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マッチの火はショーウィンドウと同じ


メリークリスマスイブ
12月といえばクリスマス。

主にクリスマスイブってやつが日本のメインだけど、
人と過ごすような、素敵なイメージがあるよね。
描いたイラストは女の子がデートに何着よう?
って迷ってるイメージとショーウィンドウを
イメージして描いたオリジナルのイラスト。

デート服を選ぶ女の子の部屋をイメージしたショーウィンドウ風のねこのぎんちゃんのイラスト。


そんな今日は、
俺の主に幼い頃の、過去のクリスマスのいろいろな
思い出の一部と、日本のクリスマスを
ほんのり考えてみようっていうお話

(※今回気持ちが鬱々と悲しくなる内容があります)



キラキラして希望が満ちていて素敵なもの。


シャンシャンと雪をホウフツとさせる鈴の音、
幸せを呼ぶような鐘が鳴り響き、伸びのいいボーカルが
クリスマスだの愛だのと楽しそうに歌い、

家ではケーキやごちそうを用意し、
家族団らん一緒に飾り付けをしたり。
プレゼントをもらったり、集合写真を撮ったり
友達と集まった時も、好きなお菓子を用意して
くだらないおしゃべり。

ボードゲームをして、学校の事を話し、
それぞれのコイバナをして、
ノートに描いてる漫画の話をしたり。
恋人とは、ダーリン今年は何年目だねと
甘ったるい言葉を肴にしてシャンパン片手に語らってみたり。

あたたかく幸せで、強欲なスクルージだって、
心変わりして幸せになる魔法のような日クリスマス。

外の世界じゃ、なんだか話を聞いてるだけで
古いドラマや絵本を読んでいるような気持ち。



充実したものに恵まれなかった


これはフリー画像の知らないネコチャン。こんばんは。

俺の世界の現実は冬の日の道路で
溶けて黒くぐちゃぐちゃの雪のようだった。

クリスマスその物を全てを否定され、
世の中も家族もバカにしたし、家族内では
単独でやってる宗教的にも無理だし
人の誕生日をなんで祝う必要があるのか、
日本の商業の戦略だという面倒な父親がいた。

態度に逆切れする上のキョウダイに、
わがままだが一番自我がしっかりしている妹。
年末年始、誰かの休んでいる時期は気が狂ったように
動き回らなくてはならないから体調が悪くて
13時間働いて帰ってきてもなお、手料理作らされるという
死にそうな顔してる体の丈夫じゃない
総菜屋のバリキャリ母。

そして、もがいても そういう空間を救いきれない俺。

ナイフのような言葉が飛び交い、家族が青ざめていくたびに
俺はその場で、面白くもないギャグを言うのがお決まりだ。
ひたすらにティースプーンでやわらかなプリンをすくうように
震えながら柔軟にボケ返し、日々MCのような役割をすることで
場の空気を緩和させる事くらいしか出来ることなどなかったのだ。

シャンメリーの開栓する音の代わりに
耳に残るはワザとらしい溜息か見下す言葉。




イベント事があるたびに
外ではイジメは尽きなかった。

金持ちの地域の子供と貧困な家庭の真っ二つが
1つにまとまるタイプの小学校だったが、
クリスマスをやっていないのは自分の家だけ。

かわいそうだと友達が俺の為にクリスマスパーティーを
自分のうちでやるから絶対来てねと誘ってくれた事があった。

相手の家に借りを作る事も、人付き合いも
交流し出るであろうお金さえも出したくなくて
手あたり次第、最低限以上の交流を禁じていたから
小学校から帰宅してから遊べるのは内緒で遊ぶか
機嫌のいい時のわずかな時だった。

頑張って何度も頼み込んでみたけれど、
「家の手伝いあるからと言え、断れ」と言われた。
母は友人の親と 仲が良くなかったのもある。

13時間働いて家事をしたりして
PTAに出れない母を出るのが当たり前だと
押し付ける人だったから仕方ないとは思っているが
子供側としては、巻き込まれるのは悲しかった。

