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心を殺さないために感情の機微に敏感になるのは大事だと思った話

街を何の気なしに歩いていると,ふと懐かしい匂いを感じて昔のことを思い出したりする.最近はマスクをいつも着けているので,マスクの繊維と,蒸れた湿った空気が鼻腔を通る感覚に,幼い頃に風邪をひいたときの心細い気持ちも蘇ってきたりする.そういった感情をひとつずつ拾っていくと,自分が好きだったものを想い出したりすることがある.それをひとつひとつ精査してみたら,今でも好きなことに気づいて,一体今までこの感情はどこへ置いてきてしまっていたのだろうと考えたので,今日はそんな話.

好きを置いてきたのはいつのことだろう

自分のアイデンティティはなんだろうって考えると頭を抱え込んでしまう.結局のところ僕は統計モデルから弾き出される1サンプルのように想定された範囲内で確率的な振る舞いをしている1分子に過ぎないんだろうなとさえ思う.

それなのに,特に何にも考えないで街を歩いているときには,ふと自分の好きだったものだったり,どうにも心に引っかかるトリガーを見つけたりして,アイデンティティを見つけたような気がして嬉しくなるとともに,今までなんで忘れていたんだろうと疑問に思うことがある.

思い返せば色んなストーリーが蘇ってくる.きっとそれらは人に嗤われて内側に閉じ込めた感情だったり,自分には無理だと諦めて閉ざした感情だったり,何かの枠に嵌めるために削ぎ落とした感情が,密かに僕の中で息を続けていたのだろう.今まで蔑ろにしてしまってごめんと謝って,この気持ちを今まで置いてきた分,どうやったら大切にできるか,愛してやれるだろうかと考えるようになった.

きっと今までも,そしてこれからもそういった些細な心の機微に気づかずに,蔑ろにしてしまう感情もたくさんあるだろう.こういった気持ちをひとつひとつ丁寧に拾えるようになるために,出来る限り自分の感情への感度を上げて増幅させる必要がある.一体何が僕の感受性を鈍化させているのだろうと考えた時に思い当たる節があった.

嫌な思いをしたくない気持ちが感受性を鈍化させている

自分の感情へ繊細になることで楽しい気持ちや,好きという気持ち,嬉しいという気持ちは増幅されて感じられる.しかし,それとともに,悲しいという気持ちや,苦しいという感情さえも増幅してしまう.きっと,僕は悲しい想いをしたくなかったんじゃないだろうかと気がついた.おそらくそれは僕だけじゃなくて多くの人が嫌な気持ちから逃げているうちに,やがて自分の正の感情さえも鈍化してしまっているのではないだろうか.

たしかに感情が大きく上下する日々が続くと消耗してしまう.些細なことで一喜一憂して,振り回されて,結局自分は何を空回りしていたんだろうと虚しくなることもある.そうやって塞ぎ込んでいくうちに僕らは感情へのセンサーが鈍ってしまったんだ.辛い想いをなくすための自己防衛本能が,やがて自分から喜びさえも奪い去ってしまうなんて皮肉な話だ.

結局のところ,感情が大きく揺さぶられる休まらない日々も,全く感情が触れないつまらない日々も,僕らには有害なのかもしれない.怖い想いや悲しい想いをするかもしれない道を選ぶには,それでも自分を突き動かすような「好き」という感情に気づいて,その先に未だ見ぬ美しい景色があるのだと信じることが重要なんだ.

それはまさに恋のような感情だ.愛おしいと思うからこそ,その一挙手一投足に一喜一憂して振り回されて,疲れて,悲しくなって,それでも好きだと想う姿を僕らは美しいと知っているはずだ.葛藤なしに得た結果に僕らはそれほど執着しない.手が届かないのに恋焦がれたから,漸く手を伸ばせて触れたときに幸せを感じるのだろう.

悲しみも喜びもあるから世界は美しい

僕は世界の美しさを描いてみたいと想うからこそ,どんな世界にはどんな美しさが宿っているのだろうかと考えることがある.世界を創造するときに,僕ならそこにどんな物語を綴って,どんな生き様を描くだろうと考える.その時に,僕はきっとこの世界から悲しい物語を消したりしないことに気づいた.誰もが幸せに暮らす悲しみのない世界を思い描くこともできるのに,それをしないのはなぜだろう?きっと,それは悲しみと喜びが同時に存在する世界こそが美しいと本心では気づいているからだろう.

悲しみのない世界の幸せに満ちた物語は,どこかハリボテのようで疑ってしまうし,奥行きを感じることができない.葛藤や悲しみや苦しみの先に掴む幸せにこそ美しいと感じるし,価値を感じることができる.

本当は全ての感情を味わいたい

それに気づいた時,ひょっとしたら僕たちは本当は全ての感情を知りたいし,経験したいし,味わいたいのではないだろうかと気づいた.僕らは思わず悲しい気持ちや苦しい気持ちを避けてしまうけれど,本心ではきっとその感情にも意味があることを知っている.本当は全力で悲しみたいし,全力で泣きたいし,全力で喜びたいんだ.誰かのために泣きたいし,誰かのために頑張りたいし,そして自分の力で誰かが喜ぶ姿を見て嬉しくなる未来を夢見ているんだ.そう思った瞬間に,不甲斐ない自分の姿も,うまくいかなくて嫌になる現実も,なんとなく愛せるんじゃないかと思った.

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