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隣国の彼とのデート?

マンハッタンのアッパーイースト88丁目。初秋のセントラルパークは木々が色付き始め、澄んだ青空にうろこ雲が泳ぐ。キリッと乾いた風が心地良い。私は待ち合わせの広場に到着すると、周囲を見渡す前に、一瞬、深呼吸した。隠しきれないソワソワ・ドキドキのようなものを、そっと胸の奥にしまうように。
彼とクラスの外で二人で会うのは初めてだ。


広場に集まる人混みの中に、見慣れた癒しの佇まい、発見。すぐに私に気が付いた彼は、いつもの優しい微笑みで迎えてくれた。身長は173cmくらい。ちょっと猫背で、黒縁眼鏡。派手さはないものの、清潔感と知性、品の良さを身にまとった彼は、韓国からニューヨークに来た小説家だ。私たちは、外国人向けの英語クラスで出会った。


「今度メトロポリタン美術館に行かない?」

ある日の授業の後に、彼は控え目にそう誘ってきた。

さまざまな国の生徒がいるクラスで、私たちは偶然、よく隣の席に座った。他国の学生に比べ、韓国人の彼と日本人の私は、似たような国民性からか、似たような性格からか、二人ともおとなしく、クラスで積極的に発言することはなかった。しかし、どうしたことか、笑いのツボが合った。誰かが可笑しいことを言ったり、何か面白いことがあると、2人でよく、目を合わせてクスクスと笑ったものだ。

接点と言えば、それぐらい。それ以上は、お互いのことを何も知らない。相手の言語も話せない。
共有できるのは、ぎこちない英語と、ユーモアだけだ。
そんな2人の、いきなりの、美術館デート。ん?これはデートなのか?! いや、どう考えても、私のこのソワソワした気持ちからして、これはデートだ.....!


「ここにはよく来るんだ。」

だだっ広い迷路のようなメトロポリタン美術館を、まるで自分の家を案内するように、スイスイと歩く彼。

2人とも美術に詳しいわけではないけれど、山のようにある絵画を眺めながら、「この空の色が好き」とか、「みんな楽しそうだけど、彼女の目だけが悲しそうね」とか、素直に感想を言い合って巡るのは楽しい。
ぎこちない英語で、お互いの感性を伝える喜び。

最後に、1階のエジプト美術のデンドゥール神殿の部屋に着いた。

「歩き疲れたね。ちょっと座ろうか」

ナイル川をイメージした水面を前に、私たちは腰かけた。

何を話したか覚えていない。
いや、殆ど何も話さなかったかもしれない。
しかし、この時、広々とした部屋の静寂に包まれながら、彼とぼーっとした時間の心地よさ、幸せな気持ちを、私は何年も経った今でも、ありありと覚えている。彼の肩にもたれかかりたくなるような、心が解き放たれた感覚を・・・。


その後間もなく、家族の事情で私がしばらく東京に一時帰国することになり、再びニューヨークに戻った時には彼はもうソウルにいた。


最初で最後の、隣国からのクラスメイトとの、美しいデートの思い出。



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