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32|色眼鏡

「見えすぎてしまう世界にフィルターをかけたい」

それが、私がカラーレンズの眼鏡を作った理由だ。


最近あたたかくなってきて、日差しも強くなってきた。早くも夏の気配がする。

家の扉を開けて、まぶしい日差しとあたたかい風をうけたとき、あぁ今年も世界の彩度が上がった、と私は感じた。

私に見えている世界は、みんなよりもきっと繊細で鮮やかで、そして美しい。世界はいつも綺麗だ。

そんな世界を、文章や絵などを通して豊かに表現出来ることは、私の強みだと思っている。


ただ、その一方で、その鮮やかさが痛いことがあるのだ。見たくないところまで見えてしまう。


私は音や光に敏感なところがある。
詳しく言うなら、hsp故の特性だと思う。

昔から「プリントが眩しい」と感じることが多かった。白が目に痛く、文字がキツく見えてしまう。
上手く言い表せないけれど、背景の白が光って見えて、黒い字とのコントラストが激しくついているような、そんな感じ。

当たり前すぎて忘れていることだが、日々使っている紙は、白い紙に黒い文字。もちろん毎日目にするし、プリントも教科書もノートも、全部そうだ。

それが眩しいというのは、意外にも辛いもの。
実は今、文章を打ってるのも眩しい。

世界の彩度が上がってきた4月。紙に加え、自然光や照明、いろんなものが眩しくなってきてしまった。疲れたり「眩しい」と意識していることも、相まっているかもしれない。


冒頭にて『見えすぎてしまう』と書いたのは、もうひとつ意味がある。

それは、この世界の歪み。

見なくていいものがこの世にはたくさんある。
言い方を変えれば、考えすぎなくていいことやスルーしてもいいこと。そうやって逃げるところは逃げていかないと、きっと人間は生きることができない。

でも私は、それが出来ない。
緻密につくられているこの世界だからこそ、うまれてきてしまう歪みたち。それらを見逃すことが出来ない。

いいことももちろん見えている。何度も何度も言っているように、世界は美しいのだ。
でも、それと同じくらい、時にはそれ以上に悪いことも見えている。見たくないことも、見なくていいことも、いっぱい見えている。聞こえてくる。感じる。

だから、フィルターをかけたかった。

鮮やかすぎる世界を、せめて、少しだけでも暗くしたかった。


そんな理由で、私はグレーのレンズの眼鏡をつくった。今日から私は色眼鏡をかける。

親にはあんまり理解されなかった。(押し切った。)
ガラは…悪く見えるかもしれない。笑
他人からよく思われないかもしれない。

でもね、道具を使うことで、ちょっとでも私が過ごしやすくなるのなら、それでいいじゃない。
それはいろんな人が私に教えてくれたことです。

直接的・精神的に効果があるのか、分からないけれど、眼鏡をかけることで、鮮やかでクリアでありすぎる世界を、ちょっとだけ優しい目で見れるなら、それは素敵なことだと思いませんか。

「色眼鏡」、この言葉の本当の意味はなんでしょうか。

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