リベラルアーツが重要と言われる理由がわかった話

巷で語られるリベラルアーツですが,日本では教養と訳されたりしてますが,なんとも分かりにくいですよね.個人的に教養って言葉はかなりバズワードなんじゃないかって思っています(笑).

余談ですが年上の方が若い人に対して「教養が足りない」と言ってしまうと若い人は何も反論できなくなりますよね.でも,それは単に人生を歩んでいる時間が自分よりも少ないという事実の確認でしかないので,それを理由に若い人の直感や言っていることが誤りであることの証明にはならないと思うのですが…

それは置いておいて,リベラルアーツですが,もともとはギリシャ・ローマ時代を源流とする言葉で,ヨーロッパの中世期以降の大学制度において「人が持つべき技芸の基本」と見なされた自由七科のことです(Wikipedia引用).そういう意味では教養というのも間違いはないのですが,もともとリベラルが自由を指す言葉なので,古代ギリシャの自由民と非自由民(奴隷)に対して自由民の教養を高める教育とされています.日本の大学でも学科に別れる前の総合教養学部などはリベラルアーツと呼ばれたりするところもありますよね.

リベラルアーツ=芸術への造詣があること?

僕が初めてリベラルアーツを知った時にした理解は,まず教養だということ.さらに言えば,音楽や絵画などの芸術に対する造詣があることだと思ったのです.とは言え,アート自体が当時の僕にはまだ理解に足るものではなかったので,さらなる迷路に入っていったのですが(笑)

そんなふわっとした理解で,「要はリベラルアーツというのは,自分の専門分野に止まることなく,他の分野も勉強して色々考えようってことでしょ?」って感じで過ごしていました.ある種のジェネラリスト的視点を持った上でスペシャリストになろうということだと理解したんですね.

そうした時に自分はリベラルアーツを体現しているのではないかと感じました(笑).なぜなら,僕は非常に多趣味な人間なので,自分の専攻するコンピュータサイエンスだけでなく,ギターを弾いたり,音楽理論を覚えたり,イラストを描いたりすることもやっていたので,この融合を考えることがリベラルアーツでしょ?とか考えていたのです(笑).そんな生意気な学生(笑)だったんですが,今思うと,そう大部分は外していなかったみたいです.

リベラルアーツを理解し始めた瞬間

僕が「リベラルアーツってもしかして本当はこういうことなんじゃないか?」とある種確信めいた瞬間は,僕が自分のロールモデルの1つだと考えているメディアアーティストの落合陽一さんの言葉でした.

落合さんはよく“近代”という言葉を用います.「脱近代化する必要がある」だとか「わかりませんは近代の言葉だから使わない方がいいよ」みたいなことを言います.最初の頃の僕にはこれがどういう意味かわからなかったのです.

まず,これを理解するには近代がどこを指しているのかを知る必要がありました.とは言え未だ僕も明確に何年から何年とまではわからず,今のところの理解としては時代区分にいくつか議論があるようですが,少なくとも今ではないことだけはわかりました.要は「それは古い考え方だよ」という話をしていたわけです.実際にググってみると現代の一つ前の時代のことが近代だということがわかります.

近代は個人主義と合理主義を重んじる時代でした.個人主義というのは「人間とは,一人一人が尊厳を持ったかけがえのない存在である.」という考え方,合理主義とは「人は動物と違い,頭で考える生き物である.」という考え方です.

特にこの合理主義から,感性ではなく論理的に考えることで正解へたどり着くことができるという考え方が一般的になったのです.しかし,世の中には論理だけではたどり着けない境地もあります.ここから,前述の「わからないっていうのは近代の言葉だよ」というのは「わからないって言葉は正解を知らないと言っているようなもので,この世に必ずしも正解があるとは限らないのだから感性的に思ったことを言おうね.」という意味だったのだと思います.

ここまでたどり着いて,僕はハッとしました「ロジックで説明できないものはだめだ.」という考え方がすでに近代という時代性の中で重要だと位置付けられた相対的な価値観でしかないのだと気づいたのです.つまり,この現代で僕らが常識に思っていることは,一つ前の時代では常識と思われておらず,一つ前の時代背景によって正しいとされてきた考え方のひとつに過ぎないということです.

リベラルアーツとは,ある考え方やフレームワークなどをただ知るのではなく,その考え方がどういった時代背景によって生まれたものなのか理解することが重要だとする考え方なのではないかと気づきました.

ロジックとアナロジー

だんだんわかってきた僕は,あるところでリベラルアーツについての講義に参加できる機会があったので参加しました.そこで言われていたことはロジックとアナロジーについてでした.

実はリベラルアーツには対義語があります.それは「メカニカルアーツ」という言葉で,日本では「技術」と訳します.これはまさに近代の価値観であったロジックを取り扱うものです.

それに対するリベラルアーツを考えた時,リベラルアーツはアナロジーを取り扱っているという説明をされていました.これは妙に納得でした.近代の合理主義である理性的な考え方に対する,感性的な考え方をしているわけです.

アナロジーを説明するときによく言われるのは比喩表現です.「〇〇とは××のようなものである.」として,一つの物事を,本来は結びつくことのない遠い別の物事に対して関連付けを行うことです.これはある種のconnecting dots的な営みに見えますよね.かのスティーブ・ジョブズがカリグラフ(文字芸術)の授業に興味をもち,そこで得た文字が美しさという価値観を彼はコンピュータであるMacに持ち出してからは,Macは本来繋がることのなかったデザインされたコンピュータという価値観を提唱しました.

なぜリベラルアーツが重要視されているのか?

これは僕の思想に過ぎないのですが,僕は高度経済成長期を近代として見るべきだと考えています.それはなぜかというと,あの時代は物質的にまだ豊かでなく,足りないものを作れば作っていくほど生活がより豊かになることが目に見えていた時代だからだと思っているからです.つまり,論理的思考が最も重要視されていた時代だと思うからです.

しかし,現代では物質的に十分豊かになっており,良い物を作ったとしても売れないと言われるほどです.人々は物質に足りることを覚えてしまい,これ以上物質が増えたとしても,生活の幸福度に結びつかなくなってしまったのです.

そうした世界では論理的思考よりも,何か夢を見せてくれるような感性に訴えかけるものの方が優先順位が高くなるのではないでしょうか.YouTubeからNetFlix,TikTokからShowroomなどの展開はまさにエンターテイメントが市民権を得てきた系譜として捉えることができると僕は思っています.近代で蔑ろにしてきた”人の感情”に向き合って寄り添う時代がやってきたのではないかと思っています.

人と人が愛情で繋がれる時代

僕が今の時代の変化に強い希望を抱いています.なぜなら,人の感情に寄り添うことこそが最重要であるということは,人と人が合理性でなく愛情で繋がれる世界になってきたことだと思うからです.

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