"アイドルとはなにか、ファンとはなにか"を考えたのでメモしておく。

☆このnoteは『推しのスキャンダルが出る前に覚悟と理論武装を』という私の別のnoteの補論になります。よって、先にそちらを見ていただけると内容がよりわかりやすいものになるかもしれませんが、このnote単体で見ても内容がわからないものではないと思います。
ご興味あれば本論の方もどうぞ。
この補論では、アイドルとは何か、ファンとは何かについての私の考えを書き記していきます。

→本論の方です。

以下、本文です。

アイドルとは何かという話をすれば、
"アイドルとはテーマパークである"と表現するのが適切であると、現時点では考えています。
テーマパークとは、あるテーマに沿った世界観や幻想を見せることでお客さんを楽しませることを目的とした施設ですね、ディズニーランドを想像するとわかりやすいでしょう。
ディズニーランドでは、夢と魔法の国というテーマを基軸に世界観が構築され、その世界観を構築するための仕掛けが綿密に施されています。
ディズニーランドは、幻想を見せる力や幻想の精緻さが非常に高く、優れているからこそ、多くの人から愛されていると言え、コロナ禍であっても未だに人気が衰えないザ・テーマパークです。
(奇しくも(?)、今回の炎上騒ぎでも『アイドルが裏で恋愛してるなんて当然。騙されてる奴がバカ』という意見に対し『みんな知ってる。でも、ディズニーランドではミッキーは被り物を取ってはいけないんやで』みたいな主旨の掲示板のコピペが貼られまくっていましたね。)


テーマパークで売られているものは何か、と考えるとそれは『楽しい時間』です。
では、楽しい時間とは具体的に何なのかといえば、それは『現実を忘れさせる時間』を指すのだと考えます。
幻想の対義語は現実です。幻想とは現実にはないものを指し、現実にはない、理想的なものを映し出します。
幻想を見せてくれる空間に魅力を感じるのは、まさに、現実とはかけ離れた理想的な空間を追い求めるがためではないでしょうか。
ディズニーでは、その現実を忘れさせる時間を体現するために、没入感を高める装置を至るところに配置し、世界観を壊す原因となるもの(都心部のビルや電信柱など)を極力排除することで、その楽しい時間を創出しています。
いうまでもないことですが、現実とは苛烈なもので、さまざまな責任やストレスといった重荷を背負わなくてはいけない場所であり、そういった中でこういったテーマパークが人々から必要されるのは当然と言えます。
(こういう"労働の再生産のための文化資本"の話ってだれかがなされていましたよね…誰だったっけ…)

では、翻って、アイドルはどうか、と考えると、
アイドルもテーマパークと同様に、売っているものは先述したように幻想です。
では、その幻想とは具体的に言えば何なのかと考えると、それはやはり『楽しい時間』、もっといえば『現実を忘れさせる時間』です。
アイドルがグッズや曲を作って売るのは、その世界観を構築し、没入感、そして、一体感を高めるためです。
グッズがあれば、アイドルを同じものを共有でき、同じ世界線に立てます。またアイドルとファンで同じ曲を歌うことで、一体感、一つの世界(また文化や背景)を大勢で共有することができるわけです。
(蛇足なんですが、Vtuberは歌枠や歌ってみたをよくやっている反面、リアルのYouTuberや配信者は歌枠や歌ってみたをあんまりやってない印象があります)
これは、テーマパークでも同じことが言えて、テーマパークでは必ず音楽が流れ、キャラクターたちが歌を歌っていて、没入感を高めるためのグッズがたくさん売られています。
アイドルはこのような形で、テーマパークと同じように、グッズや歌などの様々な没入装置や仕掛けを用いて、楽しい時間、現実を忘れさせる時間を売っているわけです。

ただ、アイドルとテーマパークの大きな違いは、
『人か施設か』というところにあり、また、この違いがアイドルという存在をよりややこしくしているのです。


アイドルが人であるからこそ、アイドルとファンは人間関係を結ぶことができてしまいます。人間関係とは、互いにコミュニケーションがとれる関係性のことです。(厳密には、アイドルとファンはお互いにコミュニケーションが取れてるわけではないのですが…これも後述します)
例えば、コンサートやファンとの交流会、Vtuberでいえば日々の配信など、アイドルとファンがコミュニケーションを取れる場が多く存在し、実際、アイドルもファンも互いにコミュニケーションが取れることを望んでいます。
他方、テーマパークとそのファンとの間には人間関係が存在しません。
なぜなら、テーマパークはコミニケーションを取れない、取らないからです。
確かに、ミッキーやミニーなどと交流を行うことはできるでしょうが、それはコミュニケーション、あるいは人間関係がある、と呼べるでしょうか。
テーマパークは、テーマパークそれ自体が世界(異世界と言った方がわかりやすい?)でしかなく、キャラやスタッフはその世界を維持するための装置に過ぎないのです。
一方で、アイドルは、アイドルそれ自体が世界ですが、同時に、世界そのものがコミュニケーションが取れる人間なのです。

