11. sleep, sleep and sleep
ひさしぶりなことになるのんは、たいがいにしとき、と彼女は言った。毎日一個の猫缶を空けていたらしいので怒ってはいないと思う。もう居なくなりたくなんてないけれど、まだ今後手術で入院する可能性がある。私が居ないときは彼が柔らかいのをたくさんくれる、と覚えてくれたら少しは楽しく待っていてくれるかもしれない。
家に着いて猫さんと遊んでから次にしたことは爪切りだった。看護師さんに頼んだら貸してもらえたかもしれないけれど、爪切りを持っていくのを忘れていたので一度も切っていなかった。それからアイブローブラシとシザーを使う。以前より抜け毛が増えてきているけれど、目立つような脱毛は起きていない。
ほかの患者さんたちは普通のスニーカーを履いていたけれど、チャイナシューズのようなスリッポンは素足に心地よかった。スーツケースから洗濯物とスリッポンを取り出し、それぞれ洗濯かごとシューズケースに入れる。明日も晴れの予報なので朝から洗濯するつもりだ。洗濯はマイルールが細かくて申し訳ないので彼の分と一緒に私が担当している。あとは運動を兼ねて買い出しに行ったり掃除したりしていた。
「あまり寝なくなったんとちゃうー?」
さっきまで毛繕いをしていた猫さんが寄ってきて、膝に体を擦り付けてくる。
「寝るのんはーええことやで」
「人間は夜だけでええねん」
「あんたようけ寝とったのになー」
私は座り直し、太ももの上の猫さんを撫でる。ごろごろという音が届く。丸くなった猫さんと一緒に目を瞑った。
初回の抗がん剤、キイトルーダ点滴治療を受けてから六日目。朝は平熱で普段通り過ごしていたのだけれど、午後からいつもより体がだるく熱っぽく感じた。三十八度六分。仕事中の彼にラインして様子をみる。彼が帰ってきたときには三十九度二分に上がっていた。少しだけ食べて解熱薬を飲むと三十八度前後までは下がるのだけれど、平熱には戻らず四十度以上になるときもあり頭痛も続いた。
七日目はほとんど食べれずに牛乳で解熱薬を飲んで過ごし、治療から八日目の朝、病院に連絡すると今から来て欲しいと言われた。仕事を休んで待機していてくれた彼の運転で聖サリエルの発熱外来へ。covid-19とインフルエンザのPCR検査を受け彼の待つ車内で待機する。検査結果は両方とも陰性で、病院内の中央処置室に向かった。自分で消毒してから尿を採る採尿を初めて体験してから「今日は横になって採血しますね」とベッドに促される。その血液培養採血が本当につらかった。順番に両腕から時間をかけて採血された。片腕で一分以上かかっていたと思う。
診察待ちの間、悪寒がひどくなり爪が紫色になって手が痺れてきた。彼が手を擦って温めてくれるのだけれど震えが止まらない。彼のオーバーシャツを借りてフーディの上に羽織ってもまだ寒かった。
「これを使ってください。着たまま帰られても大丈夫ですからね」
気づいてくれた看護師さんがパイルのガウンを貸してくれる。長いガウンを纏いタオルケットをかけてもらう。
「ありがとう」
彼にもお礼を言ってオーバーシャツを返した。
「寒かったでしょ? ごめんね」
「俺は平気。まだ爪が青いね」
「少し落ち着いた。ありがとう」
今日は主治医の須藤先生がいないので同じ泌尿器科の吉田先生が診察してくれた。
「猫さんは元気になりましたか?」
吉田先生は彼よりも少し長いゆるくカールした前髪を分けていて、歳は彼と同じくらいに見える。血液検査の結果、白血球が減っているものの問題ない程度で発熱の原因はわからなかった。
「イブしか効かないんですけど、イブプロフェン?は出してもらえませんか?」
「……ああ、イブプロフェン。そうですね。イブでいいので飲んでください」
頭痛持ちの私には市販のイブ代は馬鹿にならないけれど、イブプロフェンは心療内科でも出してもらえない。カロナールは頭痛にも解熱にも効かないし、ロキソニンやノーシンなどを飲むと気持ちが悪くなってしまう。
それからも毎日高熱が続いた。中途覚醒のときヨーグルトを食べてイブを飲む、少し眠ると汗をかいて起きるのが日課になった。午前四時、五時は三十七度台まで下がっている。数日経つと午前中は平熱で過ごせるようになり、スーパーマーケットやドラッグストアに出かけることができた。
先日買ったばかりのイブは残りわずか。毎朝のヨーグルトに混ぜているカカオニブ入りマーマレードも少しだったので瓶にヨーグルトを詰めて食べた。マーマレードの最後の瓶詰めヨーグルトは至福だ。このマーマレードは夜七時で閉まるデリでしか手に入らないので買いに行く。ドラッグストアの向かいにデリはある。家からすぐなので助かっていた。彼の部屋の近くにはコンビニしかなく、普段の買い出しは車で行っていたらしい。午後になるとまた熱が高くなってくる。昼食後はイブを飲んで安静にしていた。