見出し画像

思い出のかけら【前編】ペンギンのQ太郎登場の巻

私は子供の頃からクイズや謎解きが好きで、週末に父が作ってくれる「なぞなぞノート」を解くのが楽しみでした。父は藤子不二雄先生や赤塚不二夫先生の漫画のキャラクターを書くのが得意で、その「なぞなぞノート」にはドラえもんやコロ助、おそ松くんのニャロメやケムンパスなどがたびたび登場して、問題のヒントや励ましのメッセージをくれました。

私が小学4年の時、そんな父が突然脱サラして「喫茶ペンギン」を始めたのです。家からかなり遠い場所に店舗があったため、私がお店に遊びに行けるのはいつも土曜日の午後から。弟と自転車に乗って父の作ってくれるパフェを食べに行くという、子供にとっては本当に夢のような日々でした。

また、店内には週刊少年ジャンプ、少年マガジン、少年サンデー、少年チャンピオンなどが揃っており、しかも発売から2週間たった雑誌は家に持ち帰って来るので、自分で買わなくても常に漫画が読み放題という恵まれた環境でもありました。

2年後、店舗スペースの拡大に伴い、家族の住んでいる家の1階を改築し「カラオケパブ ペンギン」にリニューアル、喫茶店を手伝っていた母がパブのママさんとなり、ダンスフロアも備えた夜のお店に生まれ変わりました。


元々家の1階スペースはかつて母方の祖母が雑貨店を営んでおり、手芸用品の専門店を経て、閉店後は祖母のぬか漬け倉庫になっていましたが、店舗として再利用するにはうってつけの場所、しかも駅から徒歩3分という好立地もあり、私は喫茶店の息子からカラオケパブの息子となったのでした。(↓参考記事です)


店のオープンを前に、父が腕を奮って正面の大きなシャッターにペンギンの絵を描きました。

私が描くと上手く再現出来ませんが、父が描いた絵は本物のオバQ…もとい、ペンギンそっくりで、しかも高さ3mの蛇腹状のシャッターに描く難易度を考えれば、まさに職人顔負けの技を持っていたと言える自慢の父なのです。

【後編】は、それから17年後の話になります。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?