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おりがみが教えてくれたこと

今日は、投稿10回目。

この10ページ目に書き留めたいと決めていたことがあった。


「逆転人生」という番組で、以前

人づき合いが苦手から大逆転!新進気鋭のロボット開発者

というタイトルがあり、ロボットにさほど関心がなかったので、なんとなく見ていた。

番組は、折り紙好きの少年の話から始まり、不登校を経験し、

分身ロボットオリヒメを開発した方のことだった。

ご存知の方がとても多いと思うけれど、

吉藤オリィさん

https://note.com/ory/

その時に初めて知り、まず折り紙というところで、引き込まれるようにみていた。

なぜかというと、子どもがちょうどその時小学5年生で、折り紙が好きで上手に作っていたからだ。

食べる事が大好きな娘が、6年生の夏休みには食べる事も後回しにして、

早起きをして、折り紙作成に没頭していたこともあった。

私が知っている折り紙は、鶴や、風船、やっこさんの折り方を覚えたその程度。

子どもには、折り紙の本を保育園の時から何冊か買い、それを見て作る事は多く、身近な遊びのひとつではあった。

それがどんどん成長して(子どもも、折り紙も)、今はYouTubeで色々な折り方を丁寧に教えてくれる動画があるらしく、動画を探しては、ひとつひとつ見ながら作り上げていた。

自分で作れる楽しさがあるんだろうなと思う。

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※YouTubeを見ながら作った折り紙※

鶴や風船しか作ったことのない私は、出来上がりを見ては折り紙でそんなものまで作れるのかと、とても感動し、子どもとはいえ自分ができないことができる人は皆リスペクトする。

喜怒哀楽、感情をなんでもあらわにする私が、

『こんなの作れるなんて、すごいね!!!!!』と言うと、

言葉数の少ないクールな娘は、

『これを考えた人がすごいんだよ』

とだけ言った。

確かに、そうだね

でも、小学6年生といえば、同級生の中には大人顔負けの今どきの流行りを追っている子どもも多い中、早い子はインスタやTikTokに興味を示す子が多い中、同じ動画でも折り紙なんて、どちらかといえば幼いよなと思っていた。

高学年になると、自我も芽生え、外で活発に遊ぶことは少なくなり、家で本を読んだり、作成したり、友達といるより一人で過ごす時間が圧倒的に多いので、心配要素でもあった。

不登校ではないけれど、友だち付き合いが上手ではないと親の立場で感じていた。

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※母の日に作ってくれた折り紙の花※

オリィさんも(敬意を込めてオリィさんと書かせてもらいます)

小学生で折り紙に没頭し、そのことを同級生から理解されず、それでも折り続けた。

しかも、自分で編み出してバラの花を作っていた。

今は分身ロボットオリヒメ開発者として、

色々な事情で動けない人たちが遠隔でロボットを操作して働く場を作るという、私のロボットという概念を覆してくれた。

私の中のロボットは、感情を待たない便利なもの。

文明が進化して、どんどんロボットが活躍する未来なんて、

人が人でいる為に大丈夫かなと思っていた。

でも、分身という肩書がつくロボットは、感情のないロボットではなかった。

その中に、人が存在する。

人がいてこそ活躍できるロボット。

動けない、外に出られない、様々な事情で外出や対面、それらが叶わない人がいてこそのロボットだった。

人が主体のロボット。

できないことを可能にしてくれるものがあるなんて、その喜びが人への優しさに変わり、そして誰かの役に立てる事で、必要とされて生きる根源につながる。

それを立証し、可視化したのがオリヒメだと思う。

カフェではオリヒメのその向こう側でお仕事をされているパイロットとよばれる方がいて、本来なら知り合う事も接点もない暮らしの中、こちらから会いに行ける。

なんて素敵なんだろう。

素晴らしいと思うのは何よりオリィさんの思いだと思う。

原点は不登校で経験した孤独ということ。

のちに、事故で4才からずっと寝たきりで生活をしている番田さんに出会い、障害の垣根を越えて、孤独という思いに寄り添い、それを共有する中で、分身ロボを作り上げ、番田さんと共に働いてきた。

わたしも、自由に動けない人たちがいることを、オリヒメを通して知ることができた。

少なからず、私も中学、高校と一時的に不登校を経験し、学校という場で自分だけが障害を持ち、できないこともある自分自身に自信がもてず、誰に何かを言われたとか、いじめとかではないけれど、自然と不登校になった。

長くは続かなかったけど、孤独な気持ちはその時にもっていたし、自分自身も障害者という立場で、孤独を感じる人たちの気持ちはわかるし、わかりたいと思う。

それを形にしたのが、吉藤オリィさん。

そして、友達と遊ぶよりも、折り紙作りに専念する娘を過度に心配していたけれど、オリィさんを知って、娘の可能性を信じて、ありのままでいいんだと思えるようになった。

今、中学一年生になった娘は、あまり自分の事を話さないけど、本当はうまく人と付き合えない自分に悩んでいるかもしれない。

その感情も無駄ではなく必要な経験だと思えるようになった。

子どもたちの先を歩く、オリィさんのような大人がいてくれたら、子どもたちの未来も大丈夫だと思える。

障害も人によって、それぞれできることがあったり、できないことがあったり。

私も履ける靴がないと嘆いていないで、小さなことでも私にできることはあるはずだ。

折り紙で想像以上の物が作れるように、

きっと皆それぞれ、無限の可能性がきっとあるんだ。

できないことに目を向けると、どんどん自分が苦しくなるけれど、

小さいことでも、誰かの役に立てることは、きっとある。

そのまずひとつは、動ける私はカフェに行くこと。

地方に住んでいるので、気軽に行けないのが残念だけれど、

いつか必ず訪れたい。

そしてこれから先、色々な所でオリヒメが活躍できる場所が増えるといいなと思う。

カフェに行くことが叶う日には、娘に折り紙で花を作ってもらい、オリィさんに渡したいな。

そして、今もどこかでお仕事をしているパイロットの方に会えるのが楽しみ。

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