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娘だった私の本音と母の願いに出会った旅。



6歳。

私が、母を亡くした年齢。




その年齢の子と母親の姿を見て、私の心が感じたこと。



娘として、もっとお母さんに甘えたかった、という本音。

いつか母になったら、こうしてあげたい、という願い。

母であり、娘である、あなたに届くといいなと思い、書きます。



この記事に書いた詩が、生まれた旅の話。




*****


少し前に、旅をした。


行先は、長野県。八ヶ岳の麓。


そこに、カウンセラー仲間であるひとりの女性が移住した。

彼女は、本当に自分が好きな場所で生きると決意し、東京から移住。
自分のライフワークを生きる場所として「八ヶ岳Cradle」というコミュニティースペースを開設した。

そこに、カウンセラー仲間と遊びに行った。

Cradle(クレイドル)は、「ゆりかご」「起源・発祥地」というような意味であり、
“子供と女性のためのシェアハウス”
“ゲストハウス&リトリートサロン”
“子供と大人のためのコミュニティ&イベントスペース”
として、訪れる人たちを優しく包み込み、健やかな成長を見守るゆりかごのような場所に、また、様々な気づきや癒しを提供することで、新しい自分を再発見していただけるような場所になりたい、という思いが込められている。(『八ヶ岳Cradle』HPより)


その彼女のことを、私は、あずあずと呼んでいる。


あずあずの紹介を少しだけすると、シングルマザーで、心理カウンセラー、セラピスト、映像カメラマンであり、会社員でもあり、この度、八ヶ岳Cradleの経営も始めてしまった、という、何足草鞋を履くの?ていうか本当に一人?もしかして何人もいるの?と突っ込みたくなるような、エネルギーも、物事を実現する力も、ずば抜けている女性。

穏やかで女神のような今の姿からは想像もできないくらいに、かなり刺激的で破壊的(?)な時代も乗り越えてきた女性(詳しくは彼女のブログ参照)であり、自身の体験から、すべての子どもたちとすべての大人たちが、親の価値観に囚われることなく自分の人生を生きてほしい、という信念を持った、静かなたたずまいとは裏腹に、心は滾るように情熱的な女性。


だから、なんだか、甘えたくなる。
全てを包んでくれると思わせる安心感がある。
そんな女性。


そんな彼女が、並々ならぬ想いと情熱と人生を懸けて立ち上げたその場所は、いるだけで癒される、空気の澄んだ、とても居心地の良い空間だった。

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***


あずあずには娘さんがいて、一緒に遊びに来た仲間も、娘さんを連れてきていて、仲良く二人で遊んでいた。



「娘さんたち、今、いくつなの?」と、私は聞いた。



「同い年で、5歳と、6歳」と、あずあず。


6歳。
ちょうど、私が、お母さんを亡くした年齢。


それを聞いて、あずあずは言った。


「ちょうどさ、死っていうものがわかってきた頃だと思うから、辛かっただろうね」


「まだ3歳くらいのときは、じいじが死んでも、『じいじいつ帰ってくるの?』って言ってたのに、最近は、ママに死んで欲しくない、いなくなって欲しくない、とか言うからさ」



当時の私が、死、というものを、わかっていたのかどうか、記憶はない。

けれど、なんとなく、もう二度と会えないことはわかっていて、お母さんは、もう二度と、目を開けて、私に笑ってくれることはないんだ、ということを、確かに、感じていたことは覚えてる。




私は、それが怖かった。
そのことを感じることも、理解することも。



大好きなお母さんがいない世界なんて、もう二度と会えない世界なんて、絶望でしかなかった。
お母さんの死を理解するには、まだ、私の世界は、あまりにも小さかった。



だから、私は、世界が壊れてしまう前に、心を壊したんだと思う。
さみしい、という感情のスイッチを。

そして、お母さんの死、を、封印した。

そのまま、お母さんの死、に、泣くことをしないまま、大人、と言われる年齢になり、あまりの苦しさにいてもたってもいられずに、気付けば、心理学の世界に飛び込んでいた。



***


普段、その年齢の子たちと一緒に過ごすことがない私は、その子たちがお母さんといるのを、なんだかあたたかい気持ちになりながら、見ていた。

お母さんて、いいなあ、って思った。

それは、私がいつも事あるごとに感じているような
苦しくて、惨めな、冷たい、いいなあ、ではなくて、
穏やかで、純粋な、温かい、いいなあ、だった。




それと同時に、実感してた。



お母さん、て、呼ぶことができなくなるのは、まだ、あまりにも早かったこと。
まだ、大人の顔色を見て、いい子にしたりするのは、まだ、あまりにも早かったこと。
周りの大人が困らないようにするために、自分を我慢するには、まだ、あまりにも早かったこと。