かなりわかりにくくなりましたが、要するに、
ファンとテーマパークは、テーマパークが単なる場所、幻想を見せてくれる特殊な場所であるから、テーマパーク(場所)と人間関係を結ぶことはできないが、アイドルとはテーマパークと同様に、幻想を見せてくれる場所であると同時に人間であるので、人間関係を結ぶことができる、ということです。

つまり、アイドルとはテーマパークだが、単なるテーマパークではなく、歩き、歌い、喋るテーマパークだと言えます。

では、これの何が問題なのでしょうか。

ここにある問題点、それは、アイドルとファンが人間関係を結べてしまうこと、それ自体にあります。
より正確に言うなら、アイドルとファンが見かけ上の人間関係を結べてしまうことにあります。(先述した見かけ上の友好関係と同じものです)

・ファンとはなにか
見かけ上の人間関係とは、一見すると友好関係、人間関係を結べているように見える関係ですが、本質的にはなんの関係も結べていない、あるいは、集団(没個人的)としての関係のみを結んでいる関係性を指しています。

そもそも、アイドルとファンは非対称な関係です。
アイドルはファンという集団、群体に対してコミュニケーションを取りますが、ファンはアイドルに対して、一対一のコミュニケーションをとっているように見えます。
つまり、お互いに同じ相手をみてコミュニケーションを取っているのではなく、互いに違う相手とコミュニケーションを取っているのです。
アイドルにとっては、ファンという総体的な関係性ですが、ファンにとっては、アイドルとの個人的な関係性を結ぶことになります。この非対称によって、人によってはバグが生じることになります。

これは極端な例ですが、例えば、好きなアイドルをストーキングして、実際に話しかけたところ塩対応をされてしまい、逆上し、殺してしまった、みたいな本当に極端な例を考えると、これはまさにファンの認識するアイドルとの関係性とアイドルの認識するファンとの関係性の非対称性が起こしたものだと言えます。このファンにとって、このアイドルは友人よりも親密な人ですが、このアイドルにとって、このファンは赤の他人、もっというならただの不審者に過ぎない。

以上の例は極端な例ですが、この非対称性の問題は、アイドルが持つファンへの認識は概ね、単一なファン像であるにもかかわらず、ファンが持つアイドルへの認識は十人十色、一人一人違うことです。
例えば、あるファンにとってそのアイドルは自分の人生を救ってくれた大切な人であら一方、あるファンにとっては暇潰しに最適な人、くらいの価値しか持っていない場合もあるでしょう。

ところが、アイドル(推し)が、人によってはここまで人生の大きな一部分になっているにも関わらず、これらの関係性というのは全て幻想、見かけ上の人間関係に過ぎないのです。

先述したようにアイドルの仕事が幻想、つまり、現実を忘れさせる時間を売ることであるなら、その時間を構築するのに用いられている方法のひとつがこの見かけ上の人間関係を作ることです。
この人間関係はまさに、"好きな人が自分を好き、あるいは、自分の好きな人が自分の趣味を好きで、かつ、自分の方が立場が上(あるいは対等)である"といういわば理想的な人間関係です。(これを見かけ上の人間関係と呼んでいるわけですが)
この見かけ上の理想的な人間関係をちゃんとただの見かけ上の関係であると認識している人は多いと思います(実際、オタクは目を覚ませ的な見かけ上の関係性に没頭していることを揶揄する意見にもそれはわかってると言ってる人も多い。これが本当かは…)

ただ、そんなことはどうでもよくて、このことの本質は、この関係性が"一方的に"できてしまっているということです。

そもそも、ファンというのはおかしな関係性です。
ファンというのは、ある人について"他人よりもその人に詳しい他人"であり、あるいは、“友人が知らない情報を知っているが、友人が知っているはずの情報を知らない人"という立ち位置の存在です。
ファンはアイドル(推し)の、身長体重、趣味、休日に何をするか、好きなものはなにかなど友人が知りもしない(知らなくてもいいような)情報を知っています(時にはそのアイドル以上にアイドルのことを知っている)が、友人が知っているはずの情報、言葉では表現しにくいですが、その人が持っている空気感や人格、考え方などは知りません、知り得ません。
このように、ファンとは他人以上友人未満の存在です。(他人以上といっても、知り合いですらないので、他人以上知り合い未満という方が正確かも)
このような意味不明な関係性は、アイドルの一方的な情報開示、いわゆる、"推しからの供給"によって成り立っています。(だからこそ、推しが開示した少ない情報を反芻するためにそういうことを知っている)
推しはこちらからの発信に対してだいたいは反応を見せませんので、推しからの供給がない間は、自分の中で一方的にその関係性を繋ぐ必要があります。
この関係性は、人によっては、友人以上の親密性を感じている場合もあるでしょうし、中にはガチ恋勢のように本気で好きな人みたいに感情移入してる場合もあります。
しかし、これは一方的な関係性です。アイドルとの距離感は自然にできるものではなく、自分で設定するものなのです。
つまり、そこに人間関係があるはずなのに相互では無いのです。見かけ上の人間関係とは、互いに一方的なコミュニケーションしか取れていない人間関係を意味します。

