しばしば、想像力の欠如が騒がれるが、私は想像力の欠如自体は何の問題もないと思っている。

なぜならば、想像するのに、必要なものとして、自身の経験があるため。

例えば、本や他者から話を聴いたとしても、具体的な経験が共有されない以上、何度聞いても、ただの「パラレルワールド」の出来事であり、自分との生活には全く関係がないとしか判断がなされないためである。

そのため、想像ができない・・・以前に、想像する気すら起きないという状況になりうるということをまずは知らなければならない。

むしろ、恐れているのは、想像力が高すぎること。

実際、何があったのか事実をまず調べる必要があるけど、特定の情報を聞いただけで、現実的なものか非現実的なものかは別として、現状から離れてしまうことがある。

例えば、どこぞの戦争の際に、U国の人間の悲惨な現状を目の当たりにして、U国を侵略したR国への攻撃を非難する声明を出した。

このこと「自体」は妥当だが、問題なのは、海外にR国民がどういう扱いを受けているのか?海外にいるR国関係の店がどういう扱いを受けているのか?R国との取引をしていた企業がどうなっているのか?その結果、どういうことになるか?

といったことを全く考えず、思考停止になっている。

そういう反R国系のカルト勢力が「想像力」を語るのはまったく話にならないと思う。

「想像力の欠如」を語るのは、単なる「お気持ち表明」でしかない。そこを総括しなければならないだろう。

それに、その手の連中の中には「詐欺師」もいるだろう。

いずれにせよ、「想像力」がどうたらと言っているのを見たら、気をつけることだろう。

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熟成下書き

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