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貝殻

父親の趣味がドライブと釣りだったからか、
物心もつかぬ頃から、出掛けるといえばほとんどが海だった。
夏は海水浴、他の季節は潮溜りや砂浜で遊んだり、釣りをしていた。

小さい頃からずっと、貝殻やシーグラスを拾うのが好きだった。
今でも帰省したら海に出掛けるし、同じことを続ける。
今だって、海に行きたくて仕方ない。どうしても海へ行きたい。
思いがとめどなく溢れ出しているので、短い文章にします。


私は大学に進むと共に実家を離れた。
引っ越すにあたり部屋の片付けをしていると、
私が幼少期から「おもちゃ箱」として使っていたケースや棚に、
貝殻やシーグラス、石、その他の海で拾った物たちがたくさん出てきた。
物心がついたくらいの時に拾った物から、つい最近拾った物まで。
不思議と、いつ、どんな場所で拾ったものかも覚えている。
収集物は海から持ち帰る度に、きちんと洗って乾かし、缶や袋に仕舞っていた。
私はそれらをよく取り出しては、観察したり、図鑑で種類を調べたり、ただうっとりと眺めていた。
タカラ貝は貴重だとか、このシーグラスの色は珍しいだとか、この石と石は双子のようだとか、それぞれに思い入れがあった。

大学進学以降は、海に行く機会が減ってしまった。
私は車の免許を持っていなかったから、気軽に海へは行けなくなったし、
何より、地元の海とその後住んだあたりの海は、環境が全く違った。
それでもたまに遊びに行くことはあったが、今までのような遊び方はできなかったため、私にとっては、帰省時にうまく「海に行く日」を作るのが肝だった。
その日が来る度に私は海を眺め、潮溜りで生き物を探し、磯を飛び回り、
砂浜で漂着物を探しては拾った。

私が海にいる時の心地よさ、自分が自分に戻れる感覚、あれは一体何なのだろう。
一度始めると夢中になってしまうから、「足」にしている家族には
しょっちゅう呆れられてしまう。
「そろそろいいかえ?」「寒くなってきたし帰ろうえ…」という声に対し、
私は「もうちょっと」と、負けじと収集を続けるのだった。

昔はただ拾っては眺めるだけだった漂着物だが、
最近は、ピアスや指輪に加工するようになった。
自分の好きや海への想いが詰まったものを身につけるのは、
それらと一緒に出かけているようで、なんだか誇らしい気持ちになれる。
やはり、私の還るべき場所は海なんだろうとも思う。


「貝殻を耳に当てると、海の音が聴こえる」という。
実際には、貝殻で耳を塞ぐことによって、外の音が遮断され、
耳周辺の血管を血が通る音がよく聞こえる、ということなのだが。
理屈は分かっていても、私は時々、貝殻を耳にあて、音を聴く。

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