このような人間関係では、見かけ上では親交のある人間関係ができてしまうことで、その心理的な働きとしては実際に見かけ上でない人間関係を持っている人間と相対している時と同じものが起こるため、普通に一喜一憂してしまうわけです。しかも、人によってアイドルとの心理的な距離感は先述したように異なるため、単なるファンであれば一喜一憂で済むものも、ひどい癇癪や嘆きに変わります。
しかし、実際の人間関係であればその埋め合わせができます。実際に話を聞いたり、行動することによって。
ところが、ファンは受動的であることしか出来ず、アイドルが反応しなければ、その埋め合わせを行えません。また埋め合わせを行うにしても、その埋め合わせは一方的なものになります。

このように、アイドルは、人間関係の良い部分だけを幻想として見せる(アイドル活動など)ことで、ファンとの間に見かけ上の人間関係を作り、その楽しい時間、現実を忘れる時間を売っているわけです。
しかし、その人間関係が見かけ上であることが災いし、ファンは一方的な人間関係を行うことが要求され、いわば、アイドルに振り回されることになります。
この一方的な人間関係上では、ファンは無力であり、なにもすることができません。ただ推しからの供給を待ち、降りてきたものに対して一喜一憂することしかできません。ファンとは、奴隷ではないものの、モルモットではありそうです。

そして、ここに、ファンの持つ問題が生じます。

アイドルが普通に活動してる分には問題ないものの、アイドルが問題を起こしたとき、どうすればいいのかという問題です。
仮にアイドルがなんらかの問題を起こした時、実際の友人ならなんらかのアドバイスや働きかけを行うことができます。そうでなくても、話を直接聞くことができます。
しかし、ファンは何も出来ません。ただ嘆いたり、怒ったりすることしか出来ません。アドバイスするにしても状況が詳しくわかりませんから、戯言にしかなりませんし、最悪なのは、なんの話も聞けないことです。
詳しい話が聞ければ、人は心の整理ができます。しかし、それもできません。
なら、ファンはどうするか、SNSなど、自らの意見や気持ちを発信できる場所に、一方的に、あるいは、捨て台詞として、掃き溜めとして、愚痴や意見、気持ちをぶつけるしかないのです。
炎上したアイドルに対し、炎上に対して、ファンが心を痛めるのはここからだと考えます。しかも、お金をかけている場合は余計でしょう。
苦しんでいるだろう推しに声をかけられない、仕事を失敗した推しに怒りをぶちまけられない。
しかも、さらに複雑なことに、大抵の場合、アイドルはビジネス関係を隠そうとし、ファンもビジネス関係を隠そうとします。(現実を忘れにきているのだから当然。また、現実的に考えて、アイドルがビジネス100%ってわけでもないでしょう。楽しくもある一方で現実的な面も当然ある)(そういう意味では、ファンとアイドルとは騙し騙されるという信頼関係があるのかもしれない。そう考えると、そこには相互の信頼関係があるようにも見える)
しかし、こういった炎上の場面では、見かけ上の人間関係に隠された色んな関係性、感情が全部現れます。
ファンとは、見かけ上、アイドルが友人でも知り合いでもたまに通りで見かける(イメージ)だけだったり、家族だったり、姪だったり、クラスメイトだったり、恋人だったり、嫁だったりするのですが、同時にアイドルの顧客でもあります。

今般のようなスキャンダル、恋人の発覚というのが炎上の原因だった場合、友人的な見かけ上の人間関係を持っていたファンは、ふーん、大変だね、恋人がいるだけってことがわかっただけなのに。そんなこと、みんなわかってたでしょ?って気持ちと、顧客としての感覚、幻想を売るのが仕事なのに恋人がいるのを隠せないのは怠慢だ!という気持ちと、ファンとして、だけど、推しが炎上して苦しんでいるのは辛い、応援しないと、という気持ちなど、他にもあるかもですが、そういったさまざまな気持ちが混在している状況といえるでしょう。
特にガチ恋してる人にとっては地獄のような状況でしょう。実際には付き合っていないのですが、恋人みたいな見かけ上の関係性を幻想を売っていると、これは大変です。(ガチ恋ファンにとっては、これはいわゆるBSS、僕が先に好きだったのに、にも通じるところがあるような気もします。)

こういった状態に陥り、さまざまな言葉、気持ちを晒しているファンに対して、揶揄する人たちが出てくるのは、弱いものいじめもあるでしょうし、ファンという、この見かけ上の一方的な関係性、受動的でいなければならないモルモット的な意味不明な関係性のおかしさを無意識的にも感じている部分もあるのでしょう。
実際の人間関係に比べれば、見かけ上の一方的な人間関係とは、ままごとのようにも見えるでしょう。最終的に何にも結実しない人間関係です、劣ってるとみなされるのもある種、必然といった部分もあるのかもしれません。

