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トマトとピーマンと娘

今日ももれなく不登校の娘。私も今日は午後に個人面談の予定だったので仕事は休みをとっていた。昨日の面談が2時間に及んだので特に今日話すこともなく個人面談もなくなったので、私もずる休み同然、毎朝6時起床の親子が朝7時まで寝た。娘特製のスクランブルエッグを今日は塩コショウが多すぎたかもねなんて話ながら二人でわけっこして食べた。その後は、2人で次に暮らす家の間取りをせっせと描いて、こんなお仕事あったらいいのになぁ、楽しいなぁなどというので建築士っていうお仕事あるよ?というと、建築士かぁいいなぁとつぶやく娘。でも、お医者さんになりたいの、ママの病気を治してあげたいからさ。と言うので、ママのためにお医者さんにならなくていいよ。一番なりたいものになるのがいいよと伝えた。

夕方に担任の先生が夏休みの宿題とトマトの鉢植えを持ってくるとのことで、私は私がいない方がたくさんお話しが出来ていいかな?と思い、お茶でもして時間を潰そうと思っていたが、何分今日は体調が悪くて横になっていたら先生が来てしまった。本やら宿題やら抱えてきたのに肝心のトマトを忘れている。先生トマトは??と娘が聞くとあーごめん忘れてたーーーと言う。(作戦か?)先生はトマト一緒に取りに行く?と何気なく聞く。ん、今から?行くの?えーどっちでもいいけど…と否定はしない娘。嫌なものは絶対に嫌な娘が否定しない。私はBAILAを読みながら聞き耳を立てる。先生は私からしたら「え?ちょっと強引すぎじゃない??」というくらい強引に、行けそう?行く?行こう!とホップステップジャンプくらいのノリで娘の心を押した。じゃぁいいよ、行こうか…と乗り気なのか乗り気じゃないのかよくわからないテンションで娘は答えた。虫よけとマスクを装備させ私は送り出した。

送り出した瞬間、涙があふれた。娘が約1ヶ月ぶりに学校へ行っている。放課後だし夕方だ。もう人はまばら。それでも学校に足を踏み入れたことが私は本当にうれしかった。「自主的なコロナ休校続行だと思ってる」「感染リスクが下がるからちょうどいい」「まぁ、家で勉強してるし大丈夫かな」なんて他人様には気丈なふりをしていても、本音では「もうこのランドセル使わないのかな?運動会とか学芸会とか見ることないのかな…」と涙を流した日もあったので、やっぱり私もただの親だ。よかった、嬉しいただそれだけだった。

小一時間ほどして娘が先生と帰ってきた。鉢植えではなくビニール袋にミニトマトと先生が育てたピーマンを入れて。ミニトマトはまた見に行くから今日は置いてきたの。という。また学校に行こうと思っているらしい。鉄棒で逆上がりを久しぶりにしたらできたこと、うんていもして、棒のぼりもできたこと、次は空中逆上がりを練習して、違う登りかたで棒のぼりもできるようになりたいことなんかを話してくれた。

こんなに暑いのになぜかママの作ったグラタンが食べたいというので、グラタンを作っている間に夏休みの宿題も6ぺージ終わらせた。自由研究はペンケースを作るんだと張り切っていた。娘は野菜が嫌いで私も唯一ピーマンは苦手なのだが、せっかく持って帰ってきたピーマンだから食べよっかと2人で半分こして食べた。

正直今日のお昼頃までの娘からは生気というものがあまり感じられなかったが、学校に行って運動して、家で勉強して、野菜の中でもかなりハードルの高いピーマンを食べたからか、万能感があふれ出ていた。大人になると一度何か成功したくらいでは、私ってやればできるんだ!なんてことにはほぼならない。今回は偶然うまくいっただけでまた次はだめかもしれないという思考に陥ることは多々ある。

復学することがゴールだとは思わないようにしていて、娘の幸せがゴールだとなんとか思うようにしているので、今日のことで過度な期待はしないようにはしているが、それでも「このままこれを機に週明けは学校に行ってくれるといいな…」なんて思ってしまう。

なんでトマト取りに学校に行けるのに普通に学校行けないの!!!なんて怒鳴り散らす自分が容易に想像できる。そんなことは口が裂けても言わないように明日からの連休を過ごそうと思っている。

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