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ごんべえ森のコロポックル

 平取シーラ君が北海道へ引っ越して一ヵ月もたつと、みんなの口から名前が出ることもめっきりなくなってしまい、いづみにはそれが寂しかった。学者になりたいというシーラ君は、ガンジー組の生徒から頼りにされていた。空のこと、虫のこと、「ぼくの知る範囲では」が口癖で、シーラ君も分からないことだと、図書室で調べてあとで教えてくれた。4年生の新学期が始まったころは、「シーラがいればなぁ」という声が授業中、よく聞かれたというのに……。
「横川さん、いっしょに歩かない?」
 振り向くと、遠藤すみれが恥ずかしそうに笑っている。「うん、いいよ!」いづみは普段すみれと話す機会があまりない。でも、いつもほがらかな彼女とは仲良くなりたいと思っていたから、びっくりしたけど、うれしかった。


 徳丸先生を先頭に、ガンジー組のみんなが森に到着する。「さあ、ごんべえ森は君たちのものだ。自由に過ごしていいよ!」両手を広げて先生が言うと、ワーッと声があがり、みんな思い思いの方へ行った。徳丸先生は芸術の担当で、今日の3、4時間目は、「ごんべえ森を歩いて、感じたことを絵にしましょう」というのだ。感じたことなら、土星の絵でも、お寿司の絵でもいいらしい。
 竹原市立南十字小学校は森のとなりだから、チャイムの音は聞こえる。何かを感じ、イメージがわいたらいつでも教室に戻って描きはじめていいのだ。ごんべえ森は中くらいの広さで、地面は平ら、所々に光が差し、これという道のない森だけど、木と木の間隔にゆとりがあるので周りがよく見渡せる。


 生徒たちをうしろで見守りながら、徳丸先生は歌をうたいはじめた。イタリア語なので分からないけど、みんな笑っている。むかしイタリアの美術大学に留学してたらしい。片手で木を抱えながら、木こりのような帽子を取って、手でくるくると回す。いづみとすみれは遠くで聞こえる先生の歌にくすくすしながら、花の前でとまった。
「これは何ていうの?」「ハナニラだよ。へぇ、まだ咲いてるんだ」とすみれはしゃがんで答える。いづみも一緒にしゃがんで、白くて紫がかったかわいい花をみつめた。「葉っぱをさわってみて。ニラのにおいがするから」そう言われてやってみると、もわーんときた。餃子を思い出す。「うわぁ」
 また歩き出して、たずねる。これはなあに? 一輪草、ほら、一本の茎に花が一輪しか咲いてないでしょ。ほんとだ、といづみ。「分かりやすい名前だね」「うん。それと……」すみれはきょろきょろし、あった、と言って歩いていくと、「これが二輪草」。いづみが近づいてみると、今度はペア同士の白い花が咲いていた。「すごいなぁ……」いづみはうなった。植物好きは知ってたけど、こんなに詳しいなんて。そういえば、下校中すみれがよく道ばたでしゃがんで草花を見つめているのを、いづみは思い出した。家に帰ったら図鑑とか広げて調べてるの?
「うん。あとはお母さんにきいたりしてる」とすみれはにっこり笑う。木の間から、すうーっと風がとおった。「ああ、いい気持ち」「ほんと、5月の風って、あたし好き。緑の色も、光の感じも。草の匂いが若いし、嗅いでると元気になる」すみれは家にいるみたいにくつろいでいた。


 ガンジー組のみんなは大分バラバラになったらしく、二人の周りは誰もいない。ところで、ごんべえ森は、実はそういう名前ではない。正しくは、森。そう、名前がないのだ。だから名なしの森なのだけど、誰かが、《名なしのごんべえ森》と言ったことからそう呼ばれるようになったと、いづみはお母さんから聞いた。
「これは鈴蘭」
「白い花が鈴みたい。かわいいね」「北海道では、鈴蘭を郷土の花にしてるの。ただし、毒があるから食べないでね」「うん、食べないから大丈夫だよ」二人は笑う。さて、近づいてきたかな、とすみれが愉快そうに辺りを探した。ふきの葉がたくさんある所がみえる。先を行くすみれの後についていった。「蕗のとうって知ってるよね? あの花が終わると、こんな大きな葉っぱが育つの」そして、すみれは一息おくと、
「コロポックルさーん」と叫んだ。
 しばらくすると、右のほうの葉がかさかさ動いて、小人が出てきた。「やあ、遠藤さん。よく来たね」


 いづみは声が出ない。「あなたは横川いづみさんだね。わしはコロポックル。北海道の先住民族アイヌとともに生きてきた」、はい……といづみは頭を下げた。すみれの説明によると、1週間くらい前にごんべえ森を散歩してたら今のような状況になって、蕗の下から出てきたコロポックルと目が合ったらしい。優しいおじいさんで、アイヌのことは何でも知っている。会うのは今日で2回目だ。
「コロポックルさんは、アイヌなの?」「ふふふ、コロじいでいいよ。アイヌの伝説や物語で登場するのがわしじゃが、アイヌではない。妖精でもないが、そう見えるのなら妖精でもいいぞ」。ちなみに服はアイヌと同じじゃ、と言った。不思議な文様の陣羽織を着ている。太い鉢巻きをし、髪とひげは長い。すみれがニコニコしているので、怖がることはないんだといづみは思った。芸術の授業の話をすると、
「ほう、それは面白い課題じゃな」
「コロじい、なにかアイヌのこと教えて。自然のこととか、文化とか」
「わかった。ではお話ししよう」ふたりは体育座りになった。
「わしが教えるのは、アイヌと自然の関わりについてじゃ。まず、アイヌとは“人間”という意味で、これは神様と対になる言葉じゃ。そしてアイヌ語で神のことを“カムイ”という。アイヌは、自然現象は神そのものと考えておる。この蕗も、木も、大地も、風も、神が仮の姿をして人間の世界に現れたもの。動物は、人間に食べ物を与えるために、神の世界から使命を持って、鳥や魚の形をしてやって来てくださっておるのじゃ」
「すてき! 食べ物はもっと感謝していただかないといけないね」といづみが言う。
「そう思ってもらえるとうれしいのう。すべて神なのじゃから、この草は〈座っている草〉、あの木は〈立っている木〉と表現したりするんじゃ」「本当に生きてる感じがする……」
「実際、生きておる」、コロポックルは笑う。「この世は、みんながお互いを支えあい、育てあっている。大地を意味するウレパモシリには、そういう内容があるのじゃ。みんな生きてる価値があるから、アイヌは、決してものを奪いつくしたり、取りつくすことはない」


 二人にとって初めて知る考え方だった。あとのために残すというのは、地球の環境問題で取り上げられる考えと似ている。
「あそこに鳥がとまってる!」すみれの指さす木を見ると、大きなフクロウがいた。コロポックルはうれしそうに、「あれはシマフクロウじゃ。動物の中では最高の神で、シマフクロウが飛ぶ森は、豊かな証拠なんじゃよ」
「ごんべえ森にフクロウがいるなんて……」「シマフクロウじゃよ」「そうだった。あら、もう飛んでいっちゃう……」すみれは残念そう。「コロじい、シマフクロウって、昔からこの森にいたの?」いづみがきく。
「ふふふ、いい質問じゃ。シマとは北海道のことでのう、日本では北海道の東部でしか見られぬ」「えっ、ということは……」コロポックルはにっこりうなずく。「ここは半分北海道なんじゃ」
 目を合わせるふたり。「残りは竹原市でな。さぁて、これからアイヌの大事な儀式を見学しに行こうか。二人とも、こちらへ」と、コロポックルはすたすた歩き出した。半分は竹原市だからホッとしたけど、本当にいま北海道にいるのか、実感がない。あとをついているうちに、森が紅葉してきた。「コロじい、秋が深まってきたみたいだけど……?」すみれがたずねる。落ち葉が多くなり、しんと静まりかえった森の中を、ざふっ、ざふっと足音だけが聞こえている。
「そう、今は12月じゃ。でも安心せい。わしらの周りの空気は5月のままじゃから、この格好でも風邪はひかぬ」「あ、本当だ。寒くないね」と、うれしそうなすみれ。とても不思議なことなのにのんびりしてるのが、いづみにはおかしくて笑ってしまった。
「ほれ、あそこじゃ」、茅葺きの古い建物を指す。「アイヌの村長の家じゃ。今、なかで〈熊の霊送り〉をやっておる」、家の前までつくと、コロポックルは二人のほうを向いた。

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