そう、改めて考えると、ファンとアイドルとはよくわからない複雑な関係性です。
単に一般的なアイドルとファンという関係性であれば、比較的シンプルな構図が描けるように思います。
そもそも、アイドルという仕事自体よくわからないものです。
ここまで散々、アイドルは幻想を売り、現実を忘れさせる時間を売っている、その手段として見かけ上の理想的な関係を作り出す(活動の中でそういった関係性が自然にできてしまう)とか言ってきましたが、こういったものは明言されておらず、他の職業のように契約みたいなわかりやすいものがありません。
どちらかというと、アイドルというのは、明確に言語化すれば幻想云々を売っているということになるのでしょうが、感覚的にはアイドルはただひとりでにアイドル活動をしているだけで、その過程でファンが勝手に出てきて、勝手に応援し始めて、勝手にお金を落としていく、そういった流れが、これまで頑張って言語化してきたものなのかもしれません。

アイドルとファンがそういうものと仮定すると、これは神社と参拝客の関係に似ています。そもそもアイドルはイデア的な話から出てきますし、そりゃ神との認識が一致するのも当然ですが、神はただそこにいるだけ、参拝客はその神に何か惹かれるものを感じ、あるいは、そこから得られるパワーを求めて参拝し、お金を落としていく。アイドルに対しても神に対しても同じお布施という言葉が使われるのはこういうことだと思います。
ただ、神はどちらかといえばテーマパークに近い存在(テーマパークはその裏に人がいるから何かしら反応が期待できるもののどちらかと言えば不動の存在に近い)であり、神は不動です。神は何も応えてくれません。
しかし、アイドルは人であり、コミュニケーションがとれるため、見かけ上の人間関係が作れてしまうことで、アイドルに対し、騙し騙される関係を神以上に期待できてしまいます。
そうなると、本来、神と参拝客のように、神が応えなくても応えても参拝客は何も言えないのが普通、それが当然、つまり、見返りがなくても当然であるという関係性と同じ構造をもつアイドルとファンという関係性は、そのような構造を持つにも関わらず、アイドルが人間で応えを期待できてしまうが故に、アイドルからの見返りを強く求めてしまいがちになるという点があるように思います。
(アイドルとファンがこのような、神と参拝客の関係にあるなら、今回のような炎上騒ぎがあったときに、神(アイドル)に失望したとして、参拝客(ファン)が何かしらの意見を言う資格があるのか、と言う問題が出てきます。権利の問題ではありません。権利は当然あります。ただ、資格があるかどうかです。アイドルとファンがビジネス関係ならば、(お金を払ってきた人は)資格はあるでしょうが、神と参拝客の関係がこのベースにあるのであれば、ファンはいわば、ただアイドルが自発的に行ったものを勝手に見て、勝手に金を払ってるだけなので、はたして何かいう資格があるのでしょうか…まぁこれが適応されるのは、純粋な神と参拝客の関係がある場合ですが…。ただ、誹謗中傷する権利などどこにもありません)

こういった問題は、今般のような配信者アイドルといったアイドルの場合、より深刻になります。

アイドルというものが多様化、細分化されていく中で、アイドルという存在はだんだんファンと近い存在になってきました。
以前であれば、決して会えないような雲の上の存在であったはずが、今では握手会や配信、SNSなどで、簡単に会うことができます。
以前のように、アイドルが雲の上の存在であれば、アイドルは文字通り、雲の上の神のような存在なわけですから人たりえないわけです(だからこそ昔のアイドルは"トイレに行かない"という幻想があった、もはや、トイレに行かない人は人、生物ではない)。ゆえに、先述した神と参拝客の関係が維持され得ることになります。
しかし、アイドルとの距離感が近くなった今では、もはやアイドルは"トイレに行くのが当たり前"の存在になります。アイドルは神ではなく、人になったわけです。
そうなると、神と参拝客の関係は維持しにくくなり、見返りを求めてしまうアイドルとファンの関係が露骨にではないにせよ、出てくることになります。

これをもう少し広げて考えていくと、例えば、神に意見する人は少ないと思いますが、この神が人間に近い俗物、あるいは、もはや人であったとわかれば、意見する、あるいは、意見したい!と思う人は大量に出てくるはずです。
これは、神(アイドル)が人に近ければ近いほど、こう言った現象は起こりやすくなると考えられます。(特に、アイドルがスキャンダルを起こした際は、一気にアイドルの現実が露呈するわけですから、アイドルは人に堕すことになり、意見や感情を吐露する人が多くなる…?)
では、今一番、人に近いアイドルとは何かと考えると、それは、配信者アイドルではないか、と思うのです。
(地下アイドルなどその辺の話に疎いので、そこらはわかりませんが、ここでは、人に近いアイドルのひとつとして配信者アイドルの存在を挙げています)

