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幸運渡し

「ねぇ、見てよ〜、ユミキ」
「え、何?」
 たった今「ユミキ」と呼ばれた私は、彼氏へ視線を向ける。
 するとそこには、困った顔をした彼氏がいて、私にスマホ画面を見せた。
 その画面に映るのはスマホアプリのガチャ結果。彼氏に影響されて始めたそのアプリのガチャ結果は、正直に言うと悪い。先程課金したというのにこの有様なら、爆死というやつだろう。
「最悪っ、レア一つも出ないなんて」
 今日はツイてないなぁ、なんて呟きながら。
 私は少し考え、彼氏のスマホに手をかざした。
「もう一回してみない? おまじない掛けてあげるから!」
「おまじないでなんとかなるなら課金なんてしてないって」
「本当に一回だけ! このおまじない、当たるんだから!」
 と私が言うと、彼氏は渋々課金をした。余分に課金していたのは見えていたし、いずれどこかには課金するはずだったのだろう。大して痛手ではないはずだ。
「ほら、これでもう一回十連ガチャ出来るようにしたけど?」
 と彼氏は言いながら私にスマホを渡した。
 スマホの画面はガチャを十連回す前の待機中を映していた。
「当たりますよ〜に!」
 私はそう言ってスマホの画面に指先を振った、だけのように見えたはずだ。少なくとも彼氏の目には。
「そんなんで当たるのかよ?」
「うんうん、当たる! ほら、やってみて!」
 私は彼氏に幸せな気持ちになって欲しくて心から言った言葉だったのだが、肝心の相手は疑っている様子だ。この顔はもう何度も見てきたものだが、見慣れないものである。
「まぁ、ユミキが言うならやるけど……」
 と彼氏がスマホを受け取って、その画面へタップした。
 ガチャが始まるいつもの映像が流れ、やたら派手なBGMが鳴る。待ち切れない彼氏はタップしてムービーをスキップし、早速ガチャ結果が表示された。
「おお!」
 彼氏が歓声を上げた。嬉しそうに私にもスマホ画面を見せてくれた。そこには、レアが五つも排出されたガチャであり、私は素直におめでとうと言って祝福をした。

 私の隠された能力は「幸運渡し」である。
 私は昔から「幸運」に恵まれることが多く、ピクニックだって、運動会だって、体育祭だって雨になったことがない。それだけでなく、出掛けた先で「幸運」にも何かしらの大当たりをもらうこともあり、この前は来店百人目祝いにサービス券をもらったっけ。
 そして、この幸運を誰かに渡すことも出来る。
 さっき私がスマホ画面に向かって指先を振ったのはガチャにおまじないを掛けたのではなく、彼氏に「幸運」を渡したのである。
 つまり彼は私から受け取った「幸運」でガチャ運を引き寄せ、レアを当てたということなのだ。
 ただ、この「幸運渡し」には代償がついていて……。
「ユミキ、別れよう」
 メッセージアプリだけで知らされた、たった一言。私の頭の中は真っ白になった。
「なんで?」
 私は考えるよりも早く返信を送っていた。
「ごめん」
 簡単に言うと、彼氏には新しい恋人が出来ていた──

 そう、私の「幸運渡し」の代償は、自分の幸運を一時的に手放すことが条件だった。
 誰かに幸運になって欲しいと思えば思う程その力は強くなり、私が意識していなくても好きな人の誰かに幸運を渡し、私は不幸になる。
 どんな不幸が自分に降りかかるのかは幸運渡しをした後からしか分からず、こういう結果になってしまうことも度々あった。
「……またか」
 私は一人呟き、元彼氏のアカウントをブロックした。

 一番最初に私が「幸運渡し」をした相手は母親にだっけ。昔から、私は「目の前にキラキラしたものが見える」というのが口癖だったらしく、ある日それを掴んで母親に渡したことがある。
 母親への「幸運渡し」は近くのスーパーに行った瞬間に安売りセールが始まるという些細な「幸運」。今日はラッキーだったわ、と母親が言った次の日、祖父が交通事故に巻き込まれて入院したという「不幸」が代償となって返ってきた。
 けど、その頃は私も子どもだったから詳しくは分からなかったのだ。
 幸運渡しとその代償についてよく分かったのは、最初の彼氏が出来たあの日だ。
 当時の彼氏が、昔もらった友達からの誕生日プレゼントを失くしてしまったという話をしていた時に、幸運渡しをしたことがある。すると失くした誕生日プレゼントが見つかったと嬉しそうにはしゃぐのを思い出して、私は悲しくなって瞬きをした。その彼氏は、誕生日プレゼントをしてくれたその友達と結婚をしたのだ。
 そこで私は、幸運渡しとその代償を振り返り、似たようなことがいくつもあったと気づいた。
 なら、誰かに「幸運渡し」をしなければいいじゃん、と何度も自分に言い聞かせているのだが、実際目の前にいる大切な人が悲しげでいるとつい「幸運渡し」をしてしまい、その代償を受けては何度もつらい思いをしてきた。
 いっそのこと、自分から幸運が消えてくれたらと思うのだが。
 幸運はすぐには回復するらしく、恋人にフラれてばかりで喫茶店をボーッとしていた私に、またもや「幸運」が声を掛けてきたのだ。
「すみません。ここ、いいですか」
「え」
 ボーッとしていたものだから、喫茶店内が客でいっぱいだったことに今更気がついた。そんな中私が一人で二人分の席を独占している訳だから声を掛けてきたらしい。
「どうぞ。私、そろそろ帰るので」
 傷心中の私は愛想を振る舞う余裕もないまま、席を立とうとした。
「あ、待って下さい」
 向かいの席に座って私のことを呼び止めた。見ると爽やか系の男性がそこにいた。今まで私が彼氏にしてこなかったタイプだ。
「悩み事があるように見えて。よければ、相談してみませんか?」
「あー、そういうのいいんで」
 私は一瞬にして怪しい宗教の勧誘か何かだと決めつけた。なるほど。最近はこういうイケメンを利用して勧誘するんだな、と思いながら。
「いえ、僕は」男性はそう言いながら胸ポケットから名刺を取り出した。「こういう者です」

