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夏に至る

Tomokiです.どうやら昨日から夏至を迎えた様だ.1年で最も昼の時間が長くなる日らしい.4時半前には日が出て,夜7時ごろには日が沈むらしい.確かにふと夜更かししてしまった日には,気がついたら空が白んでしまっている気がする.梅雨の季節でいつも空を雲が覆っているから,少し薄暗いくらいの良い季節だと思う.1日通して世界が蒼に染まっている様な気がする.

だんだん毎日が忙しくなってきたことを実感している.1日あれをして,これをしてみたいな,次にやることが決まっている様な日々を久しぶりにやっている気がする.「今日はこれさえやっておけばいい」という日は気が楽だけれど,2つ以上ある日はちょっとしたヒリヒリ感があったりもする.なにせ今やっていることが遅れたら次も遅れてしまうからだ.

しかし,忙しい日々は何も悪いことばかりじゃない.なぜか忙しい日々を過ごしている時に限って新しいアイデアや,モチベーションをふっと湧き上がったりする.そうやって衝動的に新しいことに手を出して,さらに日々を忙しさに沈めていくわけだが,そんな日々はしんどくも楽しいなと思ったので今日はそんな話.

忙しない日々は楽しい

学生の頃,「楽に生きたいか,楽しく生きたいか」と聞かれた覚えがある.「それらは同じ漢字だが,意味が違う.楽しく生きたいなら楽をしてはいけないよ.」と言われた.なるほど,面白い.たしかに楽な日々は一方で退屈そうな感じもする.僕は断然楽しく生きたい方だが,まだまだ身体や脳が未熟なのか,なかなか体が望む方向に動いてはくれない.それでもなんとか突き動かしている.

そんなに長くもない人生,振り返ってみると忙しい日々が煌々と輝いている気がする.もっとも当時はしんどいと思ったけれども,人生で一番楽しかった時期も忙しい日々を過ごしていた気がする.電車の中であまりに眠くて膝がカクっとなってハッと起きる毎日を過ごしていた気がする.休日は14時間とか寝てしまっていた覚えがある.それでも楽しいと思っていたのも事実だ.唯一の問題は本を読もうとしたり,英語を読もうとすれば秒で寝てしまうくらいの眠気の中にいたことだ.頑張ろうとすると秒で寝てしまう.

きっと僕は色んなことを興味を持つし,それらを片っ端から経験することが好きみたいだ.人よりも興味を持つ事柄が多くて,人よりもたくさん経験してみたいことがあるなら,それは忙しくなって間違いない.でも,僕が忙しいということは,裏返してみれば興味を持ったものを経験できる数が1日あたり,あるいは1週間あたりに多いということだから,楽しいことには間違いない.とはいえ,身体に疲労は蓄積するので自分の好奇心に身体が追いつかない.しかも,ちょっと難しいことが好きな難儀な性格なので,取り組むにはちょっと気合を入れないといけないこともあったりする.

努力するのは苦手だ

そんなに色んなことに興味を持って,色んなことに取り組んで,ちょっと難しいくらいの方が楽しいなんて,きっと努力家なんだろうと思ったりもするかもしれない.全くの反対だ.僕は客観的に自分を見て努力するのは苦手な部類の人間だなと思っている.それはもちろん謙遜ではないし,増してや卑下しているわけでもない.僕は努力することが苦手だ.苦痛や困難に耐えて物事を進めるのが苦手だし,嫌な思いをするとわかって踏み出す時は躊躇してしまう.

だから,忙しい日々を過ごすのはしんどいかわりに,めちゃくちゃ楽しいと頭でわかっていても,日々を忙しさに埋めていくのには躊躇してしまう.できることなら余裕のある日々を過ごしたい.しかし,余裕がありすぎると毎日は退屈で,かえって滅入ってしまう.身体は休まっているのに,心は刺激を欲してしまう.脳は退屈そうだ.しかし,いざ忙しくすると身体は悲鳴を上げるし,脳も処理でいっぱいいっぱいになる.ただし,心だけは積み重ねた物事や新しく知った知識に感動しているようだ.

なんて難儀な性格なんだろう.心と身体と脳がバラバラだ.きっと好奇心に突き動かされてあれもこれもと欲張りな心についていかせるためには悲鳴を上げない身体にしてあげないといけないみたいだ.僕の身体は僕の心を乗せて走るにはまだちょっと小さすぎるみたいだ.脳は身体と心をまとめようとして板挟みにあって,また大変になってしまうみたいだ.

努力しない仕組みで忙しくする

一見解決できないこの問題をどう解決しよう?それは努力せずに毎日を忙しくすることだろう.毎日自動的に色んな知識や経験が入ってくるように毎日をデザインできたなら,それは頑張らなくても大丈夫だ.なにせ自動運転で新しい経験や刺激を得ることができる.身体がついていかない問題も,運動することを自動的にやるようになったら,夢中のうちに終わっているし,夢中になる心を乗せて十分走れる肉体になっている気がする.

たとえば遊びのスケジュールが盛り沢山だったらどうだろう.今日はこの遊びして,あの遊びして,楽しみなことがいっぱいだと思えたら,体も心もついていけそうな気がする.それはみんなでするキャンプのようなものだ.川遊びをして,お昼はみんなでカレーを作って,川を下りながら魚を手掴みしようと躍起になって,夜はその魚を焚き火で焼いて食べて,キャンプファイヤーを囲ってみんなで歌ったり,ギターを弾いたり,踊ったりする.それはとても楽しいじゃないか.

運動してみたり,歌ってみたり,物を作ってみたり,何かを調べてみたり,そしてそれを人と語らってみたり,人生はキャンプみたいなものなんだ.楽しいことをいっぱい盛り沢山にして,毎日を過ごすから充実するんだ.

夏休みの予定を入れる子供みたいに人生の予定を書く

夏もだんだん本番に近づいてくる.夏休みが近づくにつれてそわそわした子供時代を今でも覚えている.今年の夏は何しよう?花火を見たいな.海にいきたいな.山にも行ってみたいな.みんなで焚き火を囲ってキャンプしたいな.トランプでワイワイするのも楽しいな.自由工作で面白いものを作ってみたいな.そうやってワクワクした日々を覚えている.

いつから夏休みを全力で楽しむ子供みたいに,人生を全力で楽しむことを忘れてしまったのだろう.忙しいというのは決して悪いことじゃない.楽しみがいっぱいだというだけのことだ.それはまさに充実した人生だということに過ぎない.だから,人生の予定を,夏休みの予定みたいにいっぱい書いてみよう.そして楽しい夏休みの思い出みたいに絵日記にしたためてみよう.そうやって毎日を書き綴っているうちに,壮大な冒険譚ができて,昔夢見た御伽噺のような人生を気がついたら歩んでいるはずだ.

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