もちろんね、私よりもっと早くにそうしなければいけなかった人だっていると思うから、不幸自慢をしたいわけじゃない。

私たちは、みんな、物分かりのいい大人になるのが、早すぎたんだなあ、と、ただ、思う。



***



あずあずは、娘さんを、‟すーさん”と呼んでいるらしかった。

なんだか、その呼び方が、信頼と尊重の証に思えて、そんな母と娘の関係が、少しくすぐったくて、羨ましかった。




仲間がそれぞれ思い思いに過ごした夜も更けて、ひとり、またひとりと「おやすみ」と解散していく中、まだ眠りたくないような気がして、気が付けばシャワーを浴びるのは、私が最後だった。

シャワーを浴びたい、と言って、あずあずに案内してもらう私に、すーさんが、「お風呂に入るの?」と声をかけてくれた。

「お風呂、貸してくれる?」というと、「いいよ」と、すーさん。
あずあずと一緒に、お風呂場を準備してくれた。




あずあずとすーさんに、「おやすみ」と言うのも、私が最後だった。


なんだか、そうしたい気分だった。


すーさんは、あずあずと歯磨きをして、寝る準備をしていた。


私たちにとっては、ここは、非日常だけれど、すーさんにとっては、自分の家で、日常、であって、暮らし、がある。

自分の家に、こんなに知らない大人がたくさん来て、思い思いに騒いでいても、わがまま一つ言わずに、当然のように受け入れてくれるのは、なんだかすごいことなんじゃないか、と思った。

「今日は本当にありがとう」と言う私に、あずあずは、「こちらこそだよ」と、今日これまでの、ホスピタリティ溢れるおもてなしが、何も特別なことではないかのように、自然に言った。



強くて、優しいな、と思った。
すーさんは、きっと、あずあずのこの器の大きさを受け継いでいるんだろうな。
あずあずも、すーさんも、尊敬できる女性だ。



***


深夜にひとり、ドライヤーをしながら考えた。


ああ、私、お母さんともっと一緒にいたかったな、って。


ママ、って抱きつく姿を見て、
ママのところに駆け寄って腕の中に収まる姿を見て、
ママによしよしってされる姿を見て、
ママに夢中で話しかけてる姿を見て、
ママの服を引っ張ってくっついて歩く姿を見て、
ああ、私も、もっとこうしたかったなって、
私も、こんなふうに甘えたかったなって。

こうしたい気持ちが本当にたくさんあった時期に、我慢していたんだなって。
お母さんを何よりも求めてやまない時期に、求めることができなくなってしまったんだなって。

鏡に映る自分の顔は泣いていた。でも、寂しそうではなかった。

私の場合、感情を整理するのに時差があるから、大抵、ひとりになったときに、いろいろ浮かんでくることになるのだけど、一緒に心理学を学んだ仲間と同じ時間を過ごしているときは、ひとりでいても、ひとりじゃないと思えるから、不思議だ。


私は、昔に置き忘れた感情を取り戻せたような嬉しさともどかしさを抱えて、眠りについた。




***




次の日の朝、みんなの師匠である根本師匠が、イメージワークとその解説を収録しているのを、みんなで一緒に見ていた。

テーマは、喪失。

昨晩、忘れていた感情をまたひとつ取り戻した私の心は、喪失感を感じるには、きっと、あまりに柔らかく、無防備すぎたと思う。

お母さんを失った、その悲しみを感じようとすると、今も、涙がでる。

通常時でもそうなのだから、そんな状態では、涙が止まらない。



そして、あずあずに、すーさんが嬉しそうにくっついているのを見ていたら、私も、あれをして欲しいなって思って、見ていたら、初めて、私も、あれをしてあげたいなって思った。

私のところにも、娘が来てくれたらいいなって、初めて、思った。






驚いた。







ずっと、正直、女の子は、嫌だなって思ってた。

女としての自分に自信が無くて、道行く女性全てに嫉妬するレベルで嫉妬心の強い私は、たとえ、自分の娘であっても、嫉妬してしまいそうだったから。
そんな思いを抱えて、誰かを育てるなんて、絶対できないと思ってたし、娘、にとって、嫌な女になってしまいそうで、すごく怖かった。何の自信もなかった。




でも、なぜか、そのとき、
お母さんになったら、


お母さんになったら、私も、娘に、こうしてあげたい。


そう思ってる私がいた。
こうしてあげたい、そんな愛が湧き出てきたことに、私が一番驚いた。

だって、まだまだ、してほしいと思ってた。
お母さんにしてもらえなかった分、してもらう側で、いたいと思ってた。

だけど、そんな自分の驚きの蓋をひっくり返すように、勢いよく、涙と一緒に、私の中から言葉が溢れてきた。

心が開くのと、涙腺が壊れるのは、同時だった。


豪快に鼻水をかむ音が収録に入らないように、みんなの元を離れて、朝の風が涼しさをくれる寝室に、ひとり籠って、自分の心に、次々と浮かんでくる言葉を、丁寧に拾い上げた。

そのとき、生まれたのが、この詩。


お母さんも、きっと、こうやって、想ってくれていたんだね。



***



今でも、『お母さんの死』に心を開いて、あの頃の自分の気持ちを感じようとすると、涙が出る。
お母さんがいなくなってから、もう、23年がたった。悲しみは少しずつ癒えて、それでも、お母さんに対する涙の井戸は、ずっと枯れないで、ここにある。



だけど、それだって当然。


それだけ、寂しいのも、それだけ、悲しいのも、お母さんが大好きで、愛していた証拠。それだけのものを我慢してきたら、心の奥がひとりぼっちでも、当たり前だよね。

そんな自分を、弱いとか、情けないとか、そんなことを思う必要なんて一切なくて。

弱くていい。情けなくていい。
お母さん、という絶対的な存在の前で、私たちは、弱くて、柔らかくて、傷つきやすくて、繊細で、感情的で、当たり前。

それで、いいんだ。

世界で初めて、私の命に、命をかけてくれた人だもの。
世界で初めて、愛して、愛されたいと願った人だもの。


私たち、大好きな人の前で、弱くて、柔らかくて、傷つきやすくて、繊細で、感情的でいいの。

大好きな人だから、そうなるの。




***




そんなことに、気付けた旅。
置き忘れた私に、出会えた旅。


願うことをやめていた、娘としての本音。
私がいつか母になったら、願うであろうこの想いは、きっと、お母さんが私に願ってくれていたことと、同じなんだろうという、母としての感覚。


きっと、あずあずが創る優しい空間で、母と娘の姿を見つめることができたから、感じることができた想いであることは、確か。

こんな想いを抱くとは思っていなかったけれど、きっと、私みたいに、この空間に救われる人がいると思う。


人生には、必要なタイミングで、必要な出会いが絶対に用意されているものだ、と思ってる。

ここは、必要なときに、手を差し伸べてくれる場所に、世の中の、母であり、娘である女性たちが、救われたり、目覚めたりできる場所のひとつになって、これからも、きっと、たくさんの母や娘が、この場所を訪れて、自分を癒していくんだろう。

そして、そんなたくさんの女性の命が、エネルギーが、この場所に宿って、繋がって、母であること、娘であること、そのことに、傷を持っていたり、忘れ物があったり、叶わなかった願いがある、そんな女性たちの、心の中の少女が、癒されていく場所になっていく。

そんな未来が、浮かんだ。

宝物が、また一つ増えた。
これからもこの場所が、たくさんの人にとっての、宝物になりますように。

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<八ヶ岳 Cradle>
〒391-0114 長野県諏訪郡原村17217-1636
問合せ先:2020cradle@gmail.com
ホームページ:https://www.yatsugatake-cradle.com/
宿泊情報:https://www.yatsugatake-cradle.com/guesthouse/
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