通ってきた道は、無駄じゃない
「あのとき、ああしていれば・・・」っていう後悔って、少なからず誰しもが持っているものだと思います。
けれど、その後悔した経験って、無駄だったわけじゃないのですよね。
そこを通ったという経験があったからこそ、得られた見解が必ずあるはずだから。
たとえばわたしの場合、学生時代に自分を偽って友人と付き合い、いわゆる「スクールカーストの上位グループ」からはみ出ないことを最優先して生きてきました。
それが学生生活の明暗を分けると思っていたし、あの頃のわたしはそうとしか考えられなかったのです。
今になってみれば、「そんなことしないで、気が合う人と無理なく付き合ったら、もっと楽しい学生生活を送れたのに!」と思うのだけど、それは一旦その道を通ったからこそ言えることで。
もしそれを経験せずに今に至っていたとしたら、今度はきっと、“ああ、自分を偽ってでも、スクールカーストの上位グループに入る努力をした方が良かったのかな…”なんて考えがよぎったりするんじゃないかと思うんですよね。
その経験がないと、自分にとってどちらが良かったのかなんて分からないし。
自分自身でその考えに至ったプロセスを経験をせずに、答えだけを与えられたとしても、きっと心から納得することはできない。
だって、なぜそう言えるのか?なぜその結論に至ったのか?という、もっとも大切な部分が抜け落ちてしまうから。
以前見た動画内で両学長がお話されていたことが心に残っていて、それが今回のお話とも繋がる内容だと思うので、シェア&引用させてもらいます。
これって投資に限った話ではなくて、「自分の人生」全てにおいて言える、本当に大切なことだと思っています。
“答え”ではなく、答えに至るまでの“プロセス”こそが大事なんだってことを、忘れちゃいけないなと。
だから「ああしておけば良かった」と後悔するというプロセスですら、とても大切なものなのですよね。もがいてきた経過は、無駄じゃない。
今、自分自身が「こうしたい」と思うこと、「こうしておけば良かった」と思うことって、全部、過去の自分が経験してきたことから生まれているわけで。
過去にその道を通った自分がいたからこそ導き出された、尊いもの。
これからの人生の方向性を決めるための、大切な判断材料を残してくれたんだ。
だけど、後悔の最中にいるときには、なかなかそんなふうに思えなかったりする。
実際わたし自身、ここに書ききれないほどたくさんの後悔をしてきたし、何かあると「なんであのとき、もっとこうできなかったの・・・!」って自分を責めてしまうこともあります。
だからこそ今、これを綴っておこうと思うのです。
この先また、過去の自分の選択を嘆きたくなったとき、少しでも心が軽くなるように。
今はそんなふうに捉えることができなくても、いずれ必ず「ああ、あの経験があったからこそ、今わたしはここにいるんだな」と思えるときが来るから。
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