日々美しいものに触れて生きていきたい
Tomokiです.11月も早くも中旬が過ぎて,肌寒い日が少しずつ増えてきた.身体が冷えてきたせいか,活動量が減って眠くなることが増えた気がする.体調を崩しがちなこの季節,白湯(というかほぼお湯)を飲んだら比較的回復したことを思い出して,お湯を沸かして飲むことが増えてきた.
映画「すずめの戸締り」を観てきた.個人的にはとてもよくて,翌日に2回目を友人と観に行ってしまったくらいだ.美しい描写と考察しがいのあるお話にすっかり魅了されてしまった.目にする色々なものから影響を受けやすいので,映画を観た後は久しぶりにスケッチブックに絵を描いてしまったくらいだ.今日はそんな話.
美しいものに触れるのは僕の根源的な欲求みたいだ
そうやって何か美しいものに触れていると,自分でもそういった美しいものを創り出してみたい欲求に駆られる.絵や映像などの視覚的なものから,音楽や環境音などの聴覚的なものだったりと多岐にわたる.きっとnoteを書いているのも不意に出てくる美しい表現に出会えることが嬉しいからな気がする.
そうやって自分の心の機微に触れたときに出てくる自分の根源的な欲求を掬い上げると,自分が一番大切にしたいことが見えてくるような気がする.僕にとってそれは芸術の要素が強いみたいだ.僕には物作りをしたいという軸と同時に,美しいものを作りたいというもうひとつの軸があり,その2軸が僕を突き動かしているのだということに気がついた.
物作りの動機が愛からであることが重要
何か美しい表現をしていきたいと思うと同時に,僕はAI・機械学習を学んできたエンジニアの側面もある.やはりその中で生成形のAIにも興味を持つし,自分の美しい表現の中でどうやって関わっていくかを考えたりもする.AIには一長一短がある.今も議論が起きているような難しい倫理問題もあったりする.
しかし,それは写真が生まれたのと同じように,デジタルツールが生まれたのと同じように,より良い表現をより短時間で試行錯誤して,更なる高みを目指すことができるようになっていくものだと思う.
昔の日本人が土偶や仏像を掘ったのは,それ自体が祈りとしての表現だったからだと思う.AIで無限にそれっぽい絵を生み出せたからといって,手を止める理由にはならないし,人が作る物の価値も依然として残るはずだと思っている.
物事のプロセスが効率化されていくこと自体は悪じゃない.それが何の目的を持っているかが重要なのだと思う.そしてそれがより良い表現を目指すためならば,そこには確かな愛が宿っている.僕らは作品に宿る愛を感じることができるから,心を強く動かされたり,感動できたりするのだと思う.
だからきっと,AIが作ったか人が作ったか,手作りで描かれたか計算機で演算されたものかなんて問題ではないんだ.僕らが感じ取るのは,その根底奥深くに作り手の確かな愛が宿っているかどうかなだけなんだから.
きっと,そこに上部だけでない確かな美しさを感じ取れる力をきっと誰もが持っている.作り手の想いは伝わる.そんなことを通して僕らは感動を共有していける.そんなことを思って,新しい表現手法を取り入れた自分なりの美しさの表現をしていくことをしてみたいと思うようになった.
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