・配信者アイドルとはなにか、
正直、よくわかりません。後述しますが、アイドルというものが遍く存在するような現状、配信者=アイドルみたいな状況でもあるので、配信者アイドルというより、広く配信者、特に、配信者アイドルという場合は、今回のようなVtuberみたいな人たちのことを中心に書いていきます。

そもそも、(ゲーム)配信者というのは、今まで1人、あるいはリアルの友人と集まってやっていたゲームを、あるいはゲームをしている様子をSNSなどで共有しながら、やっている人たちのことです。
いうなれば、ゲームをやっている様子を自発的に、あるいは勝手に配信してるだけの存在です。そして、そこにたまたま視聴者が見にきている、というだけです。なので、ゲームに関わらず(ゲーム配信者に固定して書いちゃってましたが、配信者全般と思ってください)、配信者の視聴者というのは、配信を配信者のご厚意で見せてもらってる、と言う立場です。これは、まさに神と参拝客の関係と同じです。
それゆえに、配信者は各々の独自の配信者ルールを定めて、それに従わない視聴者には警告や最終的にはブロックという形をとるわけです。視聴者は勝手に配信を見に来ているだけなのですから、配信者はそのルールに従わない人間は排除する権利があります。もちろん資格も。

では、この神と参拝客の関係は、アイドルとファンの関係のようにどれだけ人に堕ちているかというと、現代のアイドル程度には人に堕ちていると考えていいでしょう。
配信者の場合、編集が出来ませんから、神である配信者の全てが露出することになります(全てが露出しているように見える)。また、配信者と視聴者との距離感は非常に近く、コメントなどで直に自分の意見や気持ちを伝える(投げかける)ことができます。ゆえに、様々な意見や感情の吐露が多数行われる(指示厨などは良い例)わけです。

では、翻って配信者アイドルはどうなのかと考えると、先ほど言った、配信者の持つ神と参拝客の関係、これに加えてアイドルのもつ神と参拝客の関係が2重になるわけですから、配信者アイドルの立場は非常に緩く、曖昧で、かつ、悪く言えば攻撃を受けやすい立場であることがわかります。神と参拝客の関係はもはや感じられず、特に、職業としての配信者の場合、より状況は複雑化します。
ここでの職業として、というのは、事務所やスポンサー契約をしている配信者を指すものと思ってください。
そういった配信者の場合、配信者と視聴者の関係は完全にビジネス関係になり、ファンは顧客になります。そうなると、ファンの意見や気持ちは顧客の意見ということになるため、大事な考慮すべき意見であるものの、中には当然、誹謗中傷や指示厨のようなコメントもあり、言わば何を言ってもいいような状況にあります。

特に配信者アイドルの場合、アイドルという立場上、ファンサービスを行う必要がありますし、また理想の人間関係を作ることがその幻想を売るために必要な手段である以上、ファンに対する“否定“というものをし辛い印象があり、そういったことがしやすいキャラ設定ならまだしも、やんわりと指摘したり、無視せざるを得ない場合、とことんストレスや悩みが蓄積していくことになるでしょう。

このように、”配信者✖︎職業配信者✖︎アイドル“というものが3つも重なっている職業配信者アイドルにおいて、神と参拝客という関係性はもはや意識され得ず、視聴者を顧客として扱う必要のある職業配信者が、視聴者と距離感が際限なく近い配信という場で、アイドルとしてファンとビジネス関係を意識させない、現実を忘れさせるという幻想を作り上げていく、というとても複雑で難解なことをやらないといけないわけです。しかも、ファンは神と参拝客の関係を意識していませんから、配信者が勝手にやってるものを勝手に見に来てるだけのはずであった視聴者は、顧客として言いたいことを言っていきます。

こういった構造を持つ以上、職業配信者アイドルがその歪みの中で体調を崩したり、ファンからしたらちょっとしたことで、アイドルが不穏な状態になるのはある意味、当然と言えます。特に、アイドルや配信者といった曖昧な職業の場合、私生活と仕事の区切りがつきにくいこともあるでしょうから、余計に仕事から離れられないことも重なっていそうです(一般的な会社員だと、家と仕事場は別である場合がほとんどだが、配信者の場合、家と仕事場が一致していることから、仕事なのか私用なのかが極めて曖昧になりやすい。)。


と、ここまで、神から人に堕ちたアイドルは、配信者、特に職業配信者という体を取ることによって、ビジネス関係をファンという顧客と結ぶことになるため、人であったファンが”神”の立場に、神であったアイドルは神となったファンに“奉仕”する立場になってしまったわけです。こう考えると、なぜファンがアイドルの炎上騒ぎにここまで苦しみ、また、今まで必死に応援してきたアイドルに対して牙を剥くことができるのかわかるような気がします。

今まで奉仕してきたと思っていた相手に実は奉仕されていたわけですから、炎上によって、その奉仕を思い切りぶん投げられたら、そりゃブチギレるのもまぁわからんでもないです。
人は、助けてくれなかった人よりも、生半可に助けた人により恨みを感じるとはよく言うものですが、アイドルは奉仕対象であるファンの抱える問題(ここの問題とは個人的な問題。ファンという存在が抱える問題ではない)を解決することは一生出来ないので、アイドルは一回の失敗で常にファンから恨まれるという爆弾を抱えていることにもなります。


