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誰も知らない

 久しぶりに映画を観た。昔に上映された映画だ。どうしても観たいと思って中古のDVDを手に入れた。購入して満足したのか、その内容が内容なだけに観るのを躊躇ってしまったのか、随分と長い間、机の上に積まれたままになっていた。
 数年前、是枝裕和監督の「万引き家族」がヒットした。彼の作品は今の時代に隠された社会問題とか、大人が見て見ぬ振りをした子供だけの世界とかそんな作品が多いように感じる。

 今になってそのDVDを引っ張り出してきたのは、児童虐待の背景とか心理とかその後の成長への影響を考えたり、周りの大人ができることを知りたいと思ったのがきっかけかもしれない。

 DVDを観て、この映画は「ネグレクト」が当たり前に描かれ過ぎていると思った。

 父親の違う4人の子供を連れたシングルマザーが、キャリーケースに子供を詰め込み引っ越してくるシーンから始まり、近所には一番上の息子と2人暮らしと説明。残りの3人の子供には、「大きな声で騒がない。お外に出ない。」ことを約束する。
 それでもはじめは、お母さんと子供たちで一緒に夜ご飯を食べて、畳の部屋に布団を敷いてみんなで寝ていた。でも、「ママね、好きな人ができたの」「また?」という息子とのやりとりと「クリスマスまでには帰ってくるから」と言い残し子供を置いて出ていってしまう。

 この映画を観て子供の頃、身近に同じような環境で育った子がいたことを思い出した。この映画の一つひとつのシーンは完全なフィクションではなく、ごく身近に起きている出来事や実話が表現されたものなのだと思うと、少し悲しくなった。
 現実を非現実と感じるネグレクトを受ける生活が、彼らにとっては日常で、当たり前で。それ以外の生き方を知らずに学校にも通えずに同じ世界で生きてきたのだと思うと、この現実から目を背けてきた自分がいることに悲しくなった。

 父親にお金を貰いに行くことも、母親からの現金書留も無くなり、電気もガスも水道も止まって、公園のトイレと水道での生活。コンビニの廃棄する食べ物を受け取る生活。それでも、警察や児相に行くと兄弟がバラバラになって一緒に暮らせなくなることを知っている長男。
 長男は母親がもう既に苗字を変えて、自分たちを捨てて新しい人生を生きていることを知っていた。それでも、「兄弟を任せたよ。頼りにしてるよ。」という言葉と「勝手なのはあんたの父親でしょ。ママは幸せになっちゃいけないの?」という言葉に縛られそこから一歩も動けずにいる。

 いつものように公園で洗濯をして兄弟と遊んでいると、「学校に行っていない少女」と出会う。彼女に兄弟たちは、「学校に行ってないの?僕もだよ」と話しかける。育ってきた環境とか置かれている状況、抱えている問題とか、保護者の養育状況に関係なく学校に行っていないもの同士の「学校に行っていないの?僕もだよ」という言葉は、どんな魔法の呪文なんかよりも特別な会話だと思った。

 彼女は彼らの家庭を見て、援助交際で得たお金を彼に渡そうとする。「カラオケしただけだよ。」そう言って差し出された一万円札を彼は受け取れなかった。援助交際はいけないことだとわかっていても、彼女にとっては自己犠牲にしてでも守りたいものを見つけたことが表現されているように思った。
 彼らに「生きて欲しい」という愛情が、一万円札に込められていた。でも、彼女が自分を犠牲にして生まれた一万円札を、彼は受け取れなかった。

 子供は法的に大人から守られるべき存在である。でも、子供は大人が思っているよりも子供ではないし、大人の顔色を伺って自己犠牲にしてでも守りたいものがあることも忘れてはいけないと思った。

 彼も彼女も自分より幼い兄弟たちを守りたかった。でも、大人に十分な愛情を注がれず受け取り損ねた彼らが兄弟を守るにはあまりにも幼すぎた。


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