 あなたの不運、引き受けます

 鮮やかな緑色のデザインが描かれた名刺の一番上に、それだけ書かれた一文。
 あとは彼の名前だろうものが書かれていて、所属の会社名などはない。ますます怪しい気もしたが、一目引くキャッチコピーに私はわずかに興味が湧いていた。
「この、不運って?」
 宗教の話をされたらすぐ逃げようという警戒心も込めて聞いてみれば、向かいの男性は愛想よく微笑んだ。
「信じられないかもしれないけど、僕は「不運受け付け」が出来るんだ」と男性は話続ける。「分かりやすく言うと、誰かの不運を僕のものにしてなかったことに出来る」
「それって、自分が不運になるんじゃないですか?」
 私のこの質問に、彼は穏やかな表情で頷いた。それが妙に不思議で、私は気づいたら次の言葉を待っていた。
「そうなんです」男性の口調は落ち着いたままだった。「だから、あなたのお力が必要なんです……世界を、変えるために」
 うわ、出た。
 こうやって宗教の勧誘をしていくんだな、と思った私はさっさと席を立つことにした。ついでに近くに「幸運」の光が見えたので、密かに目の前の男性に「幸運渡し」を行って、どうせ私か、私の周りに起こるだろう代償の「不運」まではどうにもならないのだろうと決めつけた。
「どうか、あなたに幸運がありますように」
 と私は適当なことを言い放って会計を済ませ、喫茶店を後にした。
 「幸運渡し」をされた男性の「幸運」まで見届ける間もなく帰路についた次の瞬間、早速私に「不運」が降りかかった。
 悲鳴や怒号が響き渡り、私は一瞬、なんの騒ぎか分からなかった。
「逃げろ!」
 という叫び声が聞こえた瞬間にはもう、私の目前には、トラックが歩道を乗り上げていて。
 驚いた私の体は動けなくなり、この瞬間私は死を覚悟した。死んだな、と。
 まさか、変な人にあげた幸運が、こんな不運という代償を呼び込むなんて。
 せめてもっといいコーヒーを飲んで出てきたらよかった、なんてことを考える余裕もないまま、止まることのないトラックは私に向かって突っ込んできた……はずだった。
「ああ、間に合った」
「……え?」
 周りが騒然としている中、大きくもない声が私によく響いた。
「もしかして、僕に幸運を渡してくれたんです?」声が淡々と話を続ける。「だから僕は、こうしてあなたの救出に間に合ったのですね」
「何を……」
 言いかけて、私は口をつぐんだ。
 私とトラックの間に、男性は平然と立っていたのだ。
 そんなところにいたら轢かれてしまう、と考えに達成する前に周囲の違和感に気がついて辺りを見回す。
 走り出そうとしていた人々はその場で静止し、風で巻き上がった葉っぱすらも空中で止まっており、私は否応なしにこの状態を理解せねばならなかった。
「時間が……止まってる……?」
「そうなんです」
 目の前の男性はにこやかにそう言った。その微笑みはもはや怪しいしか残らないが、今までの不思議発言とこの状況から、彼は私がトラックに轢かれる直前を、時を止めて助けてくれたということになる。
「あの、どうして私を助けたんですか……?」
 なんとか頭の中を整理しようとして、私は質問を絞り出した。素直にありがとうが出てこなかったのは、この静止した時間があまりにも現実離れしていたからだろうか。
「本当に、あなたの力が必要だからなんです」
 彼は、感謝の言葉も述べない失礼な私を真っ直ぐ見つめ、力強くそう言った。それはこの静止した異様な世界の中で、遊び半分ではないということを指し示しているようなものだった。
「……でも私が出来るのは、幸運渡しだけで」
 初めて誰かに言った自分の特殊な能力。彼は静かに私の話を聞いてくれた。音も静止したこの世界で。代償が、自分や自分の周りに起こる不運であることも、会ったばかりの彼に全て打ち明けた。
 それからしばらく沈黙を守った後、何か考える素振りをして彼はこう言った。
「その不運なら、僕が引き受けます」彼の言葉は、もうすでにどこも怪しさはなくなっていた。「僕の能力は不運消し。不運を消すためなら、世界の時間だって止めるんです」
「だったら……」
 私は何をしたらいいのか。その能力は私がいなくても最強のような気がしたからだ。
 しかし、彼はいつの間にか目の前で跪いていて、私に手を差し伸ばしていた。
「僕に幸運を下さい。僕は不運を引き受けるだけで、幸運は呼び込めないんです」
「幸運を……」
「助けたい人がいます」
 これは、幸運渡しと不運消しが紡ぐ世界を救う物語。
 私たちが世界を救うまでの話は、また、どこかで。

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