これがアイドルとファン、特に、今回の炎上騒ぎのように、職業配信者アイドルとファンとの関係は混沌に飲み込まれおり、またその混沌を覗くものからすれば、なんとも愚かな構図に見えるわけです。
これがよくある炎上騒ぎ、特に、スキャンダル関係で炎上した際の構図を自分なりに言語化したものとなります。


後述すると書いていた、アイドルが遍く存在するという点を書いていきます。
これが最近になって起こったことかどうかはわかりませんが(多分、昔からでしょうが最近になって強くなった?)、アイドルが遍く存在するというのは、
元来、アイドルではない人にアイドル性を見出してしまうことを指しています。

そもそも、アイドルって具体的に何をすればアイドルっていうことになるの?と聞かれると、閉口するしかないんですが、まず思い浮かぶのは歌ったり踊ったりでしょうか。それをしてると直ちにアイドルになるのかというとそうじゃないですが、ここでは、歌ったり踊ったりしている人、と定義しておきます。

となると、この定義に当たらない人は大量にいます。
例えば、先ほど出た配信者。これは歌って踊ったりはしません(する人もいるけど)
単純にゲーム配信を行なっている人なら、アイドルに該当することはないと思いますが、そんな配信者であってもアイドル的な関係を余儀なくされる場合があります。これは、ある種、致し方ない部分がありますが、直接的な会話が出来ず、ファンからすれば1対1のコミュニケーションだが、推しからは1対多というコミュニケーションを行う場合、アイドル活動をしていなくても、アイドルとして扱われる場合があるということです。

この場合、ファンはアイドルと思ってるけど、配信者(推し)自身がそう思ってない場合、推しのちょっとした言葉が否定的に聞こえたり、強い言葉を使うときに反発的な気持ちになることもあるかも知れません。それで指示しようもんなら、指示厨とみなされてしまうのも仕方ないと言えるでしょう。ここでは、神と参拝客に関係は少なからず維持されているにもかかわらず、それを意識できず、アイドルと同じ対応を求めて、嫌がられるということもあるでしょう。(推しが女性である場合、男性に比べてはるかにアイドル性を求められるでしょうね)
(単にこの関係性の変化を意識できない場合、コミュニケーションエラーなのでコミュニケーションが苦手という部分もある気もしますが…)

こういった事例の具体的な例として、とあるVtuberの話があります。
そのVtuberは歌ったりしているものの、動画を中心に活動してる人で、生粋のVtuberとして活動していました。当時、よく見ていた自分としてもアイドルという認識はありませんでしたし、可愛いとは思っていたものの、面白い人たちという認識もおおくあったと思います。どちらにせよアイドルという感じではなかったし、アイドル活動をしていた認識も当人はなかったはずです。
しかし、ある日、その中の人が出産したことを動画で報告し、ツイッターのトレンドに上がるなど、大いに話題になりました。
そこでの反応として、中の人が出てきたことに驚きはあったものの、元からそういう驚きの技術や発想で動画投稿していた人でもあるので、多くの人の反応としては喜んでいる人がほとんどでした。
しかし、超一部の人は、なぜ隠し通さなかったんだ!という趣旨の怒りツイートをしていたのを本当によく覚えています。

このようにアイドル活動を全くと言っていいほど、行っていなかったこの人でさえそのような声が一部で出てくるわけですから、単純に、アイドル路線で行かなければいい、というだけでは、回避できないものが存在します。

こういったことが起こる原因としては、やっぱり、何度も言っていますが、直接的なコミュニケーションが取れない状況で、見かけ上の一方的な人間関係しか構築することができず、また直接的なコミュニケーションによって、この互いが互いに持っているイメージの齟齬を修正、解消できないというのもその問題の一端なのだと思います。
職業配信者アイドルの登場で、配信者=幻想を見せてくれる人、という認識が明確にあるわけではないでしょうが、当然ですが、配信者=幻想を見せてくれると一様に認識していると、なぜこの配信者(推し)はファンに奉仕しないのか!といった齟齬が生まれる原因になりかねません。
基本的なスタンスとしては、神と参拝客の関係を意識しつつ、配信者=神、不動なものとして捉え、本当に改善した方がいいこと、例えば、配信にノイズが乗りまくってるとか、めちゃめちゃ罵詈雑言を言いまくってるとか(この辺の塩梅が難しくて、指示厨とか言われる原因にもなるんですが…)は意見した方が、良好な関係を築いていくためには必要かと思います。
それでも改善がないなら、そういう方針と思って我慢して見続けるか、もう試聴するのを止めるしかないです。なぜなら、配信者は勝手に配信してるだけで、ファンは勝手にそれを見にきてるだけなので。


