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集団を避けて一人で居続けた結果,集団で作ることに憧れていたことに気づいた話

ちょうど秋分の日だ.朝と夜の時間がちょうど半分になった.ここからだんだんと夜が長くなっていくのだろう.僕は夜の方が好きだ.暗くなった夜にほわんと辺りを優しく照らす提灯の灯りが続いている夏祭りの夜が好きだし,ジャックオランタンが立ち並ぶハロウィーンの夜も,イルミネーションで染まるクリスマスの夜の街も好きだ.もっとも,今年はどうなるか読めないが.

イベント事が好きだ

ああいったイベント事は人並みに好きなのに,いつも僕は参加する側だったなと振り返れば思う.なかなか企画する側になったことはなかったし,運営委員会みたいなものに所属することもなかった.強いていえば最初の年は高専祭の実行委員に参加していたくらいだ.どうやら僕は多数の人が関わる状況で責任を持つときのプレッシャーにビクビクしてしまうタイプのようだ.

それでもイベントを彩る飾り付けを考えたり,レイアウトをデザインするようなことはとても好きだ.とてもやってみたいと思う.しかし,街はおろか会場を借りたりするようなイベントだと色んな人が絡んだりして怯んでしまうから,きっと僕はゲームや3DCGの世界だったり,絵の世界でそれを表現しようと思って,そっちの方法を学んでいったのだろう.あるいは,圧倒的なスキルを身につければ許してもらえると思ったのだろうか.

でも,やっぱりそういった彩りを一緒に楽しんでもらえる仲間は欲しいし,一緒に仕掛けてくれる仲間が居た方がきっと何十倍も楽しいのは間違いない.最初は人がいればいるほど摩擦したり,衝突したりして,面倒くさいなと思っていたのでより自分一人でやる方を選んでいたが,よくよく考えてみればそれさえ豊かな時間だと思うようになった.イベント事と誰かを楽しませたいと同じ方向を向いて一生懸命頑張っている人同士で意見をぶつからせたり,納得いくまで話し合いながらなんとか落とし所を見つけて選んだ選択で,見事色んな人を楽しませられたとあったら,どれだけ嬉しいことだろうと思う.

やっぱり人が好きだ

そうなってくると僕は人がやっぱり好きなんだ.思春期のときは少しこじらせて,他人と意見がぶつかるくらいだったら自分一人で全部作ってしまった方が楽だし,自由だと思って,なんでもかんでも自分一人でやろうとしていた頃があった.おかげで一分野には止まらない多方面の知識やスキルを手にすることは出来たけれども,自分が望んだ成果物を生み出すまでには至ってない.

今になって認める瞬間がきた.僕は人が好きだ.人が好きだから嫌われたくなくて,認められたくて,敢えて人との交流を遠ざけてしまっていたんだと思う.でも,最後に向き合いたい相手は人なんだ.製品の完成度とか,ロジックの美しさではない.作品を作って,それを観賞する人との間のインタラクションが僕が目指したい点であって,そこで僕がフォーカスしている対象は観賞者の心情なんだ.

そして,僕は人の負の感情を怖がりすぎなのだと気づいた.どんな作品でも正の感情と負の感情の両方を呼び起こすものだ.ジャックオランタンやピエロだって幼い子供には恐怖でしかない(僕も小さい頃はピエロが怖かった)し,そういえば幼稚園児の頃,友達は幼稚園に来たサンタクロースが怖くて泣いていた気がする.観賞者全員に狙った感情を引き起こすなんてまず無理だし,当然全員に気に入られるなんて無理だ.チームも同じように,当然誰かと何かしようとすれば,価値観の違いや考え方の違いで衝突することだってある.お互い譲れないものが同じポイントにあったら水掛け論に発展することだってあるかもしれない.でも,それで良いと気づけたら相手を言い負かせる以外の選択肢を選べるじゃないか.

集団で何を作るかは大事だ

とはいえ,何を作るか曖昧なまま集団を集めたら烏合の衆になってしまう.それでは同じ方向を向いてるのかさえわからないから,水掛け論から脱することはできない.なんせ山頂まで登りたい人と,海辺にいきたい人が同じグループに居て,グループ行動しましょうなんてどう考えたって無理だ.どうにかしてそれなりの指針を立ててから人を集める必要がある.

作品を作るために集団を作るのであれば,一番わかりやすいのは作品そのものを小規模でいいから作ってしまうことだろう.「こういうものを作る」という指針を立てて,興味ある人や協力してくれる人を集めたらわかりやすい.新海誠の処女作「ほしのこえ」ではほぼ新海誠本人で作られているのでとても近いと思う.

人に頼るのも大事だ

新海さんはほとんど一人で作ったからと,自分一人で作ってしまおうと思うこともあると思う.たぶんそれがまさに今の僕だと思う.しかし,それはとてつもなく果てしない道だ.そもそも,作れるかわからない状況だと,作りたい作品さえもまだわからないし,どうやって作ればいいのかわからない.

そうしたときに,作品全てではないが,一部分を指導している人を頼るのも大事だと思う.例えば音楽作品を作りたいなら,作曲や編曲を指導している音楽家にレッスンを頼んでみるといい.特に同じ世界観を持っていそうな音楽家の人だったら,単なる知識だけでなく,自分の世界観を具現化するためのお手伝いもしてくれるかもしれないし,なんなら将来的に関わってくれるかもしれない.先生だって人間だ.特に生徒想いの良い先生なら,協力してくれることだってある.

なんでも自分ひとりでやろうとすると,なぜか技能を得るところまで独学しようとしてしまいがちだ.それはひょっとしたら自分オリジナルのものを生み出すために,既存のものに頼ってはだめだと決めつけていたり,利己的な目的で人に頼るのは良くないと思う固定観念を持ってしまっているからかもしれない.

でも,僕たちは本質的に誰かの役に立って感謝されることに喜びを覚える生き物なんだ.僕だって,誰かの役に立てないかと考えることが多いし,自分の力で役立てるなら協力したいと考えることが多い.なぜか他人をドライなものと見てしまうことが多い世の中で,実は積極的に関わりにいけば,人の暖かさに触れる機会に得られるのかもしれない.

人の暖かさを感じるために

僕の人生の目的はひょっとしたら人の暖かさを証明することなのかもしれないと僕では思っている.一見街ゆく人がとても冷たくドライに見えるけれども,実際は彼らにも大切な存在や掛け替えのない存在をそれぞれ持っているんだ.当然誰だって暖かい心を持っているはずだ.

そんな色んな人の暖かさを感じるためには,積極的に自分が関わっていくしかない.自分の信念も弱さも曝け出して,純粋な気持ちで人に関わりにいって,きっと曝け出した心が傷つけられる場面に出会すことだってあるだろう.それでも,純100%な気持ちと相手を想う気持ちが確かにあるのならば,きっといつしか暖かい仲間に囲まれるのだと僕は信じている.そんな未来を信じて,もっと人に頼ったり,協力を仰いだり,一方で何か手助けしたり,協力していく時間を増やしていこうと思う.

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