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家系 (7)

15歳の時に父親の勧めで海外にホームステイに行く機会を得てアメリカに行きました。母はカトリックで信心深い人でしたので、その影響か私も小さい時に洗礼を受けて学校に上がる前からキリスト教教会に通っていました。母は信仰の影響で奉仕的な人でしたので、海外から来る子供をホームステイさせる事も自然にするような心持ちの人でした。カナダから来た同い年の女の子と意気投合した私は、彼女の家にホームステイさせてもらう事になります。当時、バンクーバからバスで7時間くらい行くような田舎に家がありましたが、その代わり美しい自然やホームステイ先の家族の温かさは素晴らしいものがありました。ロシア系移民の家族はベジタリアンで、私の記憶では私とお父さんだけがスープにチーズを入れて食べさせてもらっていたような気がするので、他の家族はヴィーガンだったのだと思います。(1)ベジタリアンはお肉を食べない人。ヴィーガンは動物性食品を一切取らないお食事のことです。冬の期間が長く、保存食を家族や地域の人と作ったり、子供が生まれるとなると、女性同士で集まって、編み物をしたりして準備をしていました。タンパク源としてヒマワリの種やメロンのような果実の種などをとって乾燥させ保存していました。食事の前には皆で大きなテーブルについてお祈りをして食べ始めます。ボルシチのような赤い野菜スープが艶やかな瓶に詰められて食品庫に天井まで並べられている情景は圧巻でなんとも美しい暮らしぶりを象徴するようなものでした。私を預かってくれた家族だけでなく地域の多くの人がそのような暮らしをしていました。多くの人は仕事を持っていましたが、同時に週末は畑に出て自分達の食べる野菜は自分で作るというようなライフスタイルでした。自然感を大切にする生活や食事には、お肉やお魚、卵などがなくてもとても満足感があり、家族の手作りの食事や伝統的な先祖の暮らしを大切にする暮らしぶりに不満を抱くどころか、若かった私は疑問を抱くこともなく自然に溶け込んで行きました。

父は四国の剣山という霊山の峰近くに生家があり、一族もその周辺の地域にルーツがありました。祖母はその地域で民間療法の治療のようなことをやっていたようです。山間の不便な場所に住んでいたのですが、多くの人が訪れて、あそこが痛い、ここが痛いというような事に対応していたようです。痛みの原因を探るのに、祖母は祈りを使っていたようでした。この痛みの原因はあなたの(患者さんのことです)家の隣に住んでいる家主が、あなたの家の樹木が敷地内にはみ出ている事に腹を立てている事が原因です。何度かその話をされたことがないですか?と聞くそうです。ご近所トラブルにあるような不調和の感情が相手方から飛んできて今の痛みを作り出していることを伝えるそうです。またある時は、家族に羽交い締めにされて暴れている人を見てくれと運び込まれて来るというような事もあったようです。暴れているような人も祖母が祈祷するとぐったりと項垂れ、気絶した後、目覚めると、不思議な事にすっかり治って帰って行ったそうです。昔ですから村にお医者さんもいなかったでしょうし、多くの人が祖母を頼って来ていたのだと思います。晩年は数百人の信者さんと共に瀬戸内海に灯籠流しに行くというような活動になって行きます。

祖母は12人の子供を産んだ後、ある日、お大師さんが祖母の体に降りてきて、このような生活になったと話していたそうです。お大師さんとは弘法大師空海のことで四国で産まれた方には特に縁の深い聖人と言って良いと思います。八十八ケ所の霊場を巡礼することで知られるお遍路の75番札所であり弘法大師誕生の地として知られる善通寺で祖母は後に修行する事になったのですが、そもそも祖父が血液の癌になった際に祖母は不殺生の誓いを守る代わりにどうか病を癒して欲しいと願掛けしたそうです。もちろん夫婦の努力もあってとは思いますが、願いは聞き入れられ、祖父は祖母よりも長寿で長生きする事になります。そもそもは信心深かったということかもしれませんが、祖母の特別な能力は病や家族の危機を通じて苦しみ、それを乗り越える過程で霊的な目覚めを迎えたということかと思います。

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