これは補論なので、具体的な結論は本論の方に任せたいのですが、一旦、補論で言語化しておきたかったことを書いておくと、
アイドルとは見かけ上の一方的な関係性の中で、幻想として理想的な人間関係を見せつつも、同時に、顧客であるファンに対して、ビジネス関係であることを悟らせないビジネス関係を築く必要がある、そんな存在でした。また、元々、神と参拝客の関係性をベースに持つものの、ファンとの距離が近づくにつれ、どんどんと神から人へ、人から奉仕する側へと変化してきた結果、ファンへの奉仕を中断する出来事があった際、ファンが叱咤をするようになるのではないかと述べてきました。
また、ファン自身が距離感や関係性を読み取り違うことで、アイドル路線で活動をしていなくとも、容易にアイドルとして認識され得るということも述べていきました。

以上でしょうか。
推しのファンとしてこれから起こるかもしれない色んな炎上に対して、冷静に対応できるようにも、これまで書いてきたことを念頭において忘れないようにしたいものですね…自戒も込めて…
かなり長くなってしまいましたが、あとは本論に任せます。


追記
アイドルの定義がやっぱり微妙なので、ここでちょっと考えたものを書いておきます。これも変わるかもですが。

まず、アイドルの定義として、
『見かけ上の一方的なコミュニケーションの中で、歌や踊り、配信などの活動を手段として、幻想を売ることを目的とした者、または、団体』
と一旦、前よりも具体的に定義しておきます。

A『見かけ上の一方的なコミュニケーション』というのは散々説明してきたものです。アイドルとは、ファンとの1対多という非対称なコミュニケーションを取るほかなく、アイドルはファンへの一方的な供給システムを構築し、またその供給の中で、ファンは自分の認識したアイドル像(推し像)を構築していく他ないという形でした。
そのため、『見かけ上の一方的なコミュニケーション』はアイドルと切っても切れない関係なので、定義としては外せないかなと思います。

B『歌や踊り、配信などの活動を手段として』
ここはかなり曖昧ですが、アイドル活動の内容が往々にして多岐に渡ることから、ここも曖昧にせざるを得ないところです。ただ、後に続く文の方が重要なので、ここはいろんな方法があるよということを強調できればそれで構いません。

C『幻想を売ることを目的とした』
この補論では、アイドルとは幻想を売る者、テーマパークだと述べました。そして、その幻想とは楽しい時間、現実を忘れさせる時間である、とも述べました。
アイドルの仕事は幻想を売ること、という主軸がわかっていれば、アイドルの行いは全てこの目的を達成する手段と見なすことができるので、アイドルかどうかを判断するのに、その活動内容で定義するよりも、幻想を売ることが目的か否かで判断した方が賢明と思いました。
それであれば、前段の手段に関わる部分が曖昧であっても、この目的のためになんらかの手段をとっているか否かという形にできます。
ただ、幻想を売るという目的を持っていることをどう判断するのか、というのはかなり難しい問題にも思えます。
ここでは一旦、『夢を見させるような言動があるか』という点でいくとして、具体例を通じて、この定義でいけそうかどうか見てみましょう。

具体例①
この人は、事務所に所属しているVtuberであり、ゲーム配信を主な活動内容としている。また動画として歌ってみたを投稿したり、配信で歌枠を取ることがあるものの、コンサートのようなものは事務所全体を通じて行ってはおらず、個人としても行っていない。一方で、クリスマスや誕生日などの記念日に際しては、ボイスや限定グッズなどの発売もおこなっている。

このような場合、先ほどの定義に当てはまると、
配信者であることから、Aの定義に当てはまり、歌ってみたや歌枠の存在からBの定義が当てはまりそうですが、最後、Cの定義が微妙です。

このVtuber事務所は、大雑把に言えば、ゲーム配信によるeスポーツ界隈の盛り上がりを目的とした団体であり、幻想を売ることを目的とはしていません。
(eスポーツ業界の成功者としての夢を見せているのではないか?という指摘もありそうですが、先述したアイドルは夢を見せるという定義の夢は、現実を忘れさせるとか現実では得られない楽しい時間という意味での夢で、指摘にある夢というのは成功者としてのロールモデル的な、成功するとこんなメリットがありますよ、という意味での夢なので、意味が結構違っています)

なので、Cの定義には当てはまらないので、このVtuberはアイドルではない!と言うことができます。

しかしながら、では、eスポーツ業界の盛り上がりという目的を果たす手段として、歌ってみた、や、ボイスの販売などが合理的かと言われると、eスポーツに直接は関係しませんし、ちょっと変な活動ではあります。
では、そういった活動にどんな意味があるのか考えてみると、まぁそもそも、事務所の目的と個人個人の所属Vtuberがいつも同じ目線かと言われるとそうではないと言うのが現実的なところでしょう。ゆえに、全ての活動がその目的に準じているものではないと言えます。
また、Vtuber配信者としては、歌枠、歌ってみたをやる意味はあります。事務所の目的を支えるためにもそうでなくても活動をしていく上では人気がないとダメですから、ファン層の人たちが喜ぶような歌配信をとると言う面もあるでしょう。
あるいは、配信者として自由に配信してよいから、好きな歌を歌うという単にそれだけでもあるでしょう。

