきたことに加え、土地利用の制限があったこと、土地の権利問題なども含め、土地開発を伴う鉄道(私鉄)が発展しなかったことが県外と沖縄との大きな違いの一つでもあるでしょう。

思いを巡らすことは付きませんが、引き続きどのような場所にジェンダー差が出てくるのかも分析しながら「ジェンダー主流化」の視点で意思決定を行うこと、そして市民として「問題」を認識することが重要です。そろそろ、昨年行われた沖縄県パーソントリップの集計結果が今年度中には出てくる予定です。今回紹介した2006年データとの比較がとても楽しみになりました。

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