デマ、それは、政治的に、嘘を流す行為。

これをやられると、何が問題なのかわからなくなる。

その結果、人は疑心暗鬼を持つようになり、結果的に、争いの火種になる。

だから、定期的にデマ潰しをしなければならない。

だが、時に、真実をデマだと振りまき、自らの過ちを認めないものが存在する。

例えば、これ。

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実は、この唐澤貴洋という弁護士、まず、公選法違反の行為をやっていた。ただ、すぐに、該当のツイートを消したため、事なきを得たということがあった。

ただ、証拠はすでに残ってしまった。

で、これの何が問題かというと、ツイートの日時。

実は、ツイートの日時が選挙当日だったということ。

実際問題、複数の文献で、選挙当日のツイートは公職選挙法に抵触すると言われている。これは、一般の有権者にも当てはまるという。

特に、選挙の応援のツイートがガンガン流れてくるので、迂闊なことをしないように気をつけていた。その時に、どういうことをしたらまずいのかを調べていた。意図せずRTをしてしまう危険性もあったからだ。

その時に上記のことを知った。

さすがに、逮捕まではいかないとは思うが、いや、逮捕までいったにせよ、起訴にまではいかないとは思うが、いずれにせよ、法律違反は法律違反なので、気をつけていた。まあ、最悪、選挙のツイートをミュートすればいいだけなのかもしれないが。

それぐらい気をつけていたのだが・・・。

どうも、逮捕されなければ法律違反ではないということを法を扱う者がいった。さすがに、これはどうかと思って指摘した。何人かの人がその当時、言ったらしいが、その件には触れずに、ブロックを繰り返したそうだ。

さすがに、これは、まずいのではないか?

投票日の午後ぐらいに、問題のツイートを消したことや、まあ、発信者としては影響力が少なかったことから、微罪だったのかもしれない。信者ではなく、アンチがたくさんいたことが功を奏したのではないかと思う。いずれにせよ、逮捕されたり、弁護士会から文句は来なかったようだけど、法律上は、違反となっている。

このことを反省したり、まあ、今回の場合は無理だと思うが、こういう理由で、今回の件は構成要件に当たらないからセーフだという説明があれば、まだよかったのかもしれない。だが・・・公職選挙法に当たる恐れがあると指摘した活動家を片っ端からブロックをして、しかも、ツイ消しをして逃げた上に、指摘した活動家がデマを流したといって、蒸し返したのは果してどうなのか?

そもそも、法を扱う者として適切だったのか?

その点が甚だ疑問だと思う。

それにしても、攻撃事態を目的とするハセカラ民は別としても・・・こういったことを繰り返した場合、一般人からの不信感が増えるのではないだろうか?

かつて・・・

弟を失い、いつか自分の力で弟のような犠牲者を出さない社会をつくりたい、人が人に優しい社会をつくりたいと思うようになりました。

と語っていた優しい社会は果して来るのか?甚だ疑問だ。

人が人に優しくなるには・・・まずは信頼関係が重要。

それがなければ、お互いが疑心暗鬼になるので、結果的に人は人に対して懐疑的になり、その結果、人が人に優しいという状況からどんどん離れていく。

果たして、こういったことが本当にわかっているのだろうか・・・?

結局、失敗してしまった過去は変えられない。

ならば、その失敗と真摯に向き合うことこそが、本来、すべきことではないか?

恐らく、それを重ねることが、結果的に優しい社会に繋がっていくのだと考える。

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