ただ、ボイス販売となると、話は変わってきます。
このボイスはメンバー全員分が出てますから、事務所が企画しているものとわかります。となると、活動目的を一番に把握しているはずの事務所が目的のeスポーツとはなんら関係の無いボイス発売を企画するというのは一体…?となります。

このボイス内容ですが、買ったことないのでよくわかんないんですが、レビューを見る限り、甘々だったり、にやけたり、悶えてしまえる代物らしいです。
ということは、eスポーツのアドバイス的なボイスではないことは確定です。まぁ、このレビューから察するに、甘々な関係性を作り出してるボイスだったりするんでしょうか。例えば、そのVtuberと一緒にゲームしたり、その過程でチョコとかクリスマスプレゼント渡されたり…知らんけど。

とすると、これは、Cの定義で述べた『夢を見させる言動がないか』に引っかかります。
そう考えると、このVtuberはCの定義に当てはまるような幻想もその活動の一部として売っているということが言えます。ただ、あくまでも活動のメインはeスポーツ、ゲームであり、そこはブレていません。

こういった、手段としてアイドル的な活動をしているものの、目的は別のところにある、みたいな売り方って結構見かけるように思います。
途中も述べましたが、人気を獲得していくためにはアイドルとしての売り出しをした方が良いのでアイドル活動的なこともさせるものの、ガッツリアイドル路線で行かせるわけでもなく、ギリギリアイドルに片足突っ込んでるか突っ込んでないかみたいなところで留まらせてメインの活動をさせるという形です。

こうなると、このVtuberはアイドルの定義には当てはまらないものの、アイドル(のような)活動を手段として用いている、と言う他ありません。(あるいは、部分的にアイドルである、とは言えそう)

具体例①では、まだ定義を変えるほどではなさそうでしたが、部分的にアイドル活動をしている場合、どれだけのアイドル活動量であれば、もはやアイドルと言っていいのかは定義から推し量ることはできませんね…

具体例②
この人は、個人の配信者であり、ゲーム配信をメインにしているものの、ゲーム配信以外には雑談配信を取るくらいで、しかも雑談配信自体、ゲームをやる前後や食事の際だけなので全部ゲーム配信である。
グッズ展開もある程度しているが、服やマウスパッドなどであり、その他の活動は特にしていない。

この場合、A・Bの定義には当てはまるものの、Cに関しては当てはまりません。
配信はしていますが、幻想を売るためではなく、チャンネルへのパートナーシップや投げ銭、メンバー登録などから得られる収益が目的の一つであり、視聴者を楽しませるという目的は当然あるものの、生活のための配信という面が大きいでしょう。
ゲーム配信で楽しい時間を共有しているのだから、楽しい時間という幻想を売っているのでは?という指摘がありそうですが、確かに少なからずそう言う面はあります。そもそも先ほどの収益を得るのが目的というのも、アイドルも最終的にはお金を得るために幻想を売っているわけですから、幻想を売ると言うのも手段と考えると、確かに指摘の通りです。
ただ、ここでは、先述した『夢を見させる言動があるか』という定義も導入することである程度解決ができそうです。
楽しい時間を幻想として売っている、というのをこの定義を踏まえて考えると、『夢を見せるような手段で楽しい時間を幻想として売っている』と修正した方がいいかもしれません。ただこれでもわかりにくいですが…
夢を見せるような言動というと、具体例①でも述べたように、甘々な関係とか、現実では望めないような状況を作り出すことにあります。そう考えると、ただゲーム配信をしているこの人とアイドルの違いは、そういった夢を見させるような関係を配信の中で構築していく面があるか否かになりますが、私が見てきたなかでは、淡々と楽しくゲーム配信をしているという形なので、夢を見せるという意識はないように思えます。

具体例②でも、定義を変えるほどではないものの、『夢を見せるような言動』の解釈の振れ幅が大きいことと、幻想=楽しい時間、現実を忘れさせる時間とすると、ただゲーム配信をしている配信者もそこに入ってきてしまいますし、また、配信者側が意識してなくてもファンが勝手に幻想を感じとってしまう場合、アイドル路線では全くないのにアイドルとして認識されてしまう場合もあります。

具体例①、②と書いてきましたが、問題点の根源にあるのは、やはり、アイドル性の偏在性が問題で、ただの配信者においても、その形式上、アイドル性がほんの少しでもあってしまいますし、ここまでいくと、アイドルかどうかを0-100で考えるよりも、どれくらいのグラデーションでアイドルなのか、アイドル性がどれくらい濃いのかというアイドル率的なものを設定した方が有意義に感じますね。ただ、その場合、なにを基準にアイドル率を計算していくかという難題がありますが…
もしかしたら、また追加して、アイドル率にも触れていくかもしれませんが、今回の追加は一旦ここまでで…。


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