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レーザーディスクカラオケの思い出

かつて、うちの実家はカラオケパブを経営していました。店舗兼自宅によくある、1階が店舗で2階が自宅の建物です。店のカウンターの真上が私の部屋で、夜中にお客さんの気持ち良さそうな歌声をぼんやりと聴きながら眠りに就くという、かなり風変わりな日常生活でした。

1990年代中盤から通信カラオケが主流となって久しいですが、それ以前のカラオケ喫茶やスナックでは、どのお店もレーザーディスク(LD)カラオケを置いていた時代で、後に通信カラオケに入れ替わった後も、現在のようなリモコン一体型のタッチパネル端末が登場するまでは「歌本」と呼ばれる広辞苑のような分厚いソングリストがありました。

LDには、例えばディスクNo.203のA面の8曲目、といった具合に曲目が割り当てられており、リクエストごとに大きなディスクを慎重にプレーヤーにセットしていきます。その頃は新譜や追加曲が出るたびに枚数が増えてゆくため、機材周りはLDラックで一杯になっていました。もし通信カラオケが普及していなかったら、今頃は大量のレーザーディスクに埋もれて身動きが取れなくなっていたかも知れません。

その当時、春休みに中学のクラス会があり、私の自宅の店でカラオケ大会が行われました。店の営業は18時からなので、営業時間外の昼間を利用してクラス全員が集合しました。店内にはダンスフロアがあるので、広さには余裕があります。

店の身内である私がホスト役で、各テーブルからリクエストを受け付けて都度ディスクを入れ替えてゆくのですが、私自身の気質として、裏方的ポジションはとてもやりがいを感じるのです。小学生の頃のボーリング大会でも、ボーリングそっちのけでJUKEBOXの前に陣取り、みんなからBGMのリクエストを募っては、順番を考えながら流すのが好きだった、音楽好きの少年でした。

カラオケはおかげさまで盛り上がり、思い出に残るクラス会になりました。実際の営業時にはお客さんから1曲いくらという形で頂戴しますが、この日は身内の特権で、完全無料のカラオケ大会でした。
私自身、自分の部屋の下でミラーボールが回っているという特殊な環境で育ったため、子供の頃は自宅の店以外でカラオケに行った経験がなく、地元を離れてからも、カラオケが本来有料のサービスであるという感覚になかなか慣れなかったものです。

今思えば、大人になって少しだけ音楽の世界に携わらせて頂くなかで、子供の頃から恵まれた家庭環境だったと思っています。レーザーディスクカラオケの思い出の昔話、お付き合い下さり、ありがとうございました!

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