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11|今日も世界は美しい。

今日も世界は美しい。

淡い青藤色の空と、光を帯びてうっすらと照らされる雲、そこに流れるしっかりとした芯を持っている風と、全てを包み込む暖かな光。

誰一人として口を挟むことなくゆったりと穏やかに流れていく音と、色。この瞬間。

久しぶりに感じる昼間の静かな光景が、とても懐かしくて驚くほど綺麗で、泣いてしまいそう。

今日も世界は美しい。



私から見える「世界」。

それは、

色彩と豊かな空気に溢れた空間だ。


私は空を見上げて空気を感じるのが好きだ。
色、音、風、光、そして空気感。
それを感じることが好き。

いつもの帰り道をいつもと違う時間に通ったり、昼間だけ咲く花を見たり、夜とは違う空気を感じると、嬉しくてわくわくしてくる。
みんなは「え〜いつもと同じだよ。つまらない道だよ」と言うけれど、私はそうは思わない。
いつもいつも違って見えるその瞬間がだいすき。

思い返してみると、幼い頃から「感受性が豊か」だと言われることが多かったように思う。
いつも空を見上げては、その美しさに思わず微笑んでしまい、流れゆく空気に耳を澄ませては、暖かさを空間ごと、思いっきり吸い込んできた。

苦しくて空さえ見ることができない時もある。
いつの間にか顔はいつも足元を向いている。
周りのことなど頭に入ってくることはなく、生きていくのでさえ、精一杯な時もある。

でもそんな時、隣にいる人が声を掛けてくれる。
「上を向いてごらん」と。
そこにはいつもの美しい空と、
照り輝く君の笑顔があった。

あぁ、世界は美しい。
そう思う。


私は「多感」だと言われることもしばしばある。

「感受性が豊か」なのは良い意味だが、
「多感〝すぎる〟」ことは、あまり良くないことだと教えてくれた先生がいた。

「君は、磨く前の宝石のようだ。それが磨かれた時の君の輝きがとても楽しみ。
でも、君はいろんなものを映し出して吸収しすぎてしまう。そして脆い。それが心配だ。」

そう言われた。


自分のことを自画自賛するようだが、
私は「感じる」という面について、他の人よりも優れているところがあるのだと思う。

私は自分のことが大嫌いだけれど、そんな心を持っていて、それを楽しめる自分がいるところは、大好きなところだ。

感じすぎて苦しい時もある。
周りの人の感情を感じて自分まで辛くなる。
雨の日は気分まで下がってしまう。



でも、

私が見ている世界は、

私の目に映し出されている世界は、

きっとみんなの何倍も美しくて綺麗だ。


世界はこんなにも美しいのに、
どうしてみんなは気付かないのでしょう。


私は自分の感覚に誇りを持って、
今日も美しい世界を愛していたい。





ありがとうございました
あい



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