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#1.もやもやの根っこ

小さな頃から、「感情」というものに振り回されてきた。「こんな風に言ったら、お母さんを悲しませるのでは?」とか、「この場面でこんな態度を取ったら、良くないかな」など、悲しみや悔しさを感じたらすぐに、”泣くべきか”考えたり、喜びや楽しさを感じる前に”喜ぶべきか”考えるような子だった。
だから、感じたままにストレートに感情を表現するということが、今の今まで苦手だったし、子どものように無邪気に感情を表す人のことも苦手だった。

そんな風に「感情」をありのままに表現することをせず、「感情」を「思考」でコントロールしようとしたり、抑圧したりするクセがついた結果、大人になる頃には、消化し切れていない、処理できていない「感情」がどんどんと脳内に積み重なっていったように思う。
子育てをしていると、子どもの頃に押し込めて蓋をしてみないようにしていたそれら未消化な「感情」の存在が、明るみに出てくる。喜びの笑顔を出したいのに、悔しくて泣きたいのに、疲れていて不快なのに、すべてを”怒り”としてくくってしまったり、しっかりと喜びを味わえなかったり。

もやもやの根っこには、未消化な「感情」が隠れている。「ここにいてはいけない」とあることを許されず、蓋をされて、味わうことを拒否された「感情」たちが。
その一つ一つに、良いも悪いも決めず、ただただ「ここにいていいよ」「今まで私を守ってくれてありがとう」と気づきを向けていく。
そうすることで、未消化な「感情」たちは、また私自身の一部となって、私のエネルギーとなり、この人生の糧になる。

「育児は育自」と言われるけれど、私は子どもを育てることを通して、自分自身の奥でうずく”もやもやの根っこ”を優しく見つめることができた。
それは本当にしんどい作業ではあったけれど、お陰で自分自身のエネルギーがどんどん一つになって輝きを増している感覚がある。
私が私である、という感覚。それは、私の中のどんな感情も、ありのままに味わってみて良いということから、得られる感覚なのかもしれない。
そんな生きる醍醐味を、全ての人に伝えたい。

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