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「〜べき」の話①

「社会人なら、
「大人なら、
「親なら、
「子供なら、
「男なら、
「女なら、

〜べきだ!」

うん。やですよね、これ。
大抵の人が嫌いな言い回しベスト5くらいにはランクインしそう。

「〜べき!」なんて言うやつはモラハラ気質の石頭野郎だ!!F●CK!!

とか、自分が言われるとすかさず脳内悪態ラッシュなんだけど、ふと気づくと、自分も使ってて非常に気まずい。誰も聞いてなくても気まずい。

誰だって嫌いなんです。でも、誰だって一回は使っちゃうんです。

だって、立派な人でありたいですからね、みんな。

そもそも、なんで「〜べき」が嫌な気分になるのか。
それは、自分の意見やスタンス、生き方を丸っと無視されちゃうからなんです。

生まれてから今まで、いろんな思いをして、大切な人に出会って、なんとか紡いできたたった1人の「私」の歴史を、
・社会人
・大人
・親
・子供
・男女
なんかのカテゴリーにお手軽仕分けされて、そのロールモデルを強制されるから。

自分にしか作れない歴史を、無かったことにされるのは最大限の侮辱です。

また、たった1人の自分自身であることは人間の原点であり最終目標ですから(自他分離自己実現欲求)、十把一絡げにされることに対しての嫌悪感はもはや本能なのかもしれません。

(だいぶ長くなったからまさかの連作です!!)


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