おしつけないで!(よその猫かわいいね。


けれど少ない友達の
そういう気持ちを踏みにじってしまった事
思い出すと今でも泣きそうだ。

学校の日帰りに遭遇し当日どういう
楽しい事をしたのか聞かされた。

でも、何の為に開いたのか、待ってたのにと
友人二人は 二人だけで帰っていった。

それが原因でその友達と疎遠になり
クリスマスに複雑な思いが
毎年重なっていくように膨らんでいった。

この頃好きだったクリスマスのBGMに
憎しみか悲しみかをちょっとずつふくらませていた。


そんな生き方をしていた中での
クリスマスの思い出は


アーケードに飾られたクリスマス飾りや
光のページェントの点灯式が終わったら
ほんのちょっとだけながめて即座に
バレないようにバスに乗って帰り
そそくさと そろって晩御飯を作る。
(光のページェント:街路樹に電気が飾り付けられ眺めるイベント)

というのを隙間を見つけてしてくれた。
些細な事だったが「本当はクリスマスが大好き」だった
母が心ばかりだが、してくれた事だ。

これは飾りで遊ぶ 内容の重みを緩和してくれるかわいいネコチャン。

父の「余計なもの」と毎度お決まりの文句を聞きながら
クリスマスのブーツに入ったお菓子(値引き)を
せめても買ってくれていた事も覚えている。

3歳くらいの時におじいちゃんが一度だけ無理して
サンタの衣装でアンパンマンのおもちゃを
枕元に置いて行ってくれた事や
母がクリスマスの総菜の廃棄品を
もらってきてくれたり(昔だからね)
コンビニスイーツが出来たころは
値引きのケーキやファミチキをなけなしの金で
買っては、分けて兄妹で食べる事だった。



10年ほど年を重ねた父はとある時、

値引きのターキーとケーキを買ってきた。

会社の人の影響か?それとも知り合いの…?

知らないネコチャンもびっくり。


頭を打ったのか、俺に頼みがあるのかと思った。
大体キョウダイについての話を聞きだす時の料金は
モ〇テールのシュークリーム1つ分だ。
もちろん不利益にしか使わない内容ならば
表面分しか話はしないが、今回はどうも様子が違う。

様子を見る限り、歳を重ねたんだと感じた。
一生懸命向かって話し続けて
ほんの少し変わってくれたとおもった。

その次の年だったか、
同じくターキーなどを買ってきて
酒を飲みながらようやく長い間
頑なに閉じていた口を開けてこういっていた。

「クリスマスは好きじゃない。
ホントは若い時のつらい思い出があるから
好きじゃなかった」
と。

良いわけか本気かは定かではないが。

宗教のせいだけではなくて、
世界や商業戦略や、世の中が悪いわけじゃなくて
心を占めていたのは、その1つだけで
あたったり、周りのいろんなものに憎まれ口を叩いたり
家族を巻き込んだのだ、男のプライドなのか何なのかで
随分人を傷つけたりしたものだと胃の底から
なにか沸き上がったが、俺は制服代わりの笑顔を続けた。

代わりに怒ってくれる知らないネコチャン。ふっしゃ~~~

どうせ巻き込むのならば、どうして一緒に
家族として思い出塗り替えていこう
ってしなかったのか残念だと思った。

そうも思ったが、辛かったんだねといった。
歳をとって丸くなった部分もあったのだと思った。
スクルージもびっくりだ。ちょっとだけ
魔法がきいたのかもしれない。

でもその時俺は 既に出来る事はやり切っていたし
沢山の物を壊しすぎていた相手には
もう俺には向き合う気力なんて残ってなかったのだ。



俺にとっての 昔存在していた
その家族というまとまりはもう存在してないし
してない事にしている。

そう思ってないとマリオで1UPキノコを
裏技で大量に集めたって命が足りない。

母も亡くなったので正直
もう無理に形を整える理由がないのだ。


時折。妹については元気そうならそれでよくて、
その俺の半生を奪った過去の亡霊達には
夢で1年の大半を苦しめられているので
もう知らない所で下手なかかわり方しないで
封印されていてくれたらいいな。

けれど、苦しい中で小さな幸せがあった事も
嘘ではない。それだけは持ち帰っておこうと思う。


ニンゲンはまだまだ本音苦手だけど
新しい人との関わりも悪くないもんだ
と思いながら俺は俺で、静かに生きている。


そういう心の

メンタルを散々壊された後遺症のせいか、
俺本人もせっかくそんな環境じゃ
なくなった今でさえ季節BGMが流れるたびに

幸せいっぱいな家族が暖かな場所で過ごしている中で
暖炉に近づこうとした瞬間、突然後ろから
服に雪を突っ込まれたかのような
疎外感というか、絶望感というか
ここに来ちゃいけなかった、という
なんだか目をそらしたくなる感情というか。

ごめんなさいって言いたくなるような
辛さをしばらく覚えていたりしていた。

待ってました!知らないネコチャン 雪寒そうだね。



あんな巻き込み方をするような
ニンゲンにならないためにも もう少しだけ、
クリスマスの季節っぽいBGMとか空気とも歩み寄りたいし
純粋に絵本を手に取るように楽しい気持ちで
自分なりに、向き合っていけたらいいなと
毎年向き合って楽しいと感じる感情のほうが
随分強くなった気がする。

俺は正直悲劇のヒロインしたくて
こんなこと書きなぐってるわけでは無く
楽しく過ごすイベントって、
大事な物って今一度ちょっと
何かなって考えてほしい日だなって、
まだ間に合うかもしれない。

恐怖でも支配でもなく、
心から一緒にいたい相手か家族や、恋人、友達の事
第三者になったつもりで時々考えてみてほしい。
自分を出来るだけ大事に出来たらきっと
お互いに協力しているのか利用されてたのかわかってくるはず。

だけど俺は無責任に家族は仲良くするもの
という事は言いたくない。


もちろん分かり合えることもあるから
話し合う事も大事だけれど
家族であれなんであれ、他人だから
分かり合えない人もいる、そんな場合は
距離をとる、フェードアウトする事で
自分の感じていたことが自分目線で分かるようになる。

もし、それでも向き合ってみたいと思ったなら
人の時間は限られている中だから
どうしようもない家族に関しては
「信じる期間」「終わりにする」目安は
毒家族のいる人は、決めておいてもいいかもしれない。

出来れば毒なら捨ててほしい



1人でも楽しい事はいっぱいあるけどニャ。

家を出てからは・・・

パーティーとまではしなくとも
クリスマスはチキンとケーキを食べる日は
継続中でむしろそれを楽しむ日くらいの勢いだ。

今年は個人的に唐揚げをイブに作ろうと
計画をしている。

数年前の仕事で行かなきゃいけない飲み会。
今までリアルでしてきたクリスマスデート。
どれも正直気に障る物ばかりだったが

近年、ゲーム内で集まって
チャットでわいわいした事もあったし、
友達数人と通話をつないで雰囲気の
クリスマスパーティーみたい事もした

「こういうの悪くないもんだな」

って、背中に突っ込まれた雪を追い出しながら
日向ぼっこでもするように。


深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているかもしれない知らないネコチャン


街を歩いたときに 目に入ったライティングや飾り、
マッチ売りの少女が火の中で見たような幻想のようで
ショーウィンドウの中にいくつもの夢を見た。


期間限定のケーキやフラペチーノ。
暖炉、アドベントカレンダー、アンティークのような雑貨。
海外ではココアを飲むって、映画では話していたな。

でも本当は
クリスマスの魔法のようなものではなく
仲の良い暖かな家族や周りの人々という
一番身近で、一番遠いそんな「ファンタジー」に
俺は、ずっとずっと子供の頃から
夢を見ていただけなんだろう。




商業戦略でもなんでも
たのしいなら乗っていけばいいと思うんだよ。



チキンとケーキの日の(集まって仲良くするも含め)
きっかけの1つにするためのチャンスなんだし

改めてこういう時に一緒に居られてうれしいなとか
自由に過ごせる事で好きな番組、
好きな食べ物を食べれることを
喜ばしいと感じてみたり。

あとリア充と自慢金持ち爆発してほしい(テンプレ)と
感じる事は俺もあったし、わりかし今は
俺的にはそうでもなくなった。

よくあるあの人はあれももらって
これもそれもアタシより上なんてジェラシー
って常に考えるときっとキリもないもので、
ない物ねだりだけじゃなくて

今、目の前のよかったなーって事
感じられると楽しい年末になるとおもう。

(でも来年の目標があるなら悲しみをバネにして
幸せつかんじゃう人も嫌いじゃないぞ。)

今年の皆は どんなクリスマスや年末を
過ごすんだろうなあ。オンラインオフライン
どちらでも楽しく過ごせていたら良いな。

え?そうだな、俺の予定は…。


             おしまい。



※気持ちを緩和させて書くために
フリー画像のネコチャンに参戦してもらいました
心を込めてありがとう。ねこだいすき!

みんなに心の平和が少しでも多くありますように。


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