距離感と境界線の話
こんにちは、あいです。
ふと、人との距離感、境界線って難しいなと感じてしまいました。仕事、プライベートやネットだろうとどこから相手の領域なのか?どこまで踏み込んでいいのか?と悩んだり、逆に私にとって大事な領域に踏み込んでこられるのに違和感を持てなくてそのまま従ってしまい苦しくなることもあったし他の意見や情報を見るまでこれが普通なんだって思ってたのです。
好きだと思った相手にはなるべく役に立ちたい、頼られたい私だけを見てほしい、全て知りたいとズカズカ土足で踏み入れる勢いで聞いてしまったり相手が求めていないのに与えよう与えようと何かしたがる割には心の底ではここまでしたんだから好いてくれるよね?という下心があるから期待していたものを貰えないと疲れて結局もういい。と自分の中で癇癪を起してしまう未熟さがあったりして何でこうしちゃうんだろう?と思ったときに気付いてなかったんです。相手の動きや言動は当たり前だけれど相手のものであるのにそれを与える事でコントロールしようとしていたって。
私は自分の親が全て悪いとは思っていないのですが昔、一緒に住んでいた時はかなりコントロールされていたのかなと思いました。過干渉で私がしたくないことを強制したり拒否すると私の考え方がおかしいや変だ、馬鹿じゃないの?など言われる時期があったので言われたくないから従ってたのを覚えています。一番身近な人からの言葉というのは呪いのようにずっと残っています。ただその分甘やかしたり、優しくしてくれたのでよくよく考えたら一個前に書いたもののまんまですよね。○○したから○○してくれるよね?っていうのが典型的に刷り込まれてたのだと思います。
多分思春期の時にフィリピンに留学しないでそのまま日本で暮らしてたらもっと酷くなっていたのかなと。今は物理的に距離も離れているしラインや電話だって別に返事したくないものは無視するしお母さんもそれに関して別に咎めたりしないって感じで月二回ほど会うのですが関係は良好になりました。
話が少し逸れてしまいました。この出来事もあって人との距離を無意識に開けてしまうというのが癖になっていてとても仲良くなりたい気持ちがあっても最初は知ってく過程があって楽しいしいいと思うのですが徐々にお互いの境界線のバランスが崩れてしまった時にお互いがお互いを疎ましく思い始めたり、嫉妬しはじめたり勝手に期待してしまったりと関係性が不健康になったらどうしたらいいのかまだ分からないんですよね。
一度知ってしまうと好きだからやはり執着してしまっていくら不健康な関係でもずるずる続けてしまって苦しい気持ちに囚われてしまうのがとても辛いです。嫌いになりたくてもなれないし、はっきり出来ないからもやもやするし好きでいてほしいでも無理なものは無理なのって踏ん切りがつかない。これが極限になったときに人間関係をリセットしてしまうのかな。
逆に健康的な関係を築けてる人たちもいますが何が違うのだろう?と考えたときにちゃんとここまでは聞いてもいいけどここはダメっていう線引きを教えてくれるんです。こっちがあ、嫌われたわ。と思わないさらっとした言葉で伝えてきてさっぱりしてる。それにたとえ意見が違ったりしても一旦受け入れてくれるんですよね。あなたはそういう考え方なんだ、私はこうなんだけどって交換しあえたりするから分かりやすい。そうじゃないから良くないとかじゃなく私はどちらかというとこういう人たちの方が健康的な関係を気付きやすいのかもしれないな、と書いてて新しい発見でした。
人間関係って人によっての合う合わないがあり時の流れやその時の状態によって日々変化していくものなので一時距離を置く時間が必要だったり絶対にずっと一緒という関係はありえないと分かっていても私はそうだったらいいのにって幻想を抱いてしまう時があります。
そうにはならないからこそ成長も出来て、居心地の良い環境を作っていく必要があるのかなと思いました。人との関わりというのは一生あるものなので自分なりの距離感の取り方やお互いの境界線を尊重しあえる人を大事にしていきたいです。
このエッセイでは文もまちまちで答えが出ないけれど思考が整理されました。ここまでお読みいただきありがとうございました。スキ励みになっています。
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