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未婚シングルマザー③闇編

母親の子育てを繰り返した私

ひとりでは生きる能力のない未熟な肉体の赤ちゃんは、親・養育者がどうしても必要だ。親・養育者に受け入れてもらうことが愛と捉え、生きるためには愛される必要があると考える。

0歳~7歳の間の成功したこと・失敗したことによって95%の人間性(人格)が決まる

それを知り愕然としたのは7年前。
息子が3年生の時だ。

心の底からごめん‼

離乳食に移行したての頃、保育園にお弁当を持参する日があった。
三種類の離乳食がセットになった市販の離乳食をお弁当の代わりに息子と一緒に預けた。迎え時に愛がこもっていないから可哀そうだと言われ、預けたお弁当はそのまま返され、園が作った食事を食べさせたそう。手作りじゃないといけない理由がぜんぜんわからなかった私。

小さな息子がお風呂の壁をタワシでゴシゴシと綺麗にしてくれようとしたのに、「やめて!傷だらけになっちゃう!」とタワシを取り上げ怒ること以外の道を知らなかった私。

息子が3歳になりピアノ教室に通うことになり一年が経過した頃、付き添いはせず終わる頃を見計らって外で待つようになったある日のこと。
先生宅の近くの古本屋さんで待つことが定着してきたときだった。
時間を忘れ読書に没頭。息子のレッスンが終わる時刻より10分も過ぎて先生宅のマンションへ行くと、暗闇の中、小さな息子がマンションの玄関外でじっと私を待っていた。私を見つけたときの笑顔を鮮明に覚えている。
反省しても息子の視点で考えられず、似たようなミスを繰り返す私。

息子は生後3か月から小学校に上がるまで計4つの保育園に通ったが、息子が年中さんの時の事、お家でスキンシップはあるかと担任の先生が尋ねたことがある。毎晩夕食とお風呂が終わると息子を膝の上に乗せ一緒に映画を観たが、どうやら私はスキンシップをしない親だと思われていたようだ。
いったい何が足りなかったのかわからない私。

小学校1年生の学校行事があったが仕事を優先した。後から聞いたら、親と子供と一緒に遊ぶ会だったらしく、親が来なかったのは息子だけで先生が母親変わりになったそう。仕事は言い訳で沢山の親に会うのが嫌で息子より仕事を選んだ私。

数多くの私の失態談。
もしかしらたらADHDのグレーゾーンの傾向も考えられるけど、ほぼほぼ虐待による歪んだ思考がひとりで子育てする私をがんじがらめにしたのだろう。そして、息子もそれの被害者となった。

怒るが躾

怒ることが躾。このように育った。
まあ、怒りと暴力とで躾と言えるものではなかったが、子供にとっては"大切なお母さんを困らせてるダメな子"になるわけだ。

どんな時も「ダメでしょ!!!」と頭ごなしに叱ったことなんて無限にあった。母のように。
更には、未婚母子家庭という状況は、”もし私が死ぬようなことになったら”と厳しく育てることを拍車をかけることになっていたと思う。

ズバリ。"未婚母子家庭”という偏見を他者に持ってもらいたくないといった私の他人軸がそもそもの原因である。
息子が大変な思いをしていないか心配だったが、そのように仕向けていたのが自分であったことにあの頃は気付けないでした。

結局のところ、自立を促そうとした子育ては息子の自己否定感を強め、ただただ自分が足りてない何かを息子にぶつけた酷い母。
どうして?鬼母と同じことをして最愛の息子を我慢をする子に育ててしまった。


負の連鎖

幼い息子はおばあちゃんが守護霊なんじゃないかと思うような行動を取る子供だった。3歳の頃だったか、教えていないが玄関に上がる際、靴を脱ぎくるりと体の向きを変え脱いだ小さな靴を揃えた。また、同じ歳の友達がベッドで大ジャンプしながらクッキーを食べている真横に設置されているサイドテーブルの前に正座し、ティッシュの上にクッキーを並べて静かにクッキーを楽しんでいた。ガサツな私とは正反対の、落ち着いていて物静か。いつもニコニコ顔の本当に可愛い子供だ。


なんでもカタツムリのようにトロい姉に母は「早くしなさい!」
それ、私は言われたくないし、トロいことはダメと理解する幼い私は母に何か言われる前に動いた。怒られる前にご飯を胃に流し込んだ。
まぁ、理由は取ってつけたようなものだから結局は怒られるのだが…。
そのトロいのはダメという思い込みが私自身の子育てと重なり、優雅にゆったりしている息子にトロいと思うことが多々あった。

ゆったりは個性。それなのに躾のフリして制御するなんて最悪だ。
それをしてしまった過去は消せず、後悔が思考の半分を埋めていた。怖い顔して「何やってんのっ!」と、声を荒立て怒っていた母の子育ては間違っている。そして、あんなに嫌だったのに無意識だと母と同じ抑圧子育てをやってしまう私。これが負の連鎖の怖い点なのだ。

愛してるのに愛し方がわからない

愛おしい我が子と猫との暮らしは最高。それで満足なのに何が足りない?
形なんてないのに、息子の愛し方がわからずいつも正しさばかりを追い求めた。息子を叱りより心が枯渇。潤いを求めても幸せは逃げるスパイラル。心はそうじゃないとわかっているのに思考が強すぎてコントロールできず、この世で一番大切な息子を苦しめていた。葛藤だらけの私の言動で息子を沢山沢山傷付けた。これがもう一人の私がやったこと。

「もうやめたい...抜け出したい」絶対に抜け出す!!!!


瞑想からの教え

心の分裂をしつこく繰り返す自分を本気でやめたくて自己啓発本を読みあさった日々は遠い遠い昔のこと。あの時は、答えを見つけるどころか一層絡まり苦しさがMAX。そんな時に不意に始めたのが瞑想だった。今思えば、あれがすべての始まりだったのかもしれない。


突然瞑想を始めた数日後に不思議な体験をした。
いつものように目を閉じ短時間の瞑想をするためにソファーに腰掛けが。
雑念もあるが気持ち良さに浸っていると、私は小さな球体と共にクルクル回りだした。その球体は雪だるま式に大きくなり私の体もまるでゴム人間のルフィー(ワンピースの主人公)のように柔軟に大きくなった。
気がつけば景色は宇宙。なんと私は地球を抱きしめていたのだ。
「あ~球体は地球だったのかぁ~」と悟った次の瞬間、沢山の存在が手と手を繋ぎ地球を囲っている。そこから私に向かって手が伸びてきたので私も伸ばしてみたら、ヒョイっと地球を囲く存在達の仲間になり、次第に形あるものから形がない一つの何かに吸収された。

この体験がワンネスを伝えてくれた思うのは今の私だからだ。
当時は不思議体験をただの不思議と捉えていたが、この体験の直後に本当の自分と向き合うクラスを教える方に出会いそのまま受講することになりした。

このクラスの意図は過去の出来事に付着させた不要なエネルギーやもしかしたらすり替えている悲劇ストーリー、要らぬ思い込みをぶっ壊し再構築する6カ月と、ユニティーヒーリングを学び傷ついた私をしっかり癒す6カ月の合計1年間を受講した。卒業しても自分一人で立てるようピリッとした環境で行われた時間だった。

今までの私はというのは、2人の自分がいるような感覚で生きていた。いつもマインドが剣を振りかざしスピリットを奥へと追いやった。
だけど、息子と出会いひとりで育てている間にスピリットが前へ前へと出ようになったことで、色々な葛藤があることに気が付き始めたのだろう。
こうして、1年間の自分の内側と向き合る期間を設け、ゆっくりと絡まった糸をほぐし始め、もちろんこれからも自己認識は続くが、やっとスピリット優勢で生きることができていると思える。


まとめ

子供に怒るのは自分の心が枯渇しているからであり、外側に原因はない。
もちろん子供じゃない。
失敗したときも、成功したときも、どんなときも抱きしめて愛していると伝えることで自分を信頼できる人間に育つ。

他者の迷惑にならないようには他人軸。そして自分を苦しめるだけ。
他者と自分を比較するはジャッジ。これは自己否定感を大きくする。
愛に形などない。どんなことも形にはめる必要はない。
私たちは自由。制限はいらないと自分に言い聞かせよう。


お読みでいただきありがとうございました。



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