見出し画像

どうしようもなく好きだったあの人は、私じゃない人と結婚した。




「あの人が結婚して、どうだったの?」




あの人と私の関係を知っている、たったひとりの友人に聞かれた。





どうしようもなく好きだった人の結婚を知ったのは、数週間前のこと。


その知らせは、突然舞い込んできた。

風のうわさで知ったわけでもなく、当然、個人的に報告があったわけでもなく、SNSで知ったわけでもなく、その人の指に、結婚指輪が光っていることに気付いた知人に、「○○さん、結婚したんですね」と言われて、知った。




これ以上、無防備な知り方があるだろうか。





私は、何も、知らなかった。

だから、その一瞬、時が止まって、目の前がぐらついたことを、その知人に知られないように、平然を装った。

でも、一番驚いたのは、彼が結婚したことではなかったように思う。

彼の薬指に光る指輪に、気付かなかった自分に、驚いた。


たしかに、もうふたりで会うこともずっとなかったし、彼のことは遠目で見かけたりすることくらいしかなくて、指輪に気付くチャンスが極端に減っていたこともあるだろうけど。

それにしても、大好きだった人の結婚指輪に気が付かないなんて。


でも、気が付かなかったことにショックを受けた後は、彼が結婚したこと、に対するショックが、きちんと襲ってきた。


だって、何の心の準備もしていなかった。

失恋なら、準備ができることも多い。
大抵、もしかして、この恋はもう終わりなのかもしれない、と、心が感じることだってある。

でも、大好きだった人の結婚、というのは、すでに自分の人生とは関係のない場所で着々と進んでいて、自分のタイミングなんておかまいなしに、突然、舞い込んでくる。




それこそ、心の交通事故みたいだ。







もう1年くらい前になるのか、彼女ができたことは知っていたけど、それから、まさか、こんなに早く、結婚するとは、思っていなかった。

それは、別に、どうせ別れるだろう、とか、そういうことではなくて、彼という存在から、結婚、というものが遠い気がしていたから。

でも、人は、結婚するときはするんだな、と思った。
人生は、やっぱり、タイミングだ。






*****




それを知った日の夜は、さすがに、すごく落ち込んだ。
執着も、嫉妬も出てきて、苦しくなった。

それなのに、もう、過去のことだから、と、思いっきり悲しみに浸るのを止めようとする自分もいるから、なおさらやっかいだ。

その悲しみは、彼に対して、というよりも、間違いなく人生の一瞬を一緒に過ごしていた彼が、前に進んで、一生の大きな決断をしたというのに、自分の人生は何も進んでいないように見えて、そのことに、焦って、苛立ったことによる悲しみだった。
どうせ私は誰にも選んでもらえないし、幸せにはなれないって、拗ねて、いじけて、情けなくて、みじめで、ちっぽけな私を感じて、いたたまれなくなった。

でも、それも、一晩経って、次の日か、その次の日には、案外、けろっと立ち直っていた気がする。



それを話すと、「どうしてそんなに早く立ち直れたの?そもそも、どうやって好きな気持ちを終わりにしたの?」と、友人は聞いた。



彼との恋が終わったのは、もうずっと前で、その後、新しい恋もした。
けれど、本当に、全く気持ちがなくなることを終わり、というのなら、終わってないのかもしれない、と思った。

たしかに、もう、ふたりで会ってもいなくて、これからも会うこともなくて、なにより相手は結婚していて、もしも万が一、彼から声をかけられることがあったとしても、私はもう、会いに行かないと思う。

関係性は、間違いなく終わっている。


でも、ただの、好きだった気持ち、は、私の中に残っている。

そして、これからも、他人、とか、友人、とかになることはなくて、好きだった人、ということは、変わらないんだろう、と思う。



じゃあ、どうして、私は立ち直れたのか。

冷静になって考えて、出てきたのは、じゃあ、彼と結婚したかったのかというと、そうじゃないな、という気持ちだった。



私は、彼と結婚したかったわけではなかった。

彼は、私に、最高の幸せも、最低の苦しみもくれた。
彼の一挙一動に振り回されていたし、いつも、他の女性との関係を見張っていたし、あの頃の私の毎日は、強烈な情熱と嫉妬と執着で渦巻いてた。

だから、彼と、ずっと一緒にいられる想像は、今になって、冷静に思えば、あまり、イメージできない。

それでも、あの時は、どんなに苦しくても、一緒にいられる一瞬が、私には大切だった。


とはいえ、今更、好きだったけど、結婚はしたくなかった、なんて、負け惜しみでしかないのはわかっている。

そんなのは、たぶん、どう頑張っても一緒にいられなかった私が、彼を諦めるために必死に頭で考えたエゴの声で、そう思ったから、諦められたのか、諦めるためにそう思おうとしたのかは、私にもよくわからない。

あの頃、細胞のすべてで彼に恋をしていた私が、目の前に彼との結婚があったら、間違いなく選んでいたとは思う。



だけど、
私では彼を幸せにはできないし、彼では私を幸せにはできない。

そのことが、たしかに、ふたりの真実だったと思う。



大好きだった。
とにかく一緒にいたかった。
今思い返しても、どうして好きだったのかは、感覚と体で好きになった、としか言いようがない。
だから、止めることもできず、どうしようもないほど、好きだった。

燃えるように恋をしたのは、一瞬で、彼の火が私よりもだいぶ早く消えてしまって、何度ももう一度火を灯そうとしたけれど、願いは叶わずに、私の火も、時間をかけて消えていった。


恋の炎の中にいた、当時の私は、どうにか彼と一緒にいたくて、彼の幸せの中に自分もいたくて、彼を幸せにしてあげたくて、彼にもそう思ってほしくて、必死だった。

でも、今は、たしかに、彼の結婚に心が揺れた私がいたし、今でも姿を見ると、全く何も感じない、とは言えない私がいるけれど、もう彼に何もできることはないのだ、ということが、心の実感としてある。


一緒に幸せになりたい、と思うか、私が一緒にいるかどうかに関係なく、幸せでいてほしい、と思えるか。

好きな人と一緒にいたいと思うのは当然で、でも、そう願うのが私だけだったとしたら、相手が望んでいることを、尊重できるかどうか。

一緒に幸せになりたいと思うよりも、一緒にいなくても幸せを願えることのほうが、愛の純度は高いのかもしれない。


あの頃、私は、彼に好きになってもらおうと必死で、彼が好きと言ってくれそうないい女、になろうと必死で、でも、いい女、じゃない私をどんどん認められなくなってしまって、会おう、と言うくせに、会えないまますぎていく夜を泣きながら耐えて、私の好き、と、彼の好きは全然噛み合わなくて、いつしか涙も枯れて、私の日常は彼がいないことが当たり前になった。


あの頃、私は、彼が好きだったけど、彼を好きでいる私のことは、全然好きになれなかった。
彼が幸せを感じられる毎日と、私が幸せを感じられる毎日は、どう頑張っても、合わなかったように思う。


お互いに、たったひとりの相手、ではなかった。


そのことを、悲しみもせず、心に嘘もつかず、まっすぐに受け入れられるとき、一歩、前に進めるのかもしれない。


私には、あなたと生きることはできなかったけど、それは悲しいことではない。
あなたが本当に幸せになれる相手と、あなたは生きていくし、私だって、そう。
お互いに、本当に幸せになるために、私たちは、終わったんだ。







一見ドライに見えるけれど、本当は寂しがりやだった人。

数えるほどしか一緒に夜を過ごしたことはないけれど、何かを埋めるように、苦しいほど強く私を抱きしめて眠っていたあなたの寂しさを、これから先ずっと、埋めてくれる人ができたんだね。

あなたは、寂しがりやすぎて、ひとりの夜はどうしてるんだろうって思ってたけど、そんなあなたに、安心して眠れる絶対的な場所ができたなら、今は、そのことを、素直に、良かったと思えるよ。

たとえ自分が一緒にいなくても、相手の幸せを喜べるのが愛だとしたら、あなたが結婚したことで、私はやっとあなたを愛せたのかもしれない。


男と女としてではなく、人として。



どうしようもなく好きだったあなたにしてあげられる、私の最後の精一杯。


あなたが、これからもずっと、幸せでいることを願っています。
心から。




*****





人生には、どうしようもないタイミングでどうにもならないことが起きて、あと何回、こうやって、少しの痛みと、なんともいえない後味をそっと飲み込んで、前を向くことを繰り返せばいいんだろう。

でも、どうにもならないことを受け入れて、ときには拒否したり逃げたりもしながら、どうにかできることをひとつひとつ積み重ねて、その先で、前の自分よりも笑顔になれること、その一連の繰り返しが、人生そのものな気もしてる。



そんなわかったようなことを言っておきながら、私には、その人が結婚した、という知らせを、できれば聞きたくない人が、もう自分がどうなることなんてできないくせに、誰かのたったひとりになんてならないでいてほしい、と思ってしまうような人が、ふたり、いる。


こんな苦い夜を、あと2回も乗り越える自信はないから、ものすごく勝手なわがままなのだけど、どうか、どうか、彼らの結婚が風のうわさで届く日よりも、「私、結婚しちゃうからね」と、私が彼らに伝える日が、先であってほしいと願っている。


あなたのサポートと、気持ちを受けとったら、きっとまた素敵な文章を生み出しちゃいます。応援に、文章でお返しし続けられるような、生きるアーティストでいたい。