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環境の小さな変化と子ども

在宅勤務が終わった。

1年生のけいちゃんは在宅勤務の間は学童に行かずに帰ってきていた。4時頃に帰ってきて、家でアイス食べられるし、お家で自由に遊べるし、気楽に過ごしていた。

在宅勤務の終わりが決まった時に
「ママが会社に行くときには学童に行ってもらわなきゃいけないのよ」
と伝えていたけれど、元の生活に戻った今朝、それはそれは大暴れで体中で拒否していた。

行きたくない、の一点張りで涙をぽろぽろ流して泣いていた。
そんなに体を震わせて泣くほどいやなとこ、行かなくていいよって言ってあげたかった。

なんで?も聞きたくなかった。
だって、「行きたくない」のは変わらない。
だって、分かっていた。
学童で用意されたおもちゃやお菓子を与えられて時間を過ごすより家で自分のものでマイペースに遊びたいんだ。

でも、今日は出勤しなければいけなかった。だから、支度をしながら様子をみていた。
何度かドアを触ってみたり、外に出てみたりしていた。
着替えて化粧をして、けいちゃんのところに行った。

玄関にちょこんと座って、けいちゃんは落ち着いていた。
学童に行かずに家に帰りたいんだと言った。
そうよね、でも、家にずっと一人でいてもらうことはできないの。何かあっては危ないから。
保育園の時もお迎えはずっと6時だった。だから慣れたらきっと平気になるだろう。

コロナの影響でこれまでのペースを変えてしまったよね。
大変な思いをさせてごめんね。

学校に行きたくない日もあるだろう。
行かなくてもいいよって言いたい。

私が働いている小さな会社は子育てにも理解があるから連れていくことはできただろう。それでも、行かなくてもいいよって言ってあげられないのは両親と暮らしているからだ。

両親は60前後、決められたことはやらないといけない、意識がある人達。

私が行かなくていいよ、と言っても、彼らを納得させることができない。二人にとって学校に行かないという選択肢はないのだ。小さいけいちゃんのために説き伏せられない自分にも嫌気がさす。
戦うべき相手はいつも近くにいる。

そんな窮屈なところで育てられたことを想うと急に苦しさが込み上げてくる。だから私も意固地になるときがあるのかも、と自分の弱みの原因にすらしたくなってしまう。

今日私にできたことは、けいちゃんが落ち着いてから一緒に学校に行くことだった。私が押す自転車と壁の間をけいちゃんは黙ったままずんずん並んで歩いた。

「あの番号見てくるね」
けいちゃんがぽつりと言った。
あの番号、とはけいちゃんが学童のおもちゃのパンフレットで見つけた欲しいおもちゃの型番だった。私に買ってもらおうとずっと前から説明してもらってたけど、型番がわからなくてたどり着けなかったおもちゃ。
「忘れないようにノートに書いてきてね」
私がそういうと、こっくりとうなずいた。
学童に行くんだと決心した横顔は険しく、凛々しかった。

仕事が終わって、家に帰ると4年生のお兄ちゃんが私のところにかけてきた。

「俺のクラスが終わるの早くて学童の前で待ってたから、けいちゃんは学童行ってないよ(笑)安心して!」

なーんだ、行かなくてよかったんだ(笑)
照れくさそうにレゴで遊ぶけいちゃんの顔を見て、ほっとして、ギュッと